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遺された者の悲しみ

先週金曜日に、土屋達彦さんのお別れの会があった。

土屋達彦さんについては二度ほど、このブログにも書いたので、彼についての詳細な紹介は省かせていただくが、元産経新聞社の記者で、昨年、「叛乱の時代」という彼の半生の集大成とも云える書籍を出版された。
肝臓にガンを患い、今年の1月に亡くなられた。

期間はそれほど長くはなかったが付き合いは深く、ボクは彼のことを兄貴のように慕っていた。
本当に心を許せる人だった。
ボクよりもひとつ年長の72歳だった。

産経新聞社を辞されてから、危機管理を行うコンサルタント会社を経営されていた。
土屋さんの跡を継がれた社長の大森みつえさんは、会の冒頭の挨拶で、この日がちょうど会社設立から満30年に当たるのだと話された。

気丈に、今後に向けての決意を語られたが、その言葉の端々に、主を失っての心細さや戸惑いが伝わって来て身につまされるものがあった。

会場に、土屋さんの奥さんのはるみさんの姿が目にとまった。
憔悴されていることが、遠くから見てとれた。
それが気になり、思わず「お元気ですか」と挨拶ぬきで声を掛けた。

はるみさんは、実は、この後すぐに入院することになっているのだと、話された。
脳の血管に異常があったのだが、土屋達彦さんの看病等々のことがあり、今日になってしまった、しかし、もう放っておけない状況になったので、いよいよ今度は、自分の身体の治療に取り掛かることにしたのだ、ということだった。

会場には、わが社の監査役で、聖書研究家の道川勇雄さんも来られていた。
もともと、土屋達彦さんを紹介いただいたのは、道川さんからだった。

「幾千万の妻あれども、わが妻に優る妻はなし、の言葉通りの奥さまでいらっしゃいますね。土屋達彦さんもお幸せでしたね」と道川さんは、ねぎらいの言葉を掛けられた。
はるみさんは、感激したように深々と頭を下げられた。

土屋さん夫婦は共に、二度目の結婚で、入籍されてからまだ間がなかった。
これから、やっとゆっくりと人生を楽しもうと云う、まさにそんな矢先の土屋さんの死だった。

土屋夫妻とは、家族ぐるみの付き合いをさせていただいていたが、ボクの妻は、土屋さんの奥さんが急に老けこまれたように見えたと心配した。

一夜あけての休日の昼間、のんびりとテレビの演歌を聞いていると妻の京香が突然「あなたは、思い残すことはない?」とボクに尋ねた。
「思い残すこと?ホントに何も無いなあ」とボクは即座に答えた。
「ただ、京香とこうやっていつまでも過ごしていたいとは願うけれど……。それも思い残すことの内なのかな……」
島倉千代子が亡くなる3日前にレコーディングしたという「からたちの小径」が流れるテレビの画面を見たまま、ボクは云った。

妻のエーンエーンと泣く、子供のような泣き声が聞こえた。
「人生ってどうしてこんなに悲しいのか」と妻はつぶやいた。

年齢差を口に出すと妻は怒るが、ボクたち夫婦には21歳の年齢差がある。
「長生きしてね」が妻の口癖になっているほど、妻にとってみれば、この年齢の差がもっとも大きな不安となっている。

時間は、喜びや悲しみ、そして憎しみは勿論、この世の存在のすべてを奪って過ぎ去る。
すべての命も、やがては、この地球も宇宙も間違いなく消滅させる。
そんな計り知れない宿命を前にしてもなお、ボクたちは素直にその宿命を受け入れることができないでいる。
なお諦めきれない気持ちを抱きつつ、限りある命を切なく、悲しく生きて行くしかない。

ボクも涙を止めることが出来なくなった。
お互いに覚悟の上のこととは云え、それほど遠くは無い将来の妻との別れを思い泣いた。

妻を愛しく思った。
そして、いよいよ大切にしようと思った。
子供たちや孫やそれにスタッフたちひとりひとりの事が次々に瞼に去来した。

ボクたちはしばらくの間、泣き続けていた。

      「愚かだな 時よ止まれと 祈ってる」


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安倍首相の韓国語のあいさつ

安倍首相は、アメリカの力を借りて、日米韓首脳会談という形をとり、朴槿恵韓国大統領との初会談をやっとのことで実現することができた。
初会談と云っても、どうやら、顔を合わせができたに過ぎないようである。

この日米韓首脳会談の冒頭で安倍首相は韓国語で「朴槿恵大統領、お会いできて嬉しく思います」と話しかけたが、朴大統領は堅い表情を崩すことはなかった。

この光景をテレビでみて、多くの日本人は、朴大統領のことを、一国の首相がせっかく愛嬌をふりまいて韓国語で挨拶しているのに、無視するとは何と失礼な奴だ、と思って、更に反韓国感情をつのらせたであろうし、また一方、韓国国民の多くは、何としらじらしい光景だ、と益々反日感情を高めたであろうと想像する。

ハングルの勉強を始めたばかりの初心者のボクでも、安倍首相の韓国語は、舌足らずだとは思ったが、それはさておき、この光景を見て、ボクは安倍首相の「美しい国」発言をすぐに連想した。

「美しい」とは何とも抽象的な概念である。
中味の無い美辞麗句の類である。

同時に、この美しいという概念は、汚いモノ、穢れたモノや、さらには異物という不思議な存在を生み出す。
そして、それらを峻別し、排斥する。
政治概念として、美しいという言葉は、もっとも危険で使ってはならない種類の言語だとボクは思っている。

安倍首相は、すでに「美しい国」で象徴的に、その正体を明らかにしたそのままに、実相や内容を覆い隠すためなのか、それこそ美しい言葉や、見せかけのパフォーマンスで人々を欺こうとする性癖がある。
これまでのそんな数々の言動には枚挙のいとまはないが、この首脳会談での、韓国語の挨拶などもその一例である。

日本が中国、朝鮮半島を侵略した行為を正当化し、戦前の日本政府の起こした戦争は間違っていなかったのだと安倍首相を始めとして彼を取り巻くブレーンは主張しようとしている。
だから、韓国政府や韓国国民が、靖国参拝に反対することも、従軍慰安婦問題で騒ぐこともおかしい事なのだと主張している。

本心はそうであるのに、へつらうように韓国語の挨拶で表向きを飾ってどうしようというのか。
その信念の真偽は仮に別だとしても、それならばなおさらのこと、安倍首相の韓国語での挨拶は相手を余りにも侮蔑したことになるのではないか。

そんな軽佻浮薄振りは見ているのも恥ずかしい。
しかし、恥を恥だと感じる心を失った人物を首相に掲げるボクたち日本国民は、いつから恥じるという気持ちを失ってしまったのだろうか。

戦後70年近くも経ちながら、太平洋戦争で日本が犯した間違いの総括が、未だに、日本人の手と頭でしっかりと行われていないことが不思議である。
いま安倍首相をリーダーとして、一時は消えたはずの亡霊をもう一度甦らせようとしているのだ。

物質的な豊かさに慣れ切って弱り切った日本国民の心が、亡霊の権化に、巧みにコントロールされている映像が見える。

      「ユーモアと 本人だけの 得意顔」


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車の運転許可をめぐって

ボクたちの会社にはスタッフが70余名いるが、それぞれに個性や特徴があって面白いし、また、毎日いろいろなことが起きる。

そのスタッフの中に、ボクが、仕事上での自動車の運転を禁じている女性スタッフがいる。
彼女は5年近く前に、大阪の制作会社を辞めてわが社に入社した。

彼女が入社して間もなくの頃、ボクのパソコンに不具合があり「ちょっとみてくれる?」と、そばに居た彼女に気軽に声をかけた。
「はい」と、これも気軽に引き受けてくれた。
それから、延々数時間……彼女はそのパソコンと格闘し続けた。

これまでもボクは、パソコンのことでは、近くに居るスタッフに声をかけて面倒をみてもらってきた。
大抵の場合は、すぐに解決して、どうもありがとう、ということになる。
しかし、すぐに解決しない時もあり、そんな場合は、5分も色々と試してみて、「わたしには分かりません」と決まって、サジを投げ出してしまう。
仕方なく、ボクは、もっとパソコンに詳しいスタッフを見つけて改めて頼む、といった具合だった。

ところが、彼女は、諦めることなく、ずっとパソコンと向き合っていた。
何時間かかったことだろう。
しかし、彼女は、途中で投げ出すことなく、とうとう最後までやり遂げたのだった。

ボクはとても感動した。
「この娘のためならボクもできる限りのことをしよう」とその時に、心に決めて今日に到っている。

彼女はディレクターとしては、まだまだ修行中の身だが、意欲的に企画提案し、次々に番組を実現させている。
テレビ出演を渋っていた大物男優のもとに足しげく通い、ついに口説き落としてNHKの大型番組企画を実現させるなど、持ち前の粘り強さを大いに発揮し、活躍している。

しかし、そんな彼女には、弱点がある。
とにかく、そそっかしいと言うのか、慌て者というのか、落し物はする、忘れ物はする、失くし物はする、といった具合で、取材の度に必ずと言ってよいほどに周りを慌てさせる。

3年前には、仕事中に交通事故を起こした。
しかも二度起こしたので、それ以来、危機管理のために、彼女の運転を禁じて来たのだった。

ところが先日、番組プロデューサーと2人でやってきて、運転することを許して欲しい、と云う。
事情を聞くと、番組の調査で辺鄙な場所に行くのだが、レンタカーがないと、とても不便らしい。
そうは言っても、事故を起こしては大変なので、ボクは許可しなかった。

2~3日して、2人はまた、話があると云う。
今度は、一枚の書類を準備していた。

そこには、3年前に起こした事故の内容と、なぜ事故が起きたかの分析、その後の安全運転の実績、さらには、今回運転することについての心構えや、安全を守るための対策等々が、事細かく記されており、最後に、担当プロデューサーと彼女本人の連名で印鑑が押されていた。

正直言って、2人共に実に真面目で律儀だと感心した。
ボクが言うのも変だが、こっそりと禁を犯す者もいる筈である。
黙っていれば、分からないこともある。
それを真正面から許可を求めて来る姿勢を素晴らしいと思った。

本当に信頼に値するスタッフであると、ボクは嬉しくなった。
ここまでの心がけがあるならば、事故は起きないだろう、とボクは判断した。
「それでは、十分注意してくれよ」と運転を許可した。

それから、さらに2~3日経ってから、そのプロデューサーから一通のメールが入った。
そこには「本人の意志により、今回は運転する事を取りやめにした事をご報告します。ご迷惑をおかけしました」とあった。

さらに、「その理由ですが、書面を作り捺印して社長に許可を頂き・・・という行為が非常に重く感じたらしく、もし、ここまでやって、自分が事故を起こしたら堂柿さんはどうなるんだろう、とか考えちゃいまして・・・、という事だそうです。特に誰に忠告されたわけでもなく、一人で考えた結果と言っていました。どうやら、自分一人の責任ではない、という事をリアルに感じたようです」とあった。

ちなみに、ここに登場した堂柿というのが、今回の運転に関して、ディレクターのために一肌脱いだ、人情プロデューサーの堂柿勉である。そしてディレクターは平岡しおりという。
これにて、車の運転を巡る件は一件落着したが、このふたりには、社長賞を出したい気分である。

      「今年また 花の季節が やって来た」


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優越感で思い出したこと

一昨日のブログで、ちょっとした差別意識や優越感について触れたが、それに関連する、恥ずかしい思い出がある。

ボクが日本テレビに入社して、初めて海外取材をした時の話である。
すでに、44~5年が経つ。
当時は、まだ1ドルが360円の時代で、海外へ持ち出すドルにも厳しい制限があり、現在のように海外旅行が一般的ではなかった大昔のことである。

「われら地球家族」というタイトルの番組で、台湾、タイ、マレーシア、シンガポールを一ヶ月半ほど取材して歩いた。
それぞれの国の人々の暮らしやトピックスを紹介する番組だった。

タイの首都バンコクで取材中のことである。
バンコクはご存知の通り水路が発達した都市である。
人々は日常的に、水路をまるで道路と同じように利用している。

そんな水路を小さな舟を操りながら、壺などの日用雑貨を売る男性の一家を取材させてもらった。
祖母と両親、それに嫁や子供たちなどが賑やかに暮らす一家だった。
お金に恵まれているとはお世辞にも言えないが、明るくて笑いの絶えない大家族だった。

丸2日取材させてもらったが、撮影し残した分があり、翌早朝、もう一度彼を訪ねた。商いに出掛けようと、小舟に乗ろうとしていた直前に、少し時間を割いてもらって撮影した。
礼を云い、謝礼に僅かなお金を渡してボクたちが立ち去ろうとすると、その男性も「今日の仕事は終わりだ」と帰り支度を始めた。

どうして、仕事に出掛けないのかと聞くと、これまでと今日で十分な謝礼を貰ったので、今日は働く必要はないのだ、答えた。

その理由を聞いて、ボクはやっぱりね、と思った。
だから、後進国の人たちは駄目なんだ、こういう怠け者だから、貧しい生活をすることになるのだ、と即断したのだった。

今になって思い返すと、その時の自分は、なんと幼く傲慢だったのだろうか、と思う。
貧しいのはあの人ではなくて、実は、ボクの方だったのだとも思う。
そして、タイの人たちを馬鹿にした自分の愚かさを恥じる。
この歳になって、やっと、あの壺を売っていた男性一家の暮らしの豊かさに気がつくことができるようになった。

差別意識や優越感などの正体とは、所詮この程度のものである。
それは、自らの無知と愚かさの産物であることを知る。

   「恥ずかしき 思い出多き 記憶箱」


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各局のテレビ局の編成局長の挨拶

昨日、ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)が主催しての、春の交歓会2014と銘打つパーティーがあり、出席した。
ATPは、日本の主なる制作プロダクション126社の組合のようなものである。
総務副大臣やNHKの理事らも出席し、祝辞を述べた。

この会で興味深かったのは、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ、WOWOWの順で登場した各テレビ局の編成局長の挨拶だった。
各局編成局長の挨拶の競演といった格好になったが、各局の挨拶の中で、TBSとフジテレビの挨拶が印象に残った。

TBSの津村昭夫執行役員編成局長は、編成局長に就任してまだ2ヶ月の新米であるとへりくだりつつ、その言葉通りに、若々しく素朴な挨拶を行った。

テレビの価値観の多様化が叫ばれているが、現実のテレビの在り様はその逆で、画一化している。
どこのチャンネルも同じことをやっている。
これではテレビは魅力を失くし、誰もテレビを視なくなってしまう。
この現状を打ち破るのは、作り手の熱い思いしかない。
視聴者に視てもらえる番組作りのために、自分たちテレビの編成もがんばるから、制作プロダクションの番組を作りたいという作り手の気持ちを結集したい、との旨の挨拶だった。

飾ることなく現状のテレビ状況に危機感を抱いていて、それを何とかしたいとの切実な気持ちが伝わって来た。

フジテレビの大多亮常務取締役編成制作局長は、もう少し論理的な調子の挨拶をした。

テレビは、ネットと融合し、これまでの形のテレビでなくなることは必然である、とした上で、しかし、ハードの分野がいかに変貌を遂げようと、変わらないのは、そこで流すソフトを作る人の心である。
この制作したいとの作り手の情熱と質が最も大切で、これさえしっかりしていれば、ハードの変化など問題ではない。
ハードよりハートであり、この本質は100年経っても変わることは無い、と話した。

TBSとフジテレビ両者共に、言葉は異なれども、作り手の情熱とその質が大切だとの主旨の話をされたのが印象的だった。

挨拶をされた編成局長は、共にまだまだお若い方々である。
今後のテレビが、挨拶された本質を生かした形で推移していくことを祈りたい。

   「移り行く テレビと共に 燃え尽きる」


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「日本人より日本人らしい」の意味

言葉は往々にして正直である。
つい、心のうちをのぞかせることがある。

テレビ朝日で放送している「新婚さんいらっしゃい」という長寿番組がある。
登場する新婚さんたちに、司会の桂文枝と山瀬まみが新婚さんならではの話を聞き出す趣向の番組である。

昨日の放送で、中国人男性と日本人女性のカップルが登場した際に、桂文枝が、その中国人男性に対して「あなたは、中国人らしくない感じの方ですね。日本人のように、さわやかな感じで………」という言い方をした。

聞き様によっては、中国人はさわやかではない、とも受けとめられる。
出演した中国人をさわやかだと誉めてはいるのだが、中国人が聞くと気分を悪くするかもしれない。

ただ、文法的には、「中国人らしくない方ですね。」と「日本人のように、さわやかな感じで……」とを別々の文章だと弁解できないこともない。
しかし、恐らく、桂文枝の中国人に対する印象が正直に出て来たのに違いない、と感じられる文脈だった。

ボクの妻は、中国国籍の朝鮮族で、日本の永住権を取得して20年になる。
いま、日本国籍に変えようかどうか迷っている。
そして、時々、「私の故郷はどこなのだろう。私の国はどこなのだろう」とつぶやいている。

その妻は、しばしば、「日本人よりも、日本人らしい」と言われる度に、何だか、日本人に上から目線で見られているようで、嫌な気がした、と云う。
まるで日本人の方が優れていると言っているように感じたらしい。

それを云った人は、郷に入れは郷に従えをよく守って偉いね、との賛辞の褒め言葉であったのかもしれないし、あるいは、妻が感じた様に、どこかに優越感を持って言ったのかもしれない。

桂文枝にしても、妻に日本人よりも、日本人らしい、と云った人にも、差別意識や優越感があるのかどうかは分からない。
しかし、仮にそういった差別意識や優越感があったとして、その正体は実に怪しいものである。

昔は、日本は永い期間、中国から様々な文化や物を輸入させてもらい、言わば中国各王朝の属国として貢物を送り続けていた。
現在は、アメリカに従属しているが、かつては、中国がとても大切な国だった。

日本が、中国を上から目線で見ることができたのは、愚かにも、日本が中国に侵略した20世紀の、ごくわずかな期間だけである。
そして現在、すでに、その中国は経済力も国力も日本を圧倒し、アメリカと対等に張り合おうと目論む大国に成長した。
かつて、短い期間だったが、日本人が中国人に対して持っていた意味無き優越感は、今では、その根拠を失ってしまっている。

国力を競い合い、それの優劣で、それぞれの国民同士が、反発し合ったり、軽蔑したり、差別することは全く幼いことだ。
それは、漠然とボクたちが、昔は後進国、今は発展途上国と称して差別していたアジアの国々も同様である。

今や、ボクたちは、浅薄な優越感や差別意識の根拠などは、微塵も日本には残されていないことを自覚するべきである。

少子化によって、これから多くの国々から人々が日本に押し寄せる。その中には、日本に永住を求める人々が数多く出現するはずである。
それに、戦後から存在し続けている、在日韓国朝鮮人たちがいる。
日本の国際化は、まずは、それらの人たちへの選挙権からすべてがスタートするのではないかと思える。

      「選挙権 要らぬと妻は うそぶくが」


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小指の思い出

小指にも役目がある。
この指が無いと、約束ができない。
「指きり」ができない。

昔、子供たちに「指きりげんまん、嘘ついたら、針千本飲ます」などと言って約束させられたことを幻のように思い出す。
お恥ずかしい事に、初めて知ったのだが、「げんまん」とは「拳万」で、げんこつ一万回のことらしい。

指きりは、ヤクザが不始末を起こした際に、小指を切り落とすので、漠然と、それに関係があるのかなと思っていたが、まったく関係が無いようだ。

なんでも、昔、遊女が自分の気持ちの証として、約束を交わす際に小指を切って添えたというのだが、そんなことが実際に行われていたのだろうか。
もしかすると、遊郭に売られて身動きの出来なくなった遊女が、自由と引き換えに小指を差し出すことがあったのかもしれない。

指きりの、そんな由来を聞くと、簡単に「指きりげんまん」の約束など出来なくなってしまいそうである。

小指と聞くと、ボクなどはすぐに、往年の歌手・伊東ゆかりのヒット曲「小指の思い出」を思い浮かべるが、ボクにも小指の思い出がある。

もう20年近く前のことになる。
ボクもまだ50歳代前半で元気の良かった頃の話である。

その頃は、毎晩、若いスタッフたちと飲み歩いていた。
新宿四谷荒木町に行きつけのスナック「千恵」があり、最後は必ず、その店に辿り着き、明け方近くまで騒いでいたものである。

そんな、いつも飲んでいた若いスタッフのひとりに、とても頑固な男がいた。
彼は、当時、まだそれほど多くはなかったスタッフの長男坊的な存在で、ボクも若い衆のリーダーとして大切にしていた。
原因は忘れたが、激論になり、余りにも、彼の物分かりが悪いので、酒の勢いもあり、それこそ「げんまん」でゴツンと彼の頭を殴った。
ところが、彼は文字通りの、並みはずれた石頭の持ち主で、コブのひとつもできなかった。

それにひきかえ、ボクは右手の小指を剥離骨折し、なんと全治するのに3カ月もかかったのだった。
これが、ボクの恥ずかしくも痛い「小指の思い出」である。
その行きつけだった荒木町のスナックは、お店を閉じて、もう数年になる。

昨日、もうすぐ催す予定の会社のお花見に誘うために、そのスナックを経営していたママのお千恵さんに電話をした。
「わたしも電話をしようと思ってたのよ」と電話越しに明るい声が返って来た。

「来月、故郷の鹿児島のホスピスに入る予定なのよ」
ボクは絶句した。

お千恵さんには、口では語れないほどのお世話になった。
そして迷惑もかけた。
青春時代の多くの時間をお千恵さんの店で過ごしたのだった。
ボクの人生における、いくつもの大切な出会いや別れが、お千恵さんのお店を舞台として展開したのだった。

そのお千恵さんが大腸ガンを患い、昨年の春、手術を受けたことは聞いていた。
「2カ月か、3カ月か………、あと、何カ月の命かは分からないけれど。お花見には身体の調子と相談して行くようにするよ」
無理して明るい調子で話そうとしているお千恵さんの声に、ボクは喘いだ。
すぐには言葉が出なかった。

ガンがそこまでお千恵さんを蝕んでいるとは予想もしていなかった。
20年前に骨折した小指が、急に疼きだすのを感じた。

   「簡単に 今日は書けない 五七五」


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生と死の境界線

とにかく物騒な世の中である。
毎日、毎日、人が殺されたり、命を失ったりしている。
次から次に、大きな事件や事故が起きている。

もっとも、こんなことは、別に今始まった事ではなくて、昔から延々と繰り返されてきたことではある。
しかし、それにしても、その物騒の度合いが、増しているように感じるのはボクの歳のせいだろうか。

同じ死に出会うのにも、自分の責任による死とそうでない死がある。
その原因が、自分の所為であれば、それはそれで仕方がないとも思える。
しかし、不可抗力による死もある。

乗っていた飛行機が墜落するとか、バスや車で事故に出会うとか、また、近頃流行りの無差別殺傷目的の通り魔事件現場に出くわすなどの例もある。
青信号の交差点や安全な筈の歩道を歩いていても、車にはねられるような事件もまま起きている。
いくら、健康に気をつけても、安全に留意しても、自分に非は無くても、防ぎきれない危険に、常に晒されている。

これらの不慮の事件や事故やあるいは突然の病魔は、どう避ければ良いのだろうか。
この不条理はどう始末すればよいのか。
運命なのだと受け入れるしかないのだろうか。
そして、この生と死の境界線はどのように存在しているのだろう。

これまで、生きていることは当たり前のことだと思っていた。
自分が生きていることに疑問など感じたことは無かった。

朝、目覚めれば、一日が待っていて、夜になれば眠りに就く。
そして、その眠りは、必ず目覚めの約束された眠りだと信じてきた。

しかし、最近になって、自分がこれまで無事に生きて来られたことが、奇跡に近い不思議な事に思えてならない。
ボクたちは、死の上に張られた、生という細い一本のロープの上を歩いている、危なげな存在なのだということに、初めて気がついた。

そう考えて、思い返してみると、これまでに死にかけたことが何度となくある。
そして、実際には何も起こらなかったけれど、あの時、もし、というような状況にも数多く思い当たる。
でも、生き延びてこられた。
なぜなのだろう。

知り合いで、ボクよりも若い人たちも、多くが世を去っている。
また、すでに過去に亡くなられた先輩方の年齢を大きく越えてもいる。
これを称して寿命と云うのだろうか、運命と云うのだろうか。

しかし、そのいずれにしても、生や命は、自分の力でコントロールしているものでは無いことだけは、実感できる。
自分の命は、自分のものであると同時に、自分のものではなく、生かされているのだと実感する。
そして、その、命を生かしている存在が、種のエネルギーというものなのかもしれない、などと夢想する。

難しいことは分からない。
しかし、生を許される限り、その生を生き切るしか、所詮、他に方法はないのである。

   「一瞬の 光のごとく 命在り」


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NHKのど自慢の鐘

毎週、日曜日のお昼に放送している「NHKのど自慢」は、NHKの開局以来続いている超長寿番組である。

ボクたちが子供の頃のまだテレビが無かった時代には、ラジオを通して聞いていたものだ。
親たちが聞いているのを、何となく一緒に聞いていたとの覚えがある。
まさに刷り込みに近い番組で、未だに日曜日となると、ついつい習慣のようにNHK総合にチャンネルを合わせるクセがついてしまっている。

一昨日は長崎県壱岐市からの放送だった。
NHK長崎放送局開局80周年記念、壱岐市制施行10周年記念の番組であったらしい。
いかにも公共放送局NHKらしい重々しい番組の位置づけである。

この番組で、自慢ののどを競い合うのは、250組の中から選ばれた20組の出演者たちである。
歌の評価は3段階あり、鐘ひとつ、鐘ふたつ、そして合格者には鐘が連打される仕掛けになっている。

そして、毎回、この番組が巡回する地方の郷土色を出すために、さまざまな職業や年齢やエピソードの持ち主などを取り揃えようとの演出が施されている。
その意味では、歌の上手い下手を競う形をとってはいるが、それよりも歌を通して、出演者の人生のひとコマが感じとれるような意図を持ったちょっと味のある番組でもある。

そこが面白くて、ボクもついつい視てしまうのだが、この番組で、ずっと気がかりになっていたことがある。
それは、鐘の数を判定している審査員がどこの誰なのかが、まったく不明なことである。

その回毎に、審査の基準が異なり、一貫性が無い。
先週は合格ラインの歌が、今週は不合格といった具合である。
だから、その週によって、出演者20組のうち10組が合格することもあれば、少ない週もある。

一昨日の壱岐市の場合の判定も独特だった。
上手ではないけれど、味のある人たちに連打が打ち鳴らされていた。
それはそれで納得はいくが、判定の基準が明確でないところが気に掛る。

もしかすると、審査員はNHKの各地放送局の局員が担当しているのかもしれない。
その局員たちの好みで鐘を鳴らしているから、あれほど評価がマチマチなのではないか。
どうひいき目にみても、玄人の判定とは思えない。
果たして真相は?

お遊び番組とは云え、出演者たちの「NHKのど自慢」に懸ける思いは、ボクたちの想像の外、重く深いものがありそうだ。
審査員を覆面にしていることは、もしかするとNHKの時代錯誤の一例かもしれない。

特別に眼くじらを立てる訳ではないが、それならばいっその事、毎回出演するゲストの歌手たちの判定にした方がスッキリするとも思うのだが、いかがなものだろうか。
スーパーの大根にも生産者の名前が表示される時代なのである。

      「のど自慢 親子三代 鐘ならし」


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島倉千代子の命の歌「からたちの小径」

「からたちの小径」という歌がある。
昨年11月8日に肝臓ガンで亡くなった歌手・島倉千代子が亡くなる3日前にレコーディングした歌である。

この歌は、当初は11月15日に収録する予定だったが、島倉千代子自身が、「その日まで待てない」と急きょ、彼女の自宅に録音機材を持ち込んでのレコーディングになったという。
事実、その収録から3日後に亡くなったのだから、彼女の強い希望が無ければ、この歌は世に存在しなかったことになる。

東京の青山葬儀場でとり行われた彼女の葬儀の際に、この歌が流され、テレビのワイドショーでも繰り返し放送されたので、ボクも聞いた覚えがあった。

この「からたちの小径」は昨年の暮れに、オリコンチャートにも登場して、その後、二週連続で1位になったという。
ボクは、最近、たまたまCS放送の歌謡ポップスチャンネルを視ていて、「からたちの小径」を初めから終わりまで聞くことができた。

優しい、いい歌である。
闘病生活もいよいよ最後の最後、この歌を歌って3日後に亡くなるという時期にでも、人はこういう声を出して、しっかりと歌えるのか、と思いながら聞いた。

とは云っても、のど自慢に出演したら恐らく、合格の鐘は鳴らないだろう。
音程は確かだが、やっと声を出せている。
まさに、わずかな命から絞り出した声に違いなかった。

上手だとか、下手だとかを通り越した歌声というものがあるのだと、初めて知った。
それは、島倉千代子という人でなければ、存在しない歌声だった。
そして、彼女は、自分しか出来ない立派な仕事を世の中の人たちに遺して、命を終えた。

予定していた「その日まで待てない」状態で、それでもなお消えゆく命の灯と闘いながら歌った歌。
なぜ、彼女はそれまでして、歌ったのだろう。
そして、歌えたのだろう。

ボクは、命を失う3日前に、歌うことができるだろうか。
果たして、何ができるのだろうか。

   「限りある 命燃やして 今のうち」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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