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トイレのメモ

トイレの神様に毎朝、水を供えていることを以前、このブログで書いた。

つい先日、そのお供えの水のすぐそばに、「いつもお疲れさまです」との手書きのメモが置かれていた。
誰かブロク゛を読んだ社員が書いてくれたものらしかった。

スタッフで、ボクのブログを読んでいる者はごくわずかだろうと思っている。

本当はみんなに読んでもらって、ボクの考えていることの一端に触れて欲しいとの本心はあるにはあるが、おそらくスタッフには、そんなゆとりはないのだろうと思っている。

制作スタッフは毎日、自分の担当する番組のことに没頭していて、なかなか、他のことに気を回す余裕がない。

仲間の作った番組を視て、お互いに意見を云い合うように、とボクは機会のあるごとに勧めているのだが、なかなか行き渡らないのが現実だ。

もともと、ボクたちの集団は、それぞれが一匹の、自己表現者たちの集まりだから、上意下達の整然とした形など望んでもいない。
それよりも、それぞれが、自由闊達に自分の意思を発信していくことが、会社を活性化させていくと考えている。
それが、結果的に会社一丸となって動くエネルギーとなるのだと考えている。

勿論、仲間意識が無い訳ではないのだが、この辺りが、モノを創造していくというボクたちの集団のリードの難しい所でもある。

そうは言いながら、トイレに置かれていた「いつもお疲れさまです」のメモは何か心が通じたようで嬉しいものだった。
ボクはそのまま素直に喜んでいる。

      「何気ない メモ一枚に 励まされ」


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タバコのこと⑥

歳をとることに楽しみを見つけようと65歳までの期限をつけて始めた禁煙だった。

50歳過ぎの当時は遥か遠い先の話だと思っていたが、65歳という年齢になるのに、変な表現だが時間はかからなかった。
アッと云う間のことだった。

いざ、65歳の期限満了となったが、せっかく止めたのだから、との周囲の声もあり、しばらく禁煙を続けていたのだが、ある日、これは少し変だぞ、と思った。

ボクは一体何のために禁煙していたのか、それこそ、目的を忘れていたことに気付いたのだった。

それでまたタバコを始めて2年近くなる。

妻はボクに禁煙を迫り、禁煙すれば100万円の賞金をあげるから、とまで言って脅迫する。

しかし、目的がなくなったのでどうしても止めることができないでいる。

間もなく、70歳の誕生日を迎える。

生きられるかどうか分からないが、誕生日を期に、75歳まで、また、期限付きの禁煙してみることにしてみるかなどとつまらぬことを考えている。

     「禁煙と 残りの寿命を 計りかね」

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タバコのこと⑤

とにかくボクはタバコに取り憑かれていて、寝ても覚めてもタバコ。
吸っている間にも、ああ、タバコを吸いたい、と次のタバコのことを考える程のタバコ中毒だった。

一日100本では足りなかった。
本当にタバコが好きだった。

人生についてしみじみと考えるほど、ボクは高尚な人間でもないし、また、そんな余裕もまるで無かったが、50歳を過ぎた頃、ふと、歳をとるのは嫌だなあ、と思ったことがある。

そして、どうすれば、歳をとっていくことに楽しみを見つけることができるだろうと考えた。

それで思い付いたのが禁煙だった。

自分は何歳まで生きることになるのか予想もつかないが、当時は65歳まで生きられればと、ひとつの目安をつけた。

そして、仮にそれまで生きられれば、その時に改めてタバコを吸おう。

それまで、これほど好きなタバコを我慢すれば、早く65歳になりたいと望む筈だ。
一年一年歳をとることが楽しみになるにちがいない。

そう決めてピタリと禁煙したのだったが……。

   「言い訳と へ理屈重ね 禁煙家」


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タバコのこと④

ボクが初めてタバコを吸ったのは、大学の合格発表を確かめに行った帰り道だった。

受験からの解放感に浸り、当時はやりのハイライトという銘柄のタバコを吸ったところクラクラとめまいがして歩けなくなり、思わず電信柱にもたれかかったことを覚えている。

そのめまいの感覚の魅力が忘れられずにタバコを吸い始めた。

以来今日まで数十年の間に、禁煙と喫煙を限りなく繰り返してきた。

小説を書く人を小説家、冒険の好きな人を冒険家と呼ぶとすれば、ボクはさしづめ禁煙家と云える。

短くは数日、2年続いたこともあるし、3年間やめたこともある。
一番長かったのは16年間だった。

たしかにタバコは身体に悪い。

ガンや動脈硬化の恐れもさることながら、それより何より、ただ、寝入った後の咳と痰が苦しいのだ。
胸が痛くて、寝ている間中は、起きたら絶対に禁煙しようと決心している。
ところが、目が覚めると、その苦しみを忘れてまた吸ってしまうのだった。

しかし、50歳を過ぎた頃に始めた禁煙は16年続いた。
それには、ちょっとした訳がある。

   「禁煙家 意志の弱さの 代名詞」

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タバコのこと③

歴史を振り返ると、どうやら、どの国家も麻薬同様に喫煙が気に入らないようである。

各国の過去の禁煙令の基本理念は喫煙は野蛮な行為である、という考えだが、現代社会でも、次第に、そういった、喫煙は文化人に相応しくないとの見方が社会通念として定着してきているように思える。
「君はまだタバコなど吸っているの」という感覚である。

これが、国家の体裁として禁煙が必要である、という形が整った時に禁煙法が成立する。
そのための世論作りの入り口が健康被害の宣伝ではないか、というのが独断と偏見に満ちたボクの見方である。

ボクを含めて、健康病が日本中に蔓延している。

健康と美容の前にはすべての人たちは、ただひれ伏す。

タバコの場合は喫煙している本人ばかりではなく、周囲の者にも副流煙で被害を及ぼすとされているので、その健康被害に対する認識は絶大だ。

こうして、多くの人たちがタバコ嫌いになってきた。
現代の魔女狩りは見事に成功した観がある。

かつて、テレビのニュースの特集枠で、タバコの害はどれほどのものなのかを取り上げてみたことがある。
20年ほど前のことである。

ある研究所に依頼し、マウス実験をした。

三つのケースのうちひとつにはタバコの煙を、ひとつは排気ガスを、もうひとつにはタバコと排気ガスの混合のものを24時間、2カ月間吸わせ続けた。

その結果、病状が一番大きく出たのは混合のガス、次に排気ガス、タバコからは異常は出なかった。

これだけで、短絡的には言えないが、この実験以来ボクは空気のきれいな山奥でタバコを吸う限りは大丈夫だが、環境の悪い都会での喫煙はやはり害があるのだと信じている。

つまり、ボクたちはタバコを安心して吸える環境を作り出す努力をしなければならないということだ。


   「欲張るな 二つは同時に 手にできず」

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タバコのこと②

国を挙げての禁煙が説かれ始めた時には、ボクの天邪鬼の虫が騒ぎ始め、裏に何かあるのではないかと疑いの気持ちが起きた。

古くは、江戸時代、かの有名な貝原益軒先生も、その著書「養生訓」でタバコについて「病をなすことあり。又、火災のうれひあり。習えばくせになり むさぼりて後には止めがたし。初よりふくまざるにしかず」と書いている。

タバコには中毒性があることは確かなので、世の中がタバコについて大騒ぎするのは、タバコを麻薬類と同じ反社会的嗜好品として位置付けている精ではないかと疑ったのだった。

ちなみに、麻薬には大きく分けて三種類ある。

ひとつは、ケシの実からとれるアヘンやコカ、きのこ類などの自然のもの。

二つ目は、それらを化学的に加工したもの。
たとえば、アヘンを精製してモルヒネやヘロインが作られるし、コカの葉からコカインが作られる。

三つ目は覚せい剤やエクスタシーなどの純化学製品で、その順で害毒が大きいとされる。

大麻など中毒性は無いしなぜ麻薬の仲間に入っているのか理解できないが、タバコもその同類として扱おうとしているのではないかと疑ったのだった。

実際に、1600年代からドイツ、スイス、フランスをはじめとするヨーロッパ各国、トルコ、ロシア、それに日本でも禁煙令が出された歴史がある。

喫煙は野蛮であるというのが、その考えの元になっている。

今はまだ、日本では分煙状態だが、やがて法律で喫煙が禁止される時代が来る可能性はあるとボクは思っている。

   「禁煙も 歴史たどれば 奥深し」

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原発反対の座り込み

閑話休題。
原子力発電の再稼働に向けて、自民党は巧みにその歩を進めている。

多くの国民も、経済最優先で、原発については知らぬ素ぶりを見せ、そんな自民党を積極的に容認している。

マスコミも本音では再稼働に賛成しているので、皮肉は言っても、本気で取り組もうとはしない。

そんな中で高市早苗自民党政調会長の「原発事故で死者は出ていない」発言が登場したが、この発言を翌日の朝刊で朝日新聞は取り上げたものの、読売新聞も日経新聞も全く触れようともしない。

実際には、事故関連での自殺者も出し、避難所での死者は40名を越える。
福島県の自民党県連はこの発言に抗議の声を上げたが、これとて、参議院選挙を控えての抗議である。

つい先日、テレビ局時代の先輩の事務所を訪ねた。

彼は今年75歳になるが、福島第一原発事故後に始まった経済産業省前の抗議座り込みに参加している。
彼は国の原発政策に抗議するこの活動に当初から加わり、すでに2年9カ月が経っている。
週に一度はテントで泊まり込んでもいる。

新橋駅前にある二階建てのモルタル作りの狭い彼の事務所は、家賃が8万円。
本業のプロダクションはほとんど休眠中で収入はゼロらしい。
集会所にも使っているので、座り込み仲間からのカンパと彼の年金で賄っているという。

いま彼等は経産省から訴訟を起こされ、120名を越える弁護団をたて、それと闘っている。

ボクは、別件で彼を訪ねたのだったが、話している間にも何人かの人たちが訪れた。
そのいずれもが、70歳を越す人たちだった。
組織に属する訳でもなく、みんな個人の意志で闘っているのだと云う。

「大変ですね。見通しはどうなんですか」とボクは尋ねた。
「大変と云えば大変だねぇ。でも、原発はいかんでしょう」

彼にはひとかけらの気負いもなく、淡々としていた。

     「脱帽だ 好きでやるには 重すぎる」

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タバコのこと①

喫煙者にとっては、窮屈な世の中になった。

今では公共設備をはじめとして、圧倒的多数の会社で禁煙が実施されているし、レストランや喫茶店などでも禁煙が当たり前になってきた。

さすがに、タバコを吸ってはいけないバーやスナックにはまだ行き会ったことはないが、そんなお店が出現しても不思議ではない。

ボクたちの会社でも、禁煙にしてから5年ほど経つ。

社内から禁煙を求める声が次第に大きくなり、まずは分煙にし、最終的には全面禁煙とした。

喫煙者は部屋を出たエレベーター前の階段で遠慮がちに吸っている。
喫煙者には気の毒だが、これも時代の流れで仕方ない。
そうかと言って、とても喫煙室を用意するほどの余裕はまだ無い。

今ではほとんど見られなくなったが、タバコの害が話題になった当初は、喫煙派と禁煙派が激しく論争する場面を身の回りでよく眼にしたものだ。

仕事柄、色んな論争は見慣れているが、喫煙派と禁煙派のやりとり程、両者がヒステリックになり、エキセントリックになるテーマはないに違いない。
特に禁煙派にその傾向が強かった。

酒場などで、この争いが始まると、トメドがなくなり、最後は必ずケンカ別れとなるのを目にした。

ボクはそんな人たちをしり目に、知らん顔をしてプカプカとタバコをふかしていたものである。

     「禁煙を 説きつつ原発 推進し」

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お前の嫁はワシが決める④

中国国籍の朝鮮族であるボクの妻は、旧満州吉林省で生まれた。
両親の祖父母は韓国の釜山からの移住者だった。

妻は吉林大学の法学部を卒業し、警察官を経て、吉林省政府の市長秘書の職に就く。

やがて、やはり朝鮮族の医学生と結婚、一女を儲けた。
家と家との結婚だった。

医学生の夫は、将来を嘱望される優秀な人材で中国政府から日本に医学留学生として派遣され、夫と共に日本に渡った。

留学期限が迫り、政府からの帰国命令が届くが、夫と娘の意志により、その帰国命令に従わず、日本に永住することを決める。

当然のことながら、中国政府からの支援が打ち切られ、苦労したらしいが、夫は無事に大阪の某大学の医学部准教授となり、娘は早稲田大学への進学が決まった。

理由は割愛するが、それを期に、彼女は離婚を決意し、娘と上京した。
ボクが、彼女と出会ったのは、彼女が上京して1年半経った頃のことである。

ボクはすでに60歳を過ぎていたが、恥ずかしながら、年の離れた彼女と恋に落ち、縁あって結婚した。

ボクの愛した人がたまたま中国国籍の朝鮮族だったというだけで、民族の違いについては、ボクにも妻にも何のわだかまりもなく、自然に結婚した。

ボクの長女はボクたちの会社で経理を担当し、妻の娘は堪能な語学力を生かして番組の制作で活躍している。
妻は財務担当の取締役で経営見習い中である。

ボクたちは、実家の家族や親戚の人たちからは切り捨てられてしまったが、それも仕方のないことだと思っている。
差別や偏見は残念だが、生まれ育った風土や土地柄の価値観によるもので、決して、特別に悪い人たちではないからである。

ただ、お前の嫁はワシが決める、と言っていた祖母はあの世で恐い顔をしていることだろうと、少しばかり心が痛む。


   「黒だろと 黄色だろうと 白だろと」


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お前の嫁はワシが決める③

被差別部落の人たちの他に、差別の対象となっていたのは、在日韓国朝鮮人の存在である。

町の中には、在日韓国朝鮮人がかたまって居住する一角もあり、そこは朝鮮人部落と呼ばれていた。
勿論、多くの在日韓国朝鮮人は散在もしていた。

彼等への具体的差別のひとつは「臭い」だった。

韓国朝鮮の食文化はキムチである。
そしてその基本となる調味料はトウガラシとニンニクである。

ニンニクは差別の対象で、実を云うとボクも東京に出てくるまで家でニンニクを口にする機会は無かった。

ニンニクは差別の対象である朝鮮人の食べ物で、日本人の食べる物ではないとの考えが家人にあったことに、後になって気付いたのだった。

家族でよく食事に出かけたが、韓国料理店に行ったことは一度だって無かったことにも今、気付く。
それほど徹底していた。

中学校時代に友達と殴り合いのケンカをした後、「あいつとケンカしたらあかんよ。あいつは朝鮮人だよ」とコッソリと忠告しにきた友達がいたことも、生々しく思い出す。

このブログのタイトル「にんにく劇場」の原点は、そんな差別への反発でもある。

祖母の「嫁はワシが決める」の背景には、家柄とこんな差別の意味があった。

ボクの今の妻は中国国籍の朝鮮族である。
言うまでも無くボクにとってはかけがえのない人である。

故郷の実家の母と兄弟姉妹に紹介しようとしたが、見事断られた。
実家の敷居を跨がせる訳にはいかないというのだった。

弟はデンワ越しに言った。
「兄貴は自分たちとは違う別の世界の人や。兄貴は兄貴の世界で勝手に生きてくれ」


      「故郷は 遠きにありて 苦きもの」

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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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