FC2ブログ
ホーム   »  2014年03月
Archive | 2014年03月

3・11東日本大震災から3年

3・11の未曾有の大震災からすでに3年が経った。
この3年間に、ボクたちは、この大震災に関連するいくつかの番組を制作している。

「ディスカバリーチャンネル」では農地再生に賭ける青年の話、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」では原発事故による帰村問題に揺れる福島の川内村の1年の記録、「NHKスペシャル」の日本再生シリーズでは、震災特番を二本。
今年になって、NHKの「ETV特集」で新たな農作物の栽培に挑戦する農民たちの一年の記録を放送した。

また同じNHKで、「きらり!えん旅」という東北地方の人たちを励ます30分の支援番組を、レギュラーで制作し続けている。
すでに34作品を制作、放送している。

震災4年目に当たる3月11日を中心に、各テレビ局、それに新聞社各社はそれぞれ、特集番組や特集記事を競って組んだ。
そのほとんどは、遅々として進まぬ震災復興の現状を伝えるものである。
その中で、テレビ朝日の「報道ステーション」が放った、原発事故の被災地・福島の子供たちの甲状腺がんの発症に関する調査報道は、総力を挙げての渾身の番組で、視聴者に大きな衝撃を与えるものだった。

ますます右傾化の度を強めている安倍政権下で、ただひたすら首をすくめ、その言論を自らが封じているマスコミ界にあって、気を吐いている筆頭番組が「報道ステーション」であると思う。
権力に対する公正なチェック機関としてのジャーナリズムの最も大切な基本を忠実に守り抜こうとしている。

早河洋社長が率いるテレビ朝日は勿論のこと、「報道ステーション」を制作しているスタッフには、敬意を払わずにはいられない。
特に、キャスターの古館一郎さんの根性の据え方は立派である。

実は、「報道ステーション」が開始された2004年以来、ボクたちの会社から、常に2名のスタッフをこの番組に参加させてもらってきた。
2~3年置きにスタッフを交代で送り込んできた。
今年の4月からは、とりわけジャーナリスティクな眼を持つ若手とベテランの2人を交代要員として送り込む準備を整えている。

この番組に、スタッフを参加させてもらえることはボクにとっても、とても誇りである。
スタッフにとっても、取材活動の最前線に身を置くことになる訳で、取材の瞬発力を間違いなく身につけることができる。
番組制作とはまた別の世界が展開する。
その体験を有意義なものにするか、どうかは、本人の心がけと能力次第である。

そして何よりも、テレビの番組制作を含めて、ジャーナリズムの世界に身に置く者に共通して言えることだが、常に、身の周りはきれいにしておかなければならない、ということである。
特に、「報道ステーション」のような権力にモノ申すことの多い番組担当者は、何事にも不始末の無いように、権力に付け込まれることの無いように、身を正しておかなければならない。

今年「報道ステーション」から戻って来るスタッフが、どう成長しているか、そして代わりに出て行くスタッフがまた2年後、3年後にどのように成長して戻ってきてくれるかが楽しみである。

      「始めたら 泣くな折れるな くじけるな」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。






世間の人数

よく、世間様に顔向けができない、とか、世間体が悪いから、などと云うけれども、その時の世間とは一体どのような人たちを指しているのか、また何人位の人たちのことを想定しているのだろうか。

人それぞれによって、その人の世間は違っているのだろう。
一部上場の一流企業の社長と馬鹿社長のボクの世間ではその規模も形も違うのは当然である。
そう思って、ボクの世間は、どれほどかを考えてみた。

マンション住まいで、隣近所の住人とは、会えば挨拶をする程度だが、これも世間のうちだろうか。
管理人や、一年に4~5度行く散髪屋の主人や、週に二度、御用聞きに来てくれるクリーニング屋さんは世間のひとりだろうか。

昼飯を食べに行ったり、また何かの時に使わせてもらっている顔馴染みの料理屋やレストランやバーなどは、合わせても、30店くらいがせいぜいの世間だろう。

会社のスタッフが70余名。
それには何十人かの家族が連なるかもしれない。
その人たちもボクの世間だろう。

毎年、800枚ほどの年賀状を書いている。
そのうちの100枚ほどは、儀礼的なものだが、後は、ひとりひとり顔を思い浮かべながら書く。
新旧のさまざまな友人であったり、昔からの仕事仲間だったり、テレビ局関係の人たちだったり、または親戚だったりと、多種多様な、その人たちはボクの世間ということになろうか。

いずれにしても、ボクにとっての世間は、顔が見えている範囲の者に限られているので、大した数ではない。
ある意味、ボクがおかしなことをしたり、恥ずかしいことをすれば、直接言い訳をしたり、謝ったり出来る人たちが、ボクたちの考える世間である。

その意味では、ボクたちの世間は実に狭く、その狭い世間に対して、恥ずかしくないように、申し訳ないことの無いようにと、神経を使い、毎日、汲々として生きている。
それが大多数の善良な市民の生き方というものである。

それにつけても、国会議員の先生方よ。
特に、数少ない貴重な市民の票を荷って国会に臨んでいる野党の先生方よ。
せめて、あなた方に票を投じた、狭い世間のためにでも、自らが恥ずかしくない、責任ある活動を行い、その世間のために、何をすれば良いのかを真剣に考えてもらいたいものである。

      「私利私欲 捨てて世間と 民のため」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。


世紀の万能細胞の発見の謎

理化学研究所の小保方晴子さんが、STAP細胞という万能細胞の作製に成功したとの発表から、およそ一ヶ月半。
どうも、その研究成果が怪しいのではないかとの報道がなされている。

小保方論文の核心となるデーターに、他の画像からの流用があったり、画像に修正が加えられていたり、論文の一部に、他のチームの研究論文を使っていたり、また、この論文にそった実験の再現が各地で試みられているが、未だに成功事例がないなどが、これまでに指摘されていた。

これを受けて、この論文の共著者である山梨大学の若山照彦教授が、10日に記者会見を開き、「自信がなくなった」と論文の撤回を要求する事態に至った。

当初の発表では、このSTAP細胞は、老化した細胞を若返らせたり、体内で臓器を再生させたりする可能性があるというもので、この発見はこれまでの医学界の常識を覆す発想から誕生した画期的発見である、とのことだった。

発見者の小保方晴子さんは、この細胞の作製に至るまでの心情を「泣き明かした夜も多かったけれど、今日一日だけはかんばろう、明日一日だけはがんばろうと毎日思った。そうして3年が経った」と語っていた。
ボクも、この若き研究者の快挙に心からの拍手を送ったひとりである。

当の小保方さん自身はまだ表に登場していないので、詳細は分からないが、共同研究者の教授が論文の撤回を提案するほどだから尋常な事態ではないことは明らかだ。

ただ、一部マスコミで、この論文に関して、ねつ造との言葉を使用していることは気にかかる。
本当にねつ造であるならば、お話にもならないが、この研究が、まだまだ未熟な段階で発表したものである可能性もある。
恐らく、競争の激しい分野の研究で、拙速が禍いしたのかもしれないとも想像できる。
功を焦った勇み足であったのかもしれない。

科学に無知なボクには何も言えないが、もしかすると、本当に世紀の大発見の緒を開くことになるかもしれない未熟な研究の芽を、摘むことだけは避けて欲しいと願うばかりである。
そして、小保方論文が、謝罪会見を行ったインチキ作曲家、佐村河内守と同じ仲間でないことを切に祈りたい。

   「研究も スピード違反 ほどほどに」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。



歴史の真実とは

歴史の事実はどれほどの年月、有効に伝承されていくのだろうか。
10年か、それとも50年だろうか。
それとも、100年、1000年と可能だろうか。

遺跡の発掘などで、2000年以上も前の情報が今に伝えられるケースも確かにある。
しかし、たった数年前の事実も明らかでないこともある。

時の為政者たちは、自分たちに都合の悪い出来ごとは、隠そうとしたり、また都合よく書き換えたりするので、正確な事実として伝わらないことも多いからである。

常に問題になる南京虐殺やナチスのユダヤ人虐殺なども、あったとか、そんな事実は無かったとか、常に、その事実を取り上げる人のその立場によって変わるという厄介な現象が起きる。

そんな類の最近の例では、ポルポトの虐殺がある。
さすがに、ポルポトの虐殺が全く起きなかった、とまで主張する者はいない。
しかし、ベトナム共産党に反対の立場をとる、ポルポト心情派の中には、ポルポトの虐殺に懐疑的で、ポルポト政権のとった極端な政策の数々を認めることができず、歴史の事実を真正面から見ることができない立場をとる者もいる。

改めての説明になるが、ポルポト政権は、中国の毛沢東の農本主義を実践しようとした。
それが、あまりにも教条的で急激であったために、失敗に終わる。

極端な共産主義国に共通する密告制度を取り入れた恐怖政治は、身内同士の争いさえ引き起こし、虐殺を加速させた。

ポルポト政権が真っ先に行った事は、鎖国だった。
海外からの眼を一切封じ、自国のラジオ、テレビ局を閉鎖する。
つまり、国民の一切の言論を封じたのだった。
その意味するところは明白である。
情報を遮断した暗黒の密室政治の敢行である。

外国の音楽は勿論、歌舞音曲の類なども一切禁じた。
そのために、カンボジアの王朝文化である舞踊などの伝統も、一時絶える。
庶民の間での民謡や子守唄はあっても、商業としての歌舞は禁止された。

ポルポトが政権を担う以前のカンボジア共産党とベトナム共産党との確執の歴史は永い。
したがって、ポルポト勢力を追い出した後、カンボジアを制圧したベトナム共産党が、反ポルポトのプロパガンダを大々的に行ったことは当然のことである。
カンボジアを訪れた者が必ず目にする多数の頭蓋骨は、その一例かもしれないが、ポルポト政権の行った虐殺の象徴の図として受け止められる。

実際に虐殺された実数については、明らかではない。
中国の文化大革命同様に、下放処分を受けた多くの都会生活者たちで、病死した人たちも多くいた筈である。
しかし、ポルポト政権下で多数の虐殺が行われたことは、数々の証言で明らかで、否定しようもない事実である。

ボクの生涯の友であった馬渕直城も、ポルポト心情派として、その一生をカンボジアのために費やした男である。
その彼もポルポトの虐殺を否定したいと思いながら否定できなかった。

馬渕は晩年、ホロコーストは実は無かったのではないか、と真剣にボクに語ったものである。
個人的には、そんな思い入れをする馬渕という男がたまらなく好きだったし、彼がそのように思いたい理由は良く分かっていたが、この件については馬渕に分はなかった。
残念なことに、人は自らが信じたい物語を生み出してしまうのだ。

歴史に、もし、は無いとは云うが、しかし、もし、ポルポト政権が存続していれば、カンボジアからは虐殺の歴史は消されていたかもしれない。
ホロコーストも同様である。

そう考えると、ボクたちが正しい歴史的事実だと信じている事象も実はそうではないことがあるかもしれない。
ことほど左様に、歴史の事実とはややこしいものである。
それゆえに、透徹した歴史観が求められるのだろう。

歴史の正体の見極めと同時に、それを論じる人物の正体の見極めが大切である。

   「ほんとかな 歴史は夜に 作られる」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





設立26周年記念日

先週の金曜日、3月7日はオルタスジャパン設立26周年記念の日だった。
会社で、ごく内輪だけのお祝いの乾杯を行った。

たった6人で始めた会社だったが、スタッフ70人を越える大所帯までに成長した。
設立当時のスタッフは、3名がすでにこの世を去り、2名が会社を去った。

現在残っているのは、ボクと、当時お祝いに頂いた数本の幸せの木だけである。
その幸せの木は何日か前に、甘い香りを漂わせて白い花を咲かせていた。
設立記念を祝ってくれているのだとボクは密かに眺めていた。

設立のメンバーで、昨年、会社を離れた星野敏子さんもお祝いに駆けつけてくれた。
元気そうで、相変わらず重そうなバッグを下げ、忙しそうにしていた。

脚本家で作家の早坂暁先生も、「今日、順天堂病院から退院してきたよ」とわざわざお祝いに日本酒を持って、お越しいただいた。
去年の暮の忘年会の時も入院されていて、お見えになれなかった。
今回も、貧血がひどくて二週間ほど入院されていたとのことだった。

そう言われれば、去年にお会いした時も、顔色が少し、白っぽいなあ、と心配していたのだった。
見た目はお元気だし、話しっぷりも変わらないが、考えてみれば先生も、今年85歳を迎えられる。

「オルタスジャパンは、僕の意識の中では、日本テレビの牛山純一さんを継いでいる会社なんですよ。だからがんばってもらわなくてはね」と先生はおっしゃった。

牛山純一さんは、日本テレビのドキュメンタリーの生みの親でもあり、育ての親でもある。
というよりも、日本のテレビドキュメンタリーの創始者といっても過言ではない人物である。

先述した設立メンバーの星野敏子さんと、やはり設立メンバーですでに亡くなった日野成道さんも牛山純一さんの下で鍛えられた。
ボクも末席を汚したひとりである。

早坂先生も、牛山さんがプロデュースされていた日本テレビの看板ドキュメンタリー番組であった「ノンフィクション劇場」の制作に参画する、牛山ファミリィーのおひとりだった。

牛山純一さんは、かつて、日本テレビを勇退され、ご自分で日本映像記録センターというプロダクションを立ち上げられたが、今は存在しない。

牛山純一さんを継いでいるとの、早坂先生の言葉は、身に余る光栄である。
実際には、ボクたちには、とても、そんな実力はそなわってはいないが、設立記念日のお祝いの言葉として、重く受け止めさせていただくことにした。

「僕はあと20年はがんばりますよ」と早坂先生は平然とした顔で言われた。
オルタスジャパンも、設立50周年を目指さなければならないようである。

   「あと一年 もう一年と 踏みしめる」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。




悲惨な権力者たち

権力を求める者が、別の権力によって打ち負かされ、倒されることは当然である。
それは理屈通りで、何の不思議もない。

ただ、不思議なのは、権力者の多くが、富の集中を図り、腐敗し、自らが滅びて行くことである。
多くの権力者が、見事に、同じ道を辿るようである。

ウクライナという普段はあまり馴染みのない国で、3カ月以上も前から、国を揺るがすような騒ぎが起きていた。
ボクは、ロシアはもとより東欧諸国には旅したことがなく、土地勘や肌合いのようなものが全く理解できていないのだが、ウクライナというのはなかなか要衝の地であるようだ。

ウクライナはソ連邦の崩壊で独立した人口4500万人ほどの国である。
この国を南北に流れるドニエプル川が、国を西部地方と南部地方に分けている。
この西部と南部は、それぞれ、民族、言語、宗教それに歴史が全く異なっているらしい。
ヨーロッパに接し、近い関係にある西部は穀倉地帯、一方東部はロシアと密接で工業地帯となっているという。

そのウクライナのヤヌコーヴィチ大統領は、EUへの加盟を目指していたが、ロシアの強い圧力を受けて、加盟直前に急きょ態度を翻した。
これが発端となり、大きなデモが発生、曲折を経た末、ついに反政府勢力により政権は崩壊し、それまでの責任を問われ、追及を受けた末、大統領をはじめ一家は首都キエフを脱出する事態となった。

ロシアのプーチン大統領はウクライナに軍隊を送り、軍事介入を行ったため、現在、アメリカとEU欧州連合、それにロシアとの対立が深刻化している。

こういう国際間の争いは不幸なことではあるが、紛争は、あまりにも日常茶飯事でもあるので、ああ、また紛争が起きているのか、とボクたちは遠くから眺めているしかない。
大国間の綱引きの結果、ウクライナという国が分裂するのか、あるいは更なる紛争の拡大につながるのか、折り合いをつけて収まるのか、素人のボクには、皆目、見当もつかない。
そこから学ぶものを見つけ出すだけの分析力もない。

しかし、そんな中で、枝葉末節ではあるが、ヤヌコーヴィチ大統領が犯罪者として、民衆から国を追われた理由については考えてしまう。

大統領が首都キエフを逃げ出した後、郊外にある、大統領の大邸宅が公開された。
高価なシャンデリアで飾られた豪華な邸宅からは、大統領一家の贅沢な暮らし振りがうかがわれた。

広大な敷地には、巨大な船を浮かべた池や、クマやダチョウや羊などのいる動物園や、また乗馬は勿論、狩猟の出来る区画などもあった。
倉庫には、黒塗りの高級大型車やスポーツカーなど10数台が納められていた。
大統領が逃げ出した際の荷物があまりにも多過ぎたために、輸送機が揺らぐほどだったとも伝えられている。

ヤヌコーヴィチ大統領もまた、これまでの多くの権力者たちが陥ったと同じ過ちを犯したひとりに違いない。
過ちの中味は、不当な富の蓄積である。

ボクは元来、それが例え合法であれ、異常な富の集中は、不道徳であるだけでなく、罪悪であると考えている。
富は分配されるべきものであると考えている。

その仕組みがいかに合法的であろうとも、極端な富の集中は、間違いなく貧しい者たちからの収奪であり、その行為が、さらに貧しい者たちを生み出すことにつながるからである。
商人や企業に対してもボクはそう考えている。
ましてや、政治家においてはなおさらのことである。

もし、ヤヌコーヴィチ大統領が国家や国民の幸せを考える、清廉潔白な政治家であったとしたら、仮に、政治のかじ取りに失敗したとしても、自らの国を追われるような、惨めで恥ずかしいことにはならなかったに違いない。
国の責任者が、国家や国民よりも、自らの富を大切にすれば、国民から切り捨てられるのは当然のことである。

権力の正体とは、富の正体とは一体どういうものなのだろうか。
そのふたつ共に、ボクなどには縁の無い、まったく見当もつかない代物である。

      「貧乏に 生まれて良かった 幸せだ」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





世界で一番の意味

いつだったか、民主党が行った事業仕訳の際に蓮舫議員が「世界一になる理由はどこにあるんでしょうか?2位じゃだめなんでしょうか?」と発言し、ひんしゅくを買う出来事があった。

しかし、今あらためて考えると、その言葉の意味は深いかもしれない。
なぜなら、本当は世界一を目指すことは、国を滅ぼすことになるのではないかと思えるからである。

栄えた国は必ず滅びる。
ギリシャ、ローマ帝国、エジプト王国、ペルシャ帝国、サラセン帝国、インカ帝国、スペイン、ポルトガル、オランダ、カンボジア王国、中国の各王朝、モンゴル帝国など、思いつくままに名前を挙げても、その時代、時代に栄えた国々は、必ず滅びるか、衰退していった。
そのことはこれまでの歴史が証明している。

近年では、アメリカが世界を牛耳ってきたが、すでにかげりが見えている。
これとて永く続く訳は無い。
お釈迦様も無常を説いておられる。
世界で一番になどなると、碌な事にならないだろうと云うこと位は、直感的に分かる。

そこまで大きな話でなくても同じような例えがある。
かつて、オリンピックのゴールドメダリストたちのその後を描く番組企画をしたが、挫折したことがある。
その理由は、多くのゴールドメダリストたちの、その後の人生が悲惨過ぎて、番組に出来なかったからである。
それが、人生の一番の栄光を手にした者が辿る運命なのかもしれないのである。

弱肉強食の競争社会にボクたちは生きているので、ついつい一番を目指すクセがついている。
子供のころから、そういう教育方針の下で過ごしてきている。

しかし、本当は、その考えに従っての生き方は、不幸しか導き出さないこともこれまで実証されてきたし、多くの人たちもそのことを良く知っている。

ビリになる者も、たとえ競争に勝ち残って一番になった者も、結局は同じように不幸になるのだということは、すでに明らかなのである。
しかし、それでも人は一番を目指してしまう。
まさに愚かとしか言いようが無いのだが、これが業と云うものである。

しかし、この業は本来は、国家の政策で削ぎ落すことが出来ると思うのだ。
一番を目指さない、国家や国民の在り様は存在すると思っている。

現実に、一番のグループは常にごく少数であり、ビリもまた少数なのである。
圧倒的多数者は、中庸グループである。

懐かしむ訳ではないが、中間層といわれる、豊かでもなく、また貧しくも無い人たちが中心となって国家を形成していた、すぐ前までの日本の形はひとつの理想である。

かつてのアメリカンドリームなどという愚かな宣伝文句の幻想に踊らされることはない。
そんなものには価値はないことをボクたちはすでに知ったはずである。

便利良さを抑制し、物質的豊かさを抑制する。
一番高価なものや、一番おいしいものは求めない。
もともと、一番高価なものを手にすることが出来るのは、一部の富裕層の人々だけなのだ。

初めから、幻想を求めることをしない生活があるはずである。
これまでの、物質的価値一辺倒の価値観から、精神的価値観への転換を図れば良いだけの話である。

そういう生き方をするとの覚悟をボクたち国民がすれば、すべての国民が飢えることのない普通の生活が保障されるのではないか。

餓死しては困るが、贅沢をしないごくごく普通の暮らしで満足する気持ちをボクたちが持てば、あるいは、少しの貧乏や不便を我慢する覚悟ができれば、ボクたちはもっと幸せになれるのではないか。
原発の問題も、靖国参拝も、憲法改正などの諸問題も即座に解決するのではないか。

貧しくなることを恐れる気持ちが、ボクたちの国をより不幸な方向に進めているのだと思えてならないのである。

   「情けなや 貧乏人の ひがみかな」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





「アンネの日記」事件で思いだした事

公立図書館の「アンネの日記」などの書籍が破られたとの事件があり、それに対してアメリカのユダヤ人人権団体サイモン・ヴイーゼンタール・センターが「衝撃と深い憂慮を表明する」との声明を出した。
そして、日本政府に犯人の検挙を強く求めている。
このユダヤ人人権団体サイモン・ヴイーゼンタール・センターについて、思いだしたことがある。

1995年の出来ごとなので、もう20年近く前のことになる。

放送作家の羽柴秀彦さんが暗い顔をして、面倒なことが起きた、とおっしゃる。
羽柴さんの話によると、彼が構成と監修を請け負っている日本テレビの日曜日朝のワイドショー番組にレギュラーコメンテイターとして毎週出演している花田紀凱氏が突如、番組から外されることが決定し、その対応に困っているとのことだった。

事情を聞くと、こうだった。
当時花田紀凱氏は文芸春秋社が発行する雑誌「マルコポーロ」の編集長をしていた。
その「マルコポーロ」の1995年1月17日の発売号に掲載された西岡昌紀氏の寄稿記事「戦後世界史最大のタブー・ ナチ『ガス室』はなかった」に対し、くだんのサイモン・ヴイーゼンタール・センターが抗議した。
その記事の内容が、ナチスによるユダヤ人虐殺は無かったというものであったからである。

どうやら、同センターからの圧力で番組スポンサーの大手農業機器メーカーであるクボタが番組から降りるとの騒ぎになり、その対応策としてテレビ局が編集責任者の花田氏の番組降板を決めたというものであるらしかった。

その話を聞いて、天下のクボタを脅すことができるユダヤの力は恐ろしいですね、と羽柴さんと話し合ったものである。

そのことがあった後、もっと驚く事態が起きた。

サイモン・ヴイーゼンタール・センターの働きかけにより、世界最大のタバコメーカーであるフィリップモリス社、マイクロソフト社、三菱自動車、フォルクスワーゲンなどの大手企業が文芸春秋社への広告出稿を拒否したのである。

「マルコポーロ」誌だけではなく、月刊誌「文芸春秋」や「週刊文春」についていたスポンサーが次々と降り出し、文芸春秋社は事態の深刻さに気付くこととなる。

結局、文芸春秋社は、サイモン・ヴィーゼンタール・センターに対し、全面的に謝罪し、「マルコポーロ」は廃刊、花田紀凱編集長は編集長を解任され、田中健五社長が社長を辞任するという前代未聞の結末となった。
実際には、事件はこれだけでは終わらず、同センターの文芸春秋社に対する攻撃は続くのだが、ここでは、あえて割愛する。

その後も、テレビ朝日などのマスコミが、同センターからの抗議を受ける事件があったとも聞く。

同センターの、文芸春秋社への抗議の執拗さや、その暴力的とも思えるやり方には、虐殺に匹敵するほどの凄みを感じないではいられない。
しかし、その執念や怒りが、ナチスから受けた残虐な行為に対して生まれ、70数年間もなお色あせることなく、そのままの形で引き継がれていることをどう受け止めれば良いのか。

このサイモン・ヴイーゼンタール・センターの、自分たちの祖先が過去に受けた虐待を絶対に許さないという執念の凄まじさを見れば、韓国や中国の日本への仕打ちは、まだまだ大人しいものに見える。
ボクたちは、やられた側の痛みをもう一度考えてみなければならないのかもしれない。

      「末代に 恨み重ねつ ユダヤあり」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。



平和を求める心

国と国が仲良く共存していくことは困難なことである。
国境などという厄介なものもある。
実際に、日本は、現在、韓国や中国と、竹島や尖閣列島での争いが、国民感情を左右させる事態を招いている。

その国の正義が必ずしも他国の正義とは一致しないのは当然のことである。
お互いが自国の利益と権利を主張し合えば争うことになる。

しかし、そこに折り合いをつけて、万事を無事に収めることが外交であり、政治である。
どんなことがあっても話し合うとの姿勢と信念を持ち続けることが大切である。
そして、その決め手となるのが、国家の基本理念である。
日本の場合は、平和国家がそれに当たる。

人間の歴史は戦争の歴史であるというのは、決して大げさな表現ではない。
現実に、今なお、世界各地で激しい戦闘が繰り広げられている。
地球上で戦争の無かった日は、一日として無かったのではないか。
それほど平和を維持することは難しいことなのだろう。

一方、戦争がもたらす悲惨さはすべての人々の知るところでもある。
戦争で利益を得る一部の商人やそこに寄生する政治家たちのための戦争を推進することは愚かであることも知っている。
その意味でも、いかに戦争を避けて生きて行くことができるかは、ボクたち平和を望む多くの国民の最も大切なテーマのはずである。

アメリカをはじめ、ロシア、イギリス、フランス、イスラエル、インド、それに中国と、枚挙にいとまの無いほどに、世界中は軍事大国ばかりである。
日本もアメリカの傘の下にありながら、世界有数の軍事大国である。

勢力の均衡が崩れれば、いつ武力で征服されるかもしれぬとの恐怖の中で、各国は生きているにちがいない。
そのために、政治や外交が大きな役割を果たす。

この過程で、大切なのが国家の理念である。
本当に平和を求める国として生きて行くのか、好戦的に生きて行くのか、そこを国家の在り方の基本とするべきである。

日本は自らの憲法で、自らの軍事力の行使について厳しい縛りをつけて、全世界に平和を求める国家であることを宣言した。
そして、70年近く戦争を体験することなく平和な国家を存続することに成功してきた。

しかし、いま、安倍政権は平和を守るための縛りをひとつづつ解いて行こうとしている。
そして、いつでも戦争の出来る好戦的な国であることを世界に向けて宣伝しようとしている。
これは本当に愚かな行為ではないか。
明らかに、日本を戦争に限りなく近づけて行く行為ではないか。

あくまでも、戦争を否定する平和国家としての日本の存在を明確にすべき時であるにもかかわらず、安倍政権は逆の道を強引に進めようとしている。

自民党の良識派のみなさん、そろそろ立ち上がってくれませんか。

      「無残なり 野党不在の 永田町」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。





破られたアンネの日記

東京都内や横浜市の公立図書館で、「アンネの日記」やアンネ・フランクの伝記、またホロコーストに関する本などおよそ300冊以上が破られる事件が起きた。

「アンネの日記」は今さら説明するまでもないが、ユダヤ人の少女アンネ・フランクが、アムステルダムの隠れ家で暮らした13歳の誕生日からナチスに連行されるまでの2年間を書き綴った日記である。
アンネは連行された後、ドイツのベルゲンベルゼン収容所で病死した。
16歳だった。

杉並区の11館、中野区5館、練馬区9館、新宿区・豊島区・西東京市各3館、東久留米市2館の図書館などで、先月上旬以降に事件は起きている。
そして、新たに横浜市でも見つかった。
その後、書店などでも同様の事件が起きているらしい。

これらの事件を受けて、アメリカのユダヤ人人権団体「サイモン・ウイーゼンタール・センター」が、2月20日「衝撃と深い憂慮を表明する」との声明を出すなど、海外にも波紋を広げている。
一方、管官房長官は「きわめて遺憾なこと」と、記者会見で犯行を型通りに非難した。
警視庁は捜査に乗り出したようだ。

この犯行の動機や背景などは、その捜査を待つまでは軽率には論評できないが、この事件のことを聞き、即座に頭をかすめることがある。

それは大きくは、歴史認識の問題である。
例えば、橋下大阪市市長や、NHKの会長発言で問題になった従軍慰安婦の問題しかり、朝鮮人の強制連行の問題しかり、また、南京虐殺もまたしかりである。
そして、その同じ地平上に今回のこの「アンネの日記」事件が連なる。

それらの問題は全部、戦前の日本国家やドイツ国家が犯した、数多い戦争犯罪の歴史に対する認識の問題である。

民主主義国家である現在の日本は、旧体制が犯した戦争犯罪を決して正当化してはならないし、ましてや、日本の大きな恥部である歴史的事実を弁護したり、擁護したり、あるいは隠蔽したりすることは許されることではない。

それにもかかわらず、南京大虐殺を含め、そういった事件は無かったであるとか、また正当化しようとの論を堂々とまかり通そうとしている勢力が、間違いなく、現在の日本で次第に力を増しつつある。

そして、それらの力を背景として、安倍政権は、集団的自衛権をはじめ、憲法改正まで、危険極まりの無い政策を一気に推し進めようとしている。
今度の、「アンネの日記」の事件は、そんな日本の現状を象徴していると思えてならないのである。

果たして、事件の真相はどうなのだろうか。
ネオナチ信奉者やカルトの仕業でなければ幸いである。

それが、杞憂であることを願うが、しかし、仮に杞憂だったとしても、現在日本が抱えている危惧すべき状況が軽減されるわけではない。

かつて、日本が朝鮮半島や中国を侵略し、多くの人々を殺戮し、他国の人々の暮らしを破壊したことは歴史的事実である。
戦前の日本が犯したこの戦争犯罪に、どんな正当な理由をつけても、云い訳をしても、それは、悪あがきに過ぎない。

そういった言動に出会うと、泥棒にも三分の理、との言葉と同時に、盗人猛々しい、との言葉も思い起こす。
いずれにしても恥を知らぬ者の感覚である。

ボクたちにできることは、自らが犯した戦争犯罪の事実を認め、反省し、相手国の人々に償い、今後の自分たちの国家としての生きるべき道筋をしっかりと見極めることしかない。
それができないで、美しい国、など存在できようはずもない。
戦後70年にもなろうとしてまだ、そのことが出来ていないことは本当に恥ずかしいことである。

その意味で、歴史認識の問題は益々重要である。
それは、国家の在り様と存続を左右する大きなテーマだからである。

もっと露骨に云えば、政権の中枢が、従軍慰安婦、南京虐殺、靖国参拝などに関して、現在のような認識を持っている限り、ボクたち国民には、中国や韓国を好きだとか嫌いだとか言える資格がまだ無い、ということなのである。
その根本を改めない限り、韓国や中国と対等には向き合うことができないのである。

ボクたちは、もう一度、ボクたちの国が、どういう歴史を辿ってきたのか、をしっかりと知るべきである。
そして、これからどこへ向かえば良いのかを見つめ直さなければならないのではないだろうか。

      「かつて来た 同じ道など 辿れない」


にほんブログ村 テレビブログ ドキュメンタリー番組へ にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ 人気ブログランキングへ

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。

プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

★ホームページ★

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR