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インフルエンザの猛威

いま、わが社ではインフルエンザが猛威をふるっている。

まず30代の男性プロデューサーが倒れ、ボクの妻が続き、さらに30代の経理の女性、ボクと同年輩の専務取締役が、そしてやはり30代後半の女性プロューサーと次々に冒されて倒れていった。
この間、一週間ほど。
瞬く間の出来ごとである。

A型の者もいればB型の者もいるが、どうも今年のインフルエンザは、熱の出方があまり高くならないのが特徴のようで、自覚するまでに時間がかかるようである。

情けない事に、ボクは糖尿や血圧などの薬をもらうために、1ヶ月に一度、病院に通う身だが、昨日がその日に当たっていたので、ついでにインフルエンザの検査をしてもらおうとしたが、熱が出ていないと検査出来ないと断られた。

妻がインフルエンザであることが判った時、経理担当者の女性が機転を利かした。
当然、妻からボクが感染する可能性が高いと直感した経理担当者は、月末も近いので、数十件ある各社への支払いや、社員をはじめとするスタッフの給与、その他手形の支払いの準備などを、いつもよりも早めに済ませた。

昔と違って、今はネットバンキングがあるので、パソコンの操作ひとつで支払いの予約ができて、こういう時は実に便利である。

「準備万端、いつ社長がインフルエンザに罹っても大丈夫ですよ」とにこやかに笑っていた経理担当の本人がボクよりも先に倒れてしまった。

順序は違ったが、彼女の機転で先々の準備を整えてくれていたお陰で助かった。
予定と異なり、ボクに代わってインフルエンザにかかってくれた彼女には申し訳ないが、感謝である。

とは云っても、インフルエンザのこの猛威の下では、いつボクたちも襲われるかもしれぬと、戦々恐々の日々を送っているところである。

   「流行に 遅れぬようにと 我先に」


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人材異動の季節

4月は何かにつけて新たとなる月のようである。

国家予算の区切りが、4月からが新年度となるので、世の中のいろいろの動きもそれに準じるからだろう。
会社なども3月決算で4月から新しい期を迎えるところも多く、入学、入社などもこの時期である。

テレビ番組の改編期も4月で、各新番組がスタートし、改編期の特別番組などが編成される。
番組が新しくスタートするということは、これまで放送されていた番組が終了するということでもある。

ひとつの番組の終了と誕生は、それを制作するプロダクションにとっては、生死にかかわる大事件である。
そこには、口では簡単には云い尽くせない悲喜こもごもの思いや計算がある。

しかし、4月からの番組編成の大枠は前年の12月頃にはあらかた出来上がっているので、2月のこの時期に改めて大慌てをするということはないが、それでも、4月からの改編に向けては、何かと慌ただしい季節となる。
それはスタッフの異動にも現れる。

極端な云い方をすると、ひとつの番組の終了は、ひとつの会社が潰れるのと同じであり、番組の誕生は、会社を立ち上げるのに似ている。
そこでは、必然的に、人の移動が生じる。
簡単に表現すると、クビになる者もいれば、新しく採用される者も現れるわけである。

テレビ局は、実際の制作スタッフについては、そのほとんどを関連会社を含めた下請けのプロダクションに頼っているので、恐らくテレビ局の番組責任者は、自分たち自身の番組配置には敏感にはなるが、そういった多くの番組失業者のことには無関心であるに違いない。

こういった、番組担当から外れる人たちの多くはプロダクションの責任で吸収され、プロダクションの力で、また新たな番組担当として配置されることになる。
そのためにプロダクションが存在しているのだとの云い方もできる。

しかし、需要と供給のバランスが一致するとは限らない。
だから、今頃の時期は、新しい職場を求めての、かなり多くの人材の動きが活発になるようである。

そして、同時に、この時期に更なるステップアップを図ろうとする意欲的な人材も登場する。
それは、中途採用を積極的に求めているボクたちの会社にとっては、貴重な人材にめぐり会えるチャンスでもある。

ここ連日、何人かの方々とお会いしている。
新たな出会いに期待している。

      「番組は 別れと出会いの 成果物」


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安倍首相にして、このブレーンあり

安倍首相の言動に関する疑問は数多く、枚挙にいとまはないが、なぜ安倍首相がそんなにも飛び跳ねた行動に出ているのかの理由が分かるような出来ごとが続出している。
それは、安倍首相のブレーンと呼ばれている取り巻き連中の言動が、国内外で問題を引き起こすことにより、露わとなった。

自民党参議院議員である衛藤晟一首相補佐官が、昨年の12月26日の安倍首相の靖国参拝に対してアメリカが出した「失望した」との声明を、自らのブログと動画で批判したが、アメリカ側の強い反発等もあり、結局、後に撤回するという出来ごとがあったことは周知である。
衛藤補佐官は、安倍政権発足以来、首相に靖国参拝を促して来ていたひとりである。

また、重ねて、安倍首相の経済ブレーンである本田悦朗内閣官房参与が、米紙のインタビューで「日本の平和と繁栄は旧海軍の神風特攻隊の犠牲の上になりたっており、首相は靖国に参拝しなければならない」と語り波紋を広げた。
彼はまた「首相の勇気を高く評価する。日本の首相が靖国参拝を避けている限り、国際社会での日本の立場は弱い」とも語っている。

官房長官をはじめとして、アメリカへの配慮から、表向きは困ったような振りをしているが、もともと、問題発言をしている人たちは、安倍首相が呼び集めた人たちで、仲良しグループである。

今週日曜日のテレビ朝日の「報道ステーション・サンデー」でも、これらの発言を取り上げていたが、レギュラーコメンテイターの政治評論家と朝日新聞社の論説委員が口を揃えて、「こういった問題発言が側近から出ないように、安倍さんも、もう少し引き締めなければならない」などとコメントしていたが、これなどは、まさに現在の御用マスコミの実態を露呈するかのごとき発言である。

まるで、官房長官の口真似のようである。
あなた方は政治家じゃなくて、ジャーナリズムに身を置いているのですよ、と云いたい。

安倍首相をはじめ、これらの問題発言をしている人たちは、ある意味で確信犯である。
自分たちの信念を語っているはずである。

彼らに発言撤回を求めた管官房長官にしても、ただ政治の形を取り繕うために発言撤回を求めたに過ぎない。

しかし、マスコミの役割はそうではない筈である。
彼らが確信している思想や考え方が時代錯誤であることを問いただすべきである。
一国の首相が靖国参拝をしてはいけないことを、政治家たちに訴えるべきである。
そして、なぜ靖国参拝がいけないのかを、国民に正確に伝えるべきである。

それをしなくて、政治家たちの何を引き締めさせようと云うのか。
本来、取り繕うだけでは済まない、大きなテーマなのではないか。
だから、ボクたち国民も真剣に考えているのではないか。

テレビ朝日の「報道ステーション・サンデー」のキャスター・長野智子さんとは、昔、一緒に仕事をさせていただいたこともあるが、優秀なキャスターだと思うし、この番組も今では珍しい社会派の良心的番組であるとも思う。
しかし、政治家たちに迎合して生きている、訳知り顔の政治評論家や新聞記者は、自分たちの発言にもう少し、責任を持ってもらいたいと思う。

テレビ報道番組は、視聴者に正確な情報を伝え、その事実に基づいて、視聴者自らが考え、判断するための材料を提供する義務がある。
政治家仲間と傷をなめ合う政治の場ではないのだ。

      「マスコミが いつの間にやら 政治家に」


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思いがけない授かり物

先週の金曜日、長女が二番目の子供を出産した。
長女は今年の4月には40歳を迎える。
第二子とは云え、高齢出産だったので、流産の恐れがあったりと、何かにつけて苦労をしたようである。

ボクの周囲にも、40歳を目前に控えて出産を望む女性たちが何人かいるが、こればかりは、本人の意志だけでかなうものではないだけに苦労が多いようである。

日本の女性の場合、第一子を出産する平均年齢が30歳を越えているらしい。
社会に出て活躍する女性の増加と共に、女性の出産年齢も上昇しているが、それはやむを得ぬことである。

しかし、聞いた話では、医学的には、本来の女性の出産年齢の上限は30歳であるらしい。
35歳には高齢出産ということらしいのだが、現実の認識とはかなりのズレがあるようだ。

ボクの長女は計画しての出産ではなく、たまたま授かったということだったようだ。
最初の子は間もなく中学二年生だから、13歳違いの妹ということになる。
ボクとしても、想像もしていなかった思わぬ授かり物に驚きもし、喜びもしている。

昨日、こっそりと会社の仕事を抜け出して、荻窪にある病院を訪ねた。
40年近く前にその病院で、長女も産まれた。
母子二代にわたって同じ病院で産まれたというのも、何か嬉しい。

ガラス越しに産まれたばかりの赤ちゃんたちが10数名、ズラリと並んでいる。

10分、20分と、それほど変化のない赤ん坊の顔を見ているだけなのだが、いくら見ていても飽きない。
そんな親やじいさん、ばあさんたちが群がり、皆が嬉しそうに、それぞれ自分たちの赤ちゃんを眺めている。
そのどの顔も笑顔で溢れている。幸せに満ちた光景である。

一方の赤ちゃんたちは、決して幸せそうな表情には見えない。
どの顔もみんな深刻そうで、むしろ苦しんでいるようにも見える。
何か、難しいことでも考えているような気配もする。

おい、おい、産まれたばかりで、そんなに人生の辛さを先取りして、心配することもないぞ。
せめて今のうちだけは、このひとときだけは、何も考えずゆったりと過ごせよ。

赤ちゃんたちの幸せを心から祈らないではいられない。

      「一瞬の 光のごとき 命かな」


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コウノトリ保存についての意外な話

兵庫県庁の役人で、森林課に勤めている河井周というボクのいとこがいる。

大学の農学部を卒業して以来、森林畑一筋に生きて来た。
当然ながら木材の専門家であるが、キノコについても詳しく、とりわけマツタケについての知識や薀蓄は並みではない。

1年に一度か二度、研修やセミナーのために上京するが、その際には必ず連絡があり、一緒に食事をすることが習慣になっている。
普段はなかなか聞くことのできない、日本の森林関係の実態や内幕などが聞けるのが毎年の楽しみになっている。

彼は兵庫県の丹波笹山という田舎にわざわざ選んで住んでいる。
役人でありながら、出世などにはおよそ興味はなく、独自の人生観に基づいて生きている。
人当たりも良く、決して偏屈な男ではないが、世に云う変わり者に属しているかもしれない。
彼とは、なぜか気脈の通じ合うものがあり、話していると時の経つのを忘れてしまう。

ちなみに、マツタケは、ユーラシア大陸の、フィンランドやノルウェーからモンゴル、中国、北朝鮮に連なる地理的な流れで獲れるので、それらの国々のマツタケは日本のマツタケとまったく同じだという。
ただ中国産については別種類もあるので要注意だとか。

カナダ、アメリカ、メキシコなど新大陸では、松をはじめ、植物の植生がユーラシア大陸とは異なるので、姿形は同じでもマツタケとは似て非なるものらしい。
モロッコなどアフリカ大陸の物も別種らしい。

マツタケは時間が経つにつれて香りが飛んでしまうので、本来は美味しい中国産のマツタケも、日本のお店に並ぶ頃には香りが無くなっているのだそうだ。

彼が住んでいるのは丹波だが、わざわざ山を越えた、但馬地方の豊原市のコウノトリ保存会に積極的に参加しているという。

保存会の人たちは、人とコウノトリが共生できる環境を作ることが、つまりは、地元の安全な農作物の生産につながるのだと考えている。
単純にコウノトリを保存するだけではなく、それを安全な農作物の生産にまで発展させる発想は素晴らしいと思う。

新潟県佐渡のトキと同様、一度はコウノシリも絶滅したらしい。
その絶滅の理由は意外なものだった。

ボクは農薬の使用により、水田などの水が汚染され、昆虫をはじめ、ドジョウや小魚などが死滅したために、コウノトリのエサが無くなり、結局コウノトリが生きて行けなくなったのだと思っていたのだが、実際はそうではないらしい。

勿論、農薬の影響もあるにはあったらしいが、実は水田に水を引く灌漑の仕組みにその主なる原因があったのだという。

水田には、水を引き込むための灌漑用水路と、水田から水を抜くための排水路があるらしい。
昔は、これらの水は同じ平面上で循環させていたが、近代農法に変わってからは、灌漑用水路と排水路はその高さを変えたために、水は循環しなくなり、一度、排水路から水と共に流された水田の生き物たちは、二度と水田に戻れなくなり、やがて、水田一帯の水場から生き物たちは姿を消すことになった。

それが、コウノトリたちのエサ不足を招き、絶滅の主たる原因であることが分かり、現在、豊原市の水田では、別の水路を準備し、排水路からの水の循環を図っているらしい。

意外な原因にボクも驚いたのだが、人間にとっての便利良さや効率だけを採用すると、他の動物たちの絶滅を招くのは通例とは云え、ちょっとした工夫で、人間と動物とが共生でき、それが人間の命を守ることにつながるのならば、素敵なことである。

ちょっと変わり者のいとこ、森林の専門家・河井周にエールを送りたいと思う。

      「面倒な ひと手間かけて 命生み」


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かつてのスタッフからの相談

最近、久し振りに悩んだことがある。

5年ほど前に辞めた、かつての社員だった男性から連絡があり、相談があるという。
そこで、今年に入ってすぐの頃に本人から話を聞いた。

彼は、10数年間わが社で働いていたスタッフだった。
アシスタントから始まり、ディレクターを体験し、辞めた頃はプロデューサーをしていた。
決して器用ではないが、コツコツと物事を処理していくタイプの誠実で有用な人物だった。

それが、ある日、突然辞めたいと云いだした。
全く別の業界の仕事をやりたいとのことだった。
その仕事の説明は控えるが、ひとりで開業するといった内容のものだった。

ボクは、去る者は追わない主義である。
そうは云っても、その理由は確かめるし、場合によっては引き留めることもある。
しかし、理由がはっきりすれば、それ以上は留めることはしない。

本人たちの辞めたい理由はさまざまだが、たいていの場合は本人サイドの理由による。
まずは、一方的に本人の都合で辞めて行く。
それはある意味、実に一方的で、通告を受けるボクにとっては暴力的でさえある。

一度離れた心は戻らない。
心が離れるのには理由のあるのは当然だが、それはお互いの縁というものだから無理をしても仕方がない。
万事は一期一会。
そこまでの縁である。
ボクは徹底してそう信じているので、去る者追わずと決めている。

彼との場合もそうだった。急に辞められて、困ったが、それは仕方のないことだった。
対応するしかない。
そうして、彼との5年の月日が経ったのだった。

彼の話とは、再び、会社に復職したいというものだった。
現在の仕事は独りでやっているので、その孤独に耐えきれなくなった、というのが大きな理由だった。

ボクは、返事を保留し1ヶ月以上が過ぎた。
その間、幹部社員たちにも相談し、意見を聞いた。
実際に、一度辞めて復職したスタッフは現在2名いる。

去る者追わず、と同様に、来る者拒まず、の原則も、許す限りは大切にしている。
そして、悩んだ末に、結論を出した。
断ることにしたのだった。

理由は二つである。
今年50歳になる彼が復職しても、働けるのはせいぜい後10年だろう。
妻子もある。
それならば、今の自営の仕事を続ける方が良いだろう。

ボクもあと何年がんばれるかの保証はない。
将来的に渡って彼の面倒をみられない。

もうひとつは、彼の5年のブランクだった。
この5年の間にテレビの世界も大きく様変わりした。
以前に比べ、人情の入りこむ隙間も狭くなり、世知辛くなった。

よほどタフで強靭な精神力を持たないと、とても過酷なこの業界で生きることはできない。
現実に離脱者も出している、この状況に戻ることは難しいのではないか、というものである。

タイミングとは実に大切で、一度離れた心を取り戻すのは大変な作業なのである。

彼からは、了解したとのメールを受け取った。
ボクの下した判断に恐らく間違いはないと確信しているが、どこか心が痛む。

      「覆水の 盆に返らぬ こと多く」


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日の丸飛行隊

毎日のテレビで、冬季オリンピックが賑やかに伝えられている。
たしかに、4年に一度のスポーツの祭典だから、それはそれで良いのだが、正直に云うと少し辟易してきたなあ、という感じもある。

とにかく、テレビの画面はガンバレ日本の合唱の声で溢れていて、勿論、ボクも人並みの日本人である以上は、日本選手を心から応援してはいるのだが、テレビであんまりその声が大き過ぎると、気持ちが引けてしまう。

選手以外の皆さんが、テレビ画面の中で、そんなにがんばらなくても、ボクたちはしっかりと見ていますよ、といった感じにもなる。

そんな中で、スキージャンプ男子団体で日本選手たちが銅メダルを獲ったと報じられた。
7回目のオリンピック出場を果たし、今回のラージヒルで見事銀メダルを手にした41歳の葛西紀明選手をリーダーに、清水、竹内、伊東選手たちががんばった。

これは1998年の長野オリンピック以来、実に16年振りの快挙で、特にリーダーの葛西選手にとっては因縁の悲願を果たしたようだ。

他の選手たちも難病を抱えていたり、またヒザの痛みをおしての出場であったりと、各選手それぞれに語り尽くせぬドラマがあり、銅メダルを獲ることができたことは本当に良かったと祝福できた。

しかし、朝8時から始まるフジテレビのワイドショー小倉智昭の「とくだね」の中で、彼らのことを「日の丸飛行隊」と称していたのが少し気になった。

とりたてるほどでもないが、思わず、太平洋戦争時の特攻隊を連想して違和感を覚えた。

続けて、そのすぐ後の「ノンストップ・タブロイド」でも同じように「日の丸飛行隊」と報じていた。
たまたま、その夜、同じチャンネルでオリンピック特集を放送していたが、やはり「日の丸飛行隊」を使用していた。

何だかひっかかる。
そして同時に時代の変化を感じる。

日の丸や君が代の是非が問われていた時代があった。
そして、それはそんなに遠い昔の話ではない。

その是非や賛否は別として、恐らく、「日の丸飛行隊」なる見出しは20年前にはテレビや新聞で使おうと発想するマスコミ人は存在しなかったのではないか。

特別に調べた訳でもないので、他のメディアやチャンネルで「日の丸飛行隊」の見出しが使われていたのかは分からない。
さすがにNHKで視た記憶はない。

フジテレビならでは、とも思うが、一日を通して各番組で使用するというのは、局の編成方針に基づくものであろうから、余程気に入ったのだろう。
いったい、何歳くらいの、どういった人が考え出した言葉なのだろうか。

少なくとも、ボクはその言葉に違和感を覚えた。

こんな小さな言葉づかいの積み重ねが、次第に世論を形作っていくのだろう。
そして、何年、何十年と経つうちに、それが動かし難い常識となり、ひとつの社会のコンセンサスとなり、それに基づく国家が形成されるのに違いない。
恐ろしいことであると思う。

   「日の丸と 君が代セットの 体育祭」


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マスコミ人の覚醒を求めたい

世の中、風船のようなもので、どこかを押せば、どこかが膨らむ。
どこかがへこめば、どこかが飛び出す。
全てが丸く収まり、満足いくという訳にはいかないのが道理である。

100人いれば100通りの考え方があるので、3人寄れば文殊の知恵もある代わりに、3人寄ればもめ事のタネも増える。
ましてや1億人以上もの人たちが集まっている日本という国がどうあるべきか、などの壮大なテーマともなれば、そう簡単に収まる話ではない。

福祉をどうするか、年金をどう立て直すか、税金の形をどうするか、選挙制度は、憲法違反と指摘されている国会議員の定数是正は、TPPは、またエネルギー政策は、なかんずく原発をどう考えるか、沖縄を象徴とする基地問題は、安全保障は、そして憲法は………。

数え上げればキリなく、世の中の人たちの意見が対立するような問題が目白押しである。国家が存在し、人々の営みがある限りはそういった諸問題のあることは不思議でもなく、当然のことである。
そして、これらの諸問題をひとつづつ丁寧に、かつ民主的に方針を決定し、解決していくのが政治である。

この方針決定のプロセスが大切で、ボクたちの社会では民主主義という方式でその決定が行われているのだが、衆参両議院選挙における自民党の圧勝で、自民党の横暴ぶりが著しくなり始め、民主主義の在り様が怪しくなり始めている。

多数決が民主主義の原則であるから、一旦、国民が国会議員を選んでしまうとその専横振りが酷くともなかなか手が出せなくなる。

こういった時の本来機能すべき機関が、マスコミである。
元来、マスコミはあくまでも権力に対するチェック機関としての大きな役割を担っている。
今のマスコミは、そう云った機能を積極的に果たせているのだろうか。

たしかに、多くのマスコミ各社は企業だから、生き延びるのに必死で、どうしても権力に擦り寄る傾向にある。
しかし、その言論については国民も厳しくチェックしているので、時の政権との距離感は大切で、権力を恐れ、権力におもねり、権力べったりでは視聴者や購読者の信頼を失うことにもなる。

マスコミが、戦争犯罪に加担した戦前の新聞社のように、時の政権のお抱えの御用機関となってはおしまいである。
いま、多くの国民はその様子をじっと注視している。

まず、声を出し、議論することが必要である。正しいか、間違っているかは大いに議論し、おかしいことはおかしいと発言することが必要である。マスコミがその役割を積極的に果たすことが必要である。
民主主義は決定よりも、その決定の過程が重要である。

マスコミ内部に属するマスコミ人と呼ばれる人々も、そろそろ覚醒するべきである。
黙って、息をひそめ、時の過ぎゆくのを待っているだけでは、決して望ましい時は訪れることはない。

大マスコミの組織の内部からの声が今こそ求められているのではないか。

      「ひとまずは 実行なくとも 有言で」


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独裁者への道を歩まさないために

おそらくボクたちは世界でも有数の民主的な国に住んでいる。
ボクはそう思っている。

少なくとも、アメリカやイギリス、フランスなどよりもよほど民主的で住みやすい国なのではないか、と勝手に思い込んでもいる。
それが証拠に、ボクたちの国は、この70年近く、戦争による戦死者を出していない。

日本国憲法という世界に誇れる平和憲法を有し、整然と選挙を行い、議会制民主主義を守り抜いている。
こんな立派な国は世界に誇ってもよいのではないか、とさえ思っている。

しかし、今、ボクたちはこの国の行方について不安を感じ、本気で心配している。
ボクたちの生活の土台である平和を守っている大切な憲法がその姿を変えようとしているからだ。

今月12日に行われた衆院予算委員会で、憲法改正でなく、解釈変更により集団的自衛権の行使を容認できるかと問われた安倍首相は「憲法解釈の最高責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持ち、選挙で国民の審判を受ける」と答弁した。

憲法解釈は首相が決められる、としたこの発言は、憲法の立憲主義を大きく否定するもので野党は勿論、自民党の良識派からも批判の声が出ている。

このブログでもすでに触れたが、2月3日の衆院予算委員会で安倍首相は、憲法が国家権力を縛るのは王権時代の古い考えだとして、立憲主義を否定する答弁を行っているが、それからさらにエスカレートの度を増している。

改めて言うまでもないことかもしれないが、集団的自衛権とは、日本の同盟国が武力攻撃を受けた際に、日本が直接の攻撃を受けていなくても、日本への攻撃であるとみなし武力による反撃ができる権利のことを云う。
しかし、日本は「憲法第9条により、自国の防衛以外に武力行使はできない」として、この集団的自衛権の行使はできないとしてきた。

それを、首相の判断で変更できるという考えは、実に乱暴である。

2月16日付の琉球新報は「世界で最も民主的で先進的と言われたワイマール憲法をナチス政権が『全権委任法』によって有名無実化した戦前ドイツの悪夢を想起させる。「法の支配」を標榜する民主国家日本においてかりそめにもそのような独裁的手法は許されない」と断じている。

日本に民主主義が根付いていないとは、かつてボクたちが若いころに耳にした言葉である。
今、日本国民が自らの意思で選択した首相が、その言葉通りに、民主主義を踏みにじろうとしている。
愚かにも独裁の道を歩もうとしている。

自民党の中にも、保守本流を自認する良識ある政治家たちがいる筈である。
野党が右傾化する中で、ボクたちが最後の頼りとするところが、政権与党である自民党内の健全なる保守本流派であるとすれば、笑い話では済まない、まさに大悲喜劇である。
 
  「手続きの 面倒くさきが 民主主義」


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冬季オリンピックの戦士たち

冬季オリンピックが華やかに開催されている。
4年に一度行われる世界最高峰のスポーツの祭典に国を挙げての応援合戦が行われている。

NHKなども結構露骨に「これはオリンピックに参加している日本選手を応援する番組である」と堂々と位置付けて放送している。

別にとりたてて云うほどのことでもないが、ボクの記憶だと過去のNHKのオリンピック報道番組で、こういった日本選手応援の位置づけ番組は初めての試みではないかと思うのだが、どうだったか。
日頃、客観報道を重視しているNHKとしてはとても珍しいことであると妙な違和感を感じているのはボクだけだろうか。

大震災で被災した東北の人たちを応援する番組はあるが、オリンピックとなるといささか趣は異なる。
何となく、安っぽいナショナリズムの匂いがしないでもない。

しかし、そうは云っても、オリンピックは国家と国家の熾烈な戦いの場であることは否定できない。
勝利者は個人が表彰台に上がってその栄誉を受けるが、必ず国旗が掲揚され、国歌が演奏される。
どうみても、国家の栄誉を競い合う形を変えた戦争であり、選手たちは間違いなく、その国を代表する戦士である。

オリンピックに向けての諸費用も国家が負担する訳で、国家お抱えのスポーツ兵士である。
男子フィギュアスケートで見事優勝した羽生結弦選手に、安倍首相が直接電話をかけるところを、わざわざNHKにテレビ取材させ、放送させるなどは、まさにその象徴的現れである。

その意味では、参加選手たちに悲愴感が漂うのも致し方のないことである。
ワールドカップで今季10勝を挙げるなど圧倒的な強さを見せ、金メダル間違いなしと、期待されていた女子ジャンプの天才少女、高橋沙羅サンでさえ、その重圧に勝てなかった。

そんな中、15歳で史上最年少銀メダリストとなったスノーボードの平野歩夢クンなどはそういった戦士像からはほど遠い存在で面白い。
彼の本当の心の中は分からないけれど、恐らく彼の中には国家など存在しなくて、純粋にスポーツを楽しんでいる。

そうだからメダルがとれたのか、天才だからとれたのか、その因果関係は定かではないが、メダルがとれたからまずは良かった。

時折、メダルにも遠く届かなかったのに、「楽しみました」などとインタビューに答えている選手に出会うが、この人は戦士としての自覚が無かったから負けたのだな、とついつい思ってしまう。

どうしても、国家の影が選手たちの背景にちらつくので、ストレートに選手たちの言葉や心情を受け止めることができない。
平野歩夢クンも、もしメダルがとれていなかったら、やっぱりね、あれじゃあね、などと思われたに違いないのだ。

世界の一流選手たちの極上の技に触れ、迫力のある戦いを見ることができることはとても楽しいし、嬉しいことではある。

しかし一方で、自らが選んだ道とは云いながら、それぞれ参加選手の抱える重圧感は計り知れないだろう。
特に、日本国民の期待を一身に背負って競技に臨むフィギュアスケートの浅田真央選手たちのことを考えると、試合結果を待つまでも無く、今から心が痛んでしまう。
まったく、ボクも歳をとったものである。

      「吾もまた 企業戦士の 定め持ち」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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