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月末と糖尿病と血圧の数値

10月もいよいよ最後の日となった。

月末は会社にとっては特別な日で、入金日であると同時に支払い日でもある。

当たり前の話だが、月末に入って来るお金が出て行くお金より多いと良いのだが、その逆だと大慌てで手当てしなければならない。
だから月末は緊張の一日なのである。
幸運にも、今月も何とか凌げた。

こんなハラハラドキドキのその日暮らしを20年以上も続けて来た。
そのしんどさが分かる人たちから「本当に大変ですねぇ」と同情と哀れみとが混じった言葉を頂くが、その度に「いえいえ、このスリルとサスペンスこそが魅力で、何事にも代え難い。この刺激が堪らなくてね」などと対応している。

それはまんざら口先だけではなくて、本当にそう感じてもいるのだ。
ある時はマゾヒスティックに、またある時はサディスティックに過ごす一日々々に喜びを見出してもいる。
もし、この刺激が無くなると面白くなくなるのだろうなあ、などと馬鹿なことを考えたりもしてきた。

しかし、お陰さまで、ここのところ半年ほどは、仕事が一応順調に運んでいて、それほど切羽詰まった状況ではなくなっている。
余裕はないが、これまでと比べれば、比較的楽な月末を迎えることができている。

ところでボクは過去に糖尿病と高血圧と高脂血症だと診断され、それ以来、月に一度必ず病院に検査に通っている。

しかし、不思議なことに、この2~3カ月の病状の数値が妙に良いのだ。

9月にタバコを止めてから10キロばかり体重が増え、85キロになった。
普通は体重が増えると血糖値や中性脂肪やコレステロールの数値が上がるのだが、逆に下がって、血圧も含め全部標準数値内に納まってしまっている。
もっとも薬は飲んでいるが、これは10年続けていることである。

特に食べ物に気をつけている訳ではない。
食べたいものを食べたいだけ食べている。
そのために薬を飲んでいるのだ。

数値が下がった理由で思い当たることがひとつだけある。

それは、ここ半年ほど会社での資金繰りのストレスから少しは解放されているということである。

スリルとサスペンスの喜びと引き換えに標準数値を手に入れたということかもしれない。
「スリルとサスペンスが魅力」などと強がってはいるものの、実際には、これまで、そのストレスで相当身体を痛めつけていたようだ。

さて、来月からの数値はどうなることやら。

   「ストレスは 月末ごとの 変動制」


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阪急阪神ホテルズの偽装問題

阪急阪神ホテルズが経営するレストラン23店舗で47品目のメニューに偽装があった。

ニユースによれば、レッドキャビアと呼ばれるマスの卵が実はトビウオの卵であったり、芝エビと称してバナメエビとかいう別の安いエビを使用していたり、九条ネギが普通の青ネギだったり、鮮魚が冷凍だったりと2006年から実に7年間もお客を騙し続けてきたというものである。

この会社ぐるみの偽装が発覚した直後、社長が記者会見を行い、これは偽装ではなくて誤表示だと弁解したために、余計にマスコミを含め世間の非難の声が増した。
まさに火に油を注ぐとはこのことで、傘下に17の直営ホテルと33のチェーンホテルを有する大会社の社長の発言とは思えぬ愚かさぶりである。

一昨日、余りの不評に改めて記者会見し、偽装であることをしぶしぶ認め、社長を辞任することを表明した。

しかし、その記者会見の様子を見ても、ホテルとしては偽装する意図は無かったが、偽装と思われても仕方がない、という言い方に終始した。

社長辞任の理由についてもホテルチェーンの信用を失くしたことの経営責任をとるというもので、はじめからおしまいまで保身に徹し、利用者に対する謝罪の気持ちが見えないのは利己的で情けない図ではあった。

それならば、最後まで偽装ではないと言い倒す方が悪党らしくて余程小気味良い。

しかし、角度を変えれば、まったく別の見方もできる。

今回の偽装問題の発端は会社の発表ということである。
内部告発あるいは行政が関与しているのか分からないが、驚くべきは7年間の永きに渡ってこのことが続けられていたことである。

偽装を行い利用客を欺いてきたホテル側の罪については論外で弁解の余地はない。
しかし、それよりも、利用客が偽の食材を食べさせられながら、大満足して、したり顔でやっぱり一流ホテルの料理はおいしいねぇと舌鼓を打っていた事実は実にブラックである。
笑えるというよりはむしろ哀しみが先に立つ。

所詮、グルメなどというものはその程度の役割のものなのだと分かる。

その意味では、今回の事件には被害者は居なかった。
発覚さえしなければ何事でもなく、ホテルも客も全員が幸せだった。

もっとも、今回の発覚は、恐らく氷山の一角に過ぎないのは明らかだ。

ひがみ根性で云う訳ではないが、一流ホテルのレストランで食べたいなどと思わないボクのような一般庶民にとっては、遠くの出来ごとである。

  
     「大ホテル 見栄を張るには 金かかり」


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お墓の問題

つい先日、ボクの知り合いの嫁さん方の父親が72歳で亡くなった。
葬儀等々は何とか終えたのだが、本家の親族がその遺骨を故郷のお墓に入れる、入れないで揉めているのだという。

亡くなった父親は二男だった。
学校を出て以来故郷を離れ、永く東京で暮らしてきた。

宗教は浄土真宗だという。
浄土真宗と云えば、古くは東本願寺と西本願寺に分かれ、また近年もお家騒動で分裂しているややこしい宗教団体である。
そう云えば、かくいうボクの実家も浄土真宗である。

もとをただせば、本家を継いだ長男と、分家した二男とが仲が良ければお墓問題などは起こらないのだが、たとえ兄弟同士の仲は良くても、その連れ合いが居ると話はややこしくなったりするし、財産の相続問題などが絡んでくると益々複雑になる。

ボクの知り合いの場合は、葬儀の際のお坊さんから問題が始まったという。

お坊さんの法衣には格によって、緋色、紫などと何色にも分かれているらしいが、葬儀に来た本家は、分家が準備したお坊さんの法衣の色から判断し、格下の値段の安い僧侶を頼んだのが気に入らないとクレームを付けた。

日本の仏教は葬式仏教などと世間から悪口を云われるほどに、葬式の際にこの時とばかりに金儲けに走ることは周知である。
葬儀の際だけに使用されるという七条と呼ばれる金銀豪華できらびやかな袈裟などを見たら、浄土真宗を説いた親鸞上人はどのように評するのだろう。
一方、檀家の方もそんな葬式仏教の片棒を担ぐ必要もないのに見栄を張ってしまうようだ。

結婚式に力を入れる土地柄もあり、また葬儀を派手に行う土地柄もある。

確かに、参列した人たちに配慮を欠くような、余りにもケチケチした葬儀もたまに経験し、それも気まずいものだが、お坊さんを法衣の色で格付けするなど変な話である。

もうひとつ、いわゆる戒名も問題となったらしい。
浄土真宗では、法名と呼ぶらしいが、似たようなものである。

名前のつけ方によって値段が変わるのはつとに知られた話である。
本家の方はもっと高い値段の戒名にしろと主張したらしい。

結局はお金の問題になるようだが、それこそ家庭の事情もあるのだろう。

本家と分家の考え方が異なり、そんなことなら遺骨は本家の墓には入れない、ということになり、現在もまだ父親の遺骨は宙に浮いているらしい。

それもこれも、拝金主義の葬式仏教の在り方が根本にある。

ところで、ボクもまだお墓の準備をしていない。
妻には、海か山に捨てて欲しいと云っているが、そろそろ本気で考えないとならない。

      「高僧も お布施横目に 経唱え」


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宝クジを買う心

妻が「つい先日買った宝クジが見当たらない」と大騒ぎして探している。

どこで失くしたのかと、宝クジを買った日の記憶をたどってみては、あの時に落としたのではないか、いや、もしかすると、あそこで失くしたのではないか、等とあれこれ詮索しては首をひねっている。

どうしても見つからず、まるで大金を失くしたかのように落胆している。

しかし、大騒ぎの末、大事にしまい過ぎていたらしく、結局、バッグの中から見つけ出し、今度は宝クジに当選したかのように大喜びしている。

宝くじそのものは、高々3千円に過ぎないけれど、もしかすると、3億円とか5億円に化ける可能性があるかもしれないと思ってしまうので、ついついそんな大騒ぎにもなる。

ボクもたまに宝クジを買う。
本気で、当たるとは思っていないのだが、買うことがある。

宝クジで一等賞に当たる確率は、日本列島の全国土面積に当てはめると、畳たった3畳か4畳分ほどの広さでしかないらしいから、数学的には限りなくゼロに近い数字だそうだ。
言葉は悪いが、まあ体の良い詐欺に近いようなものだが、税金の一種だと思えばお国のために役だっているのだから、それはそれで良い。

みずほ銀行の営業担当者が、これまで毎年、年に数回、全国自治宝クジを売りつけに会社に来ていたが、ここ半年ほど売りに来なくなった。
もしかすると、宝クジを当てにする人たちが増え、売れ行きが良くて営業の必要が無くなったのかもしれない。

買わなきゃ、当たらないとは言いながら、当たる筈もない宝クジを買う行動を、夢を買う、などと表現する人たちもいるが、ボクは夢ではなく、慰めを買っているのだと思っている。

確率上からも、当たらないことは百も承知の上で、淡い期待を抱くのは夢と云うには余りにも寂し過ぎる。
これは、どう見ても「ほら、やっぱり駄目だっただろう?でも、また次があるからいいじゃないか」と自らを慰めるための便利の良いツールなのだ。

しかし、もし社長が、急に神社詣でを始めたり、宝クジを買い始めたら、その会社は危ないかもよ、などという冗談話も耳にするから、宝クジを買うのも用心深くしなければならないようだ。

   「富くじは 代官様の 悪だくみ」


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歯医者通い

歯医者からたった今、戻って来たばかりだ。
少ししか残っていない自前の歯を抜かれた。

麻酔が切れてきたのでやたらと痛む。

医者は抜き終わった歯を見せて「ほら、根もとのここが割れているのが分かるでしょう?こうなると、もう手当の方法がないものでね」と言い訳のように説明してくれた。

これまでの人生で、苦労という苦労は何ひとつしてこなかったが、子供の頃から歯の痛みではずいぶん苦しんだ記憶がある。

親知らずと呼ばれる奥歯も4本全部虫歯で抜いた。
そのうちの一本は、まだ生える前から虫歯だったと言われ、そんな馬鹿なことがあるのかと疑ったものである。

歯が丈夫かどうかは、生まれつきで、いくら手入れしても弱い歯は弱い。

歯と云えば、日本テレビに勤務時代、局の歯科でいつもお世話になっていた、確か、渡辺というお名前だったと思うのだが、でっぷりとした40歳代の主治医がいた。
笑うと白くていかにも丈夫そうな歯が印象的だった。

「食事の後は必ず磨くようにして下さい。僕などはいつも歯ブラシを持ち歩いていますよ」と白衣のポケットから歯ブラシを出して見せ、キラキラと健康そうな歯で笑った。

その先生がある日、脳梗塞だったか心筋梗塞だったかで突然急死された。

歯の痛みで苦しんでいる方がまだ幸せなんだなあ、などと思ったものである。

丈夫な歯といえば、生涯の友でありカンボジアに一生を捧げた男、馬渕直城の歯は本当に凄かった。
彼は平気でビール瓶の栓を歯でこじ開けていた。

60歳を過ぎた頃だったが、初めて虫歯が出来たと大騒ぎしていたことを、まるで何か幻のように思い出す。

彼の葬儀の際、焼き場の焼却炉から出て来た彼の遺骨を見て、係員が驚いた。
こんなに歯が全部そろっている人は初めてだと云った。
本当に、きれいに残っていた。

ボクは一体何を書いているんだ?

いかん、いかん。ああ、また、急に歯が痛みだし始めたようだ。

   「歯と命 どちらが大事と 聞かれても」


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叛乱の時代

「叛乱の時代」
実は、これは、この10月に発売された新刊の本のタイトルである。
サブに ペンが挑んだ現場 ・一記者の見た反体制運動の戦後史 とある。
著者は土屋達彦さん。

今月17日、その出版記念パーティーが有楽町の外国人記者クラブで行われ、出席した。

土屋さんは1941年生まれの72歳。
大森実が主宰した「東京オブザーバー」の記者を経て、産経新聞社に入社。夕刊フジ報道部に異動後も記者として活躍。
現在、危機管理広報を主とするコンサルティング会社を経営している。

まだ10年足らずの付き合いだが、ボクが兄貴と慕っている人物だ。

「叛乱の時代」は彼の記者時代の取材体験の記録である。
駆け出し記者の頃の佐世保原潜寄港反対運動に始まり、成田空港反対闘争、日大、東大紛争などの学生運動、連合赤軍、爆弾闘争など騒然たる時代を自ら現場に立ち、目撃し、あるいは体験した生々しい事実が語られている。
400字詰め原稿用紙750枚、350ページに及ぶ大作である。

出版パーティーには多彩な人たちが集まった。

本の中にも詳しく記されているが、浦和支局勤務時代に出会った、当時、埼玉県警捜査二課長だった亀井静香現衆院議員とは相当激しくやりあい、結果、親しい関係になったことが、議員の挨拶からもうかがい知ることができた。

バイオリン奏者の天満敦子さんの演奏も久し振りに聞けたが、相変わらず心のヒダに迫ってきて感動的だ。

慶応大学時代の先輩である、元日本郵船社長を始め、大物が顔を揃えていた。

そのパーティーに集まった誰もが、口にこそ出さないが、実は、これは土屋達彦さんの生前葬だと考えていた人も多かったと思う。

彼は胆管癌に冒され、余命1年との宣告を受けていた。
その後入退院を繰り返し4年が経つ。
この本も病床で書きあげたものだった。

今回もパーティーの直前まで入院していたということだった。

その土屋達彦さんが2日前に、奥さんと一緒に会社に挨拶に見えた。

奥さんによれば、車椅子を医者に勧められたが、それを断ってのパーティーだったと云う。
昨年暮れには、危篤状態に陥り、正月間近だったので、急いで、葬儀からすべての手配を整えたそうだ。
しかし、奇跡的に回復し、「叛乱の時代」を書きあげることが出来た。
凄まじい執念に感服する。

「この本は、主人の青春時代の半分しか書かれていません。第二部で、残りの半分を書くまでがんばってもらいたい」と奥さんは云った。
土屋達彦さん、ただ笑って聞いている。
まだまだ大丈夫だ。

   「淡々と 天のみぞ知る 命かな」


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早坂暁さんの故郷への想い………続きの続き

昨日に引き続き、しつこく、早坂先生の話の続きの続きということで。

早坂暁先生の祖先であるセイント五右衛門さんは結局、隠れキリシタンとして首を切られて処刑されたらしいが、その子孫が、こうしてボクの目の前で過去の事実を語っていることは、考えて見れば不可思議な光景ではある。

早坂先生も自分のDNAに、隠れキリシタンの血が流れていることを調査の過程で図らずも自ら発見された訳だが、予想もしていなかったその事実に満更でもないような様子だった。

「あんたも堺の生まれでしょう?堺も鉄砲商人の元締めだった千利休を生んだ地だから、過去を調べると色んなことが出てきますよ」と先生。

果たして、ボクのDNAにはどんな文明や文化、それに異民族との血の混淆などが組み込まれているのだろうか。
想像するだけでもワクワク興味深い。

「それに、旧満州の朝鮮族の女性を嫁にしているしね。満州と云えば、寺山修司じゃないけれど、真っ赤な夕陽の国だな。ほんとに、一度調べると良いですよ。それと彼女はナカナカだから、もしかするとお宝かもしれないな。テレビ東京の「なんでも鑑定団」で鑑定してもらう値打ちがあるよ」

先生、どこまで本気で冗談なのか分からない。

こうして、いつも早坂先生との話は時空を超え、時間が許される限り延々と続き、またボクの方もそれに飽きるということがないのだ。

「あ々、そろそろ郷土会のパーティーの時間だ」
先生はそう云ってにっこり。
笑顔で会社を後にされた。

      「終着は あなたおまえの ふたり舟」


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早坂暁さんの故郷への想い………続きを

昨日の早坂暁さんとの雑談の続きを少しだけ。

「江戸時代、僕の故郷の松山に、ある義農家がいましてね。飢饉に備えて、どんな時にも一定量の麦を蓄えていたと伝えられている立派な人で、その人のことをお芝居にして欲しいとの市からの要請があって調べているんですよ」と早坂先生は話し始めた。

市は記念事業の一環として、その義農家を取り上げたいというのだが、篤農家が麦を大切にするというのはどうも不自然だし、変である、日本の農業ならば昔から麦ではなくて米だろう、と先生は直感されたという。

麦はキリスト教では聖体の象徴とされており、ヨハネ伝の有名な「一粒の麦」の話もある。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」というキリストが処刑前夜に語ったとされる言葉である。
つまり、キリスト自身が一粒の麦として地に落ちて死ぬ時が来た、
それにより人々に永遠の命をもたらす時が来た、という意味であるらしい。

先生は、その義農家の子孫にも会って、調べを進めるうちに、その義農家は、先生の直感の通り、どうやら隠れキリシタンであったことが明らかになった。
つい最近の話で調査はいまだ続行中とのことである。

さすが、先生の慧眼には驚くしかないが、本題はこれからである。

「伊予の国はもともと情報の通り道だったので、愛媛にはキリシタンが多く居たようなんだけれどもね」と先生の話は続く。

「調べているうちに、なんと、僕の母方の先祖の名前が出てきてね。西山セイント五右衛門という名前までもらっている敬虔なキリシタンだったらしい。五右衛門は、どうもいただけないがね」と先生はご先祖のこととなると真面目顔である。
五右衛門と云えば釜ゆでの刑に処せられた大泥棒の石川五右衛門を連想するからだろう。

先生のご先祖のセイント五右衛門さんは宣教師から「地球は丸い」ということを教えられ、感銘を受けてキリシタンに改宗したらしい。

「しかし、昔の人は、太陽が東から昇り、西に沈み、また翌日、東から昇ってくる現象をどのように捉えていたんだろうね?」と先生はボクに聞いた。
確かに、地球は平らで、地平がどこまでも続くと考えていた人たちは、先生の質問にどう答えたのだろう。

   「今の世も 怪しきことは 謎のまま」


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早坂暁さんの故郷への想い

作家で脚本家の早坂暁さんがいつものようにニコニコしながら、会社に来られた。

夕刻6時から、麹町の都市センターホテルで愛媛県の郷土会があり、挨拶を頼まれているという。
まだ少し時間があるので立ち寄られたということだった。

「先生はご自分の故郷を愛していらっしゃいますね」と云うと「故郷は良いですよ。僕も最後は故郷に帰るつもりです」とおっしゃる。
「東京にオリンピックが来るまでには帰りますよ。あと7年ですね」

先生、凄い。
今年すでに84歳になっておられるから、90歳以上まで生きるつもりでおられる。

「松山の近くの北条という所に小さな港町があります。そこが良いですね。瀬戸内海の魚が良いですね。子供の頃に食べた味が一番です」
ボクも以前、先生に連れられてその港町を訪ねたことがある。

しかし、先生の口から故郷に帰りたいという言葉を聞くのはこれが初めてのことだった。

「先生は有名人だから、故郷に戻られると特に周囲の眼が大変でしよう。窮屈になりますよ」と云うと「それでも、瀬戸内が良いな。東京のような都会にいると、何事もキリがなくなりますからね。物を書くだけだったら別に東京に住んで居なくても不自由はないですからね」

さすがの先生も、近頃ではテレビ出演を含め、テレビ関係の仕事も頻繁ではなくなっている様子である。

「それと、やっぱり女は瀬戸内の女が良いからな」と真面目な顔でおっしゃる。
「瀬戸内の女はいつも潮風に当たっているから塩辛いですね。その塩辛さが良いですね」
「そんなもんですかねぇ」とボクは相槌を打つ。
「結局はおふくろにいきつきますね。おふくろのオッパイは塩辛かったなあ」

ボクも久し振りにいつもは忘れていたおふくろの若い頃の顔を思い描いていた。

何となく甘酸っぱい気持ちになった

そのおふくろも90歳を超えた。
しかし、ここ何年間も、おふくろに会っていないので、年老いてからの顔を知らなかったことに気付き、愕然とした。

   「おふくろに 会いに行こうか 年明けに」


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別れの電話

昔、「お別れ公衆電話」という松山恵子の有名な演歌があった。
恋に破れた女のせつない未練の唄だが、ボクは先日、実際に、別れの電話を受けた。

それは、これまでの人生で初めてのシリアスな体験だった。

電話の主は井上洋二さんだった。
井上洋二さんは早稲田大学卒業後、映画会社日活のプロデューサーを経て、出版社を設立、自社ビルを所有するまでに成功を収められた方である。
今年82歳になられる。

井上さんとは、予備校時代以来のボクの友人であるフランス文学者の奥本大三郎を通じて10数年前に知り合った。
奥本大三郎はフランスの昆虫学者ファーブル研究の第一人者でファーブル昆虫記の日本語の全訳を出版してもいる。

井上さんや奥本とは、しばしば四谷三丁目のスナックで飲み明かしたものである。
井上さんは、お酒はほとんど召しあがらなかったが、酒場の雰囲気を楽しまれた。
石原裕次郎がお好きで「粋な別れ」をよく歌われた。

わが社の忘年会やお花見の常連で、二次会にもよく付き合っていただいた。

その井上さんから突然の電話があった。

「お久しぶりです。お元気ですか?」とのボクの挨拶に「いやあ、そうでもないんですよ」との返事が返って来た。

井上さんの話によると、肺がんを患っていることが分かったのだが、手術が出来ない状態らしい。
高齢なので抗がん剤を含めた治療も出来ないのだという。

治療ができないとなると、どこの病院も受け入れてくれない。
「がん難民ですよ」と井上さんは云った。

幸い、井上さんは知人の紹介で山梨県の病院に入ることが出来たらしい。
「正月を迎えられるかどうか、という状態です」と云う。
「いつどういうことになるか全く分からないのです。お会いしたいと思いながら、とうとう、果たせませんでした。失礼だとは思いますが、これは、お別れの電話です」

電話ではしばしば話していたが、今年のお花見にはお見えになれなかった。
最後にお会いしてから、すでに一年は経つかも知れなかった。

「本当にお世話になりました。可愛がっていただきありがとうございました」
ボクは言葉に詰まって、それだけ云った。

「また、お会いしましょうや。四谷三丁目でね。あの頃は楽しかった。夢の中でね」と井上さんは云った。

   「人生は 粋な別れが 難しく」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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