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忘れられない風景 ~東京湾騒動の巻⑤~

東京湾の漁師たちとのやりとりは、想像していたよりもはるかに激しいものだった。

ボクはアシスタントの若い衆を一人連れて行ったが、場数を踏んでいない彼は、敵の数の多さに震えている。

まず、放送したビデオをあらためて全員に見せ、どこが問題なのかを問うた。
人の良さそうな組合長は「これだけか?」と云った。
途端に激しい怒号が組合長の言葉を打ち消すようにあちこちから飛んでくる。

もともと、この番組は汚染に焦点を当てたものではなく、データー的にも問題のないものだった。
特別の誇張もなく、東京湾のありのままの現状報告だった。

ただ、海に浮かぶ死体が登場したり、食用禁止の魚が出てくるなど、決して東京湾が安全で、美しい海であるとは言えない番組全体のイメージがあることは確かで、それが漁師たちの怒りの根本だった。

ボクは初めから謝るつもりなど毛頭なかったので、話し合いは平行線のまま延々と何時間も続いた。


        「人数と 怒号で迫る 漁師たち」



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忘れられない風景 ~東京湾騒動の巻④~

東京湾の漁業権は一部地域では僅かに残っているが、多くはすでに売り払われていて、漁民たちは釣り船業者として存続していた。

当時、東京湾には漁業協同組合は自民党系と社会党系の大きく二つあり、社会党系の漁協から番組の内容に偏りがあるとのクレームがきた。
現在は、社会党は瓦解して見る陰もなくなったが、当時はそれなりの政党だった。

クレームが来た時、うかつにも、番組のプロデューサーがこの苦情に「スミマセン」と謝ってしまった。
番組の内容は謝るようなものでは決してなかったのだが、一度頭を下げると取り返しがつかなくなる。
結局、ディレクターのボクが漁協に説明しに行く羽目になった。

品川にある漁協に行くと、そこはプレハブの二階建で、玄関の戸を開けると3足の履物があった。
相手は3人か。

案内されて階段を2階に上がって驚いた。
30以上の座布団が所狭しと敷き詰められていた。
ふんどしを締め直す。

今では釣り船を生業にしているとは云え、漁師は漁師。3~40人の荒くれたちとのやりとりが始まったのだった。


        「団交に 慣れし漁師や 社会党」


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忘れられない風景 ~東京湾騒動の巻③~

東京湾沿岸の風景を取り上げたその番組では、アメリカの軍艦が寄港する横須賀港や、京浜工業地帯、東京都のゴミ処分場であった夢の島や、第五福竜丸展示場など、目につくものを取材した。

第五福竜丸は1954年3月1日ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で被爆した日本のマグロ漁船である。
23名の乗組員全員が被爆したが、特に無線長の久保山愛吉さんが「原水爆による犠牲者は、自分で最後にして欲しい」との遺言を遺して亡くなり、第五福竜丸事件と併せて、その後の日本の反核運動のきっかけとなったと云われている。

取材中、海上に浮かぶ男性の変死体も発見。
すわ事件かと、調べた結果、酔っぱらって千葉港の防波堤から落ちたものであることが分かるなど、それこそ雑多なものを詰め込んだ番組だった。

そのひとつとして、東京湾の汚染の現状に触れたのだったが、その内容に、東京の漁業協同組合からクレームがついたのだった。


   「お世辞にも きれいと云えぬ 東京湾」


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ボクたちは、釣り船業者の舟をチャーターし、二週間ほどかけて東京湾一帯を取材して回った。

東京湾は意外と広い。
資料によれば1380平方キロメートルあり、最も深い所は700メートルもの水深があるらしい。
千葉県、東京都、神奈川の三県に面し、多摩川、荒川、江戸川などの一級河川が流れ込んでいる。

日本の高度経済成長期には様々な汚染物質が、それらの川から運ばれ、東京湾に蓄積されていた。

この取材を行った1980年代半ば頃には、企業の公害防止のための技術革新により、水質汚染等の産業公害は沈静化に向かっていたものの、まだまだ過渡期で東京湾が全く安全できれいな環境とは言えない状況だった。

たとえば、東京湾で獲れる魚の「すずき」にはその体長が確か70センチ以上だったか、正確な体長についての記憶は定かではないが、基準値以上のPCB(ポリ塩化ビフェニール)が含まれており、食用禁止の指示が東京都から出ているような状況だった。

ボクたちは東京湾がまだまだ自慢できるようなきれいな海ではないことを、番組の中で触れたのだった。

そのことが、とんでもない騒ぎとなる。


   「江戸前と 云われ喜ぶ 馬鹿もいて」


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忘れられない風景 ~東京湾騒動の巻①~

ボクたちは、いつも陸から海を見ているが、海から陸を見るのも一興かなと思い、そんな番組を作ったことがある。

いま中国が、海、川、陸を含めた広域に渡る様々な汚染で問題になっているが、かつて高度経済成長期のわが日本もずいぶん国土を汚しに汚したものである。

今さら説明するまでもないことだが、その汚染ぶりは実にひどかった。
海外からの帰り、成田空港から東京に戻る時、東京の上空からすっぽりと街を包むように巨大な鉛色のスモッグが覆っている異様な光景を、今でも鮮明に覚えている。

その後、日本にも経済的な余裕が生まれ、汚染対策が行われて、少しづつ、環境の浄化が進み始めた頃のお話である。

ボクたちは、東京湾そのものと東京湾から見た陸の様子を、特に汚染問題に絞ったと云う訳でもなく取材したのだった。


   「水俣の 苦しみまたも 隣国で」


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気がついたこと

閑話休題。
桜が散り、会社への通勤途上、いつも目にする赤坂東宮御所の前の学習院小学校の垣根のさざんかの最後の一輪も落ちて、今は街路のつつじが美しい。

先週の水曜日、ボクは人並みに白内障の手術をした。
レンズが黄色く白濁していて、ここ一年以上、霞がかかった状態で不自由していたのだが、余りの不便さに抗しきれず手術したのだった。
まず、特にひどかった右眼の手術をした。
左眼は今週の水曜日に行う予定でいる。

中学二年生の時からメガネをかけ始めたのだが、56年振りにメガネ無しでの生活が出来ている。
ただ、左眼の方は前のままなので、今週の水曜日までは、びっこ状態で少し不便ではある。

昨日、気が付いたことがあった。

濁った左の眼で見るつつじの色と手術をした右眼で見るつつじの色が全く違っていたのだった。

つつじがこんなに鮮やかなピンク色をしていたのだと感動した。

それに気付いて右眼だけで街を見ると、看板から車の色から、人々の服装までなんと色の美しいことか。

今まで、ボクは、色の美しさを知らずに暮らしていたのだった。

映像の仕事をしている自分が恥ずかしくなるほどの美しさだった。

今週水曜日の手術が楽しみである。
愚かにも、70歳にして色の感覚を取り戻すことが出来る喜びで胸がいっぱいだ。


   「見ながらも 見ていなかった ことを恥じ」


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忘れられない風景 ~タンポポと六ヶ所村⑤~

こうして上弥栄村は崩壊した。
最後まで残っていた村の世話役の老夫妻も去り、70戸ほどあった村は日本から完全に消えた。

それから二年後、ボクは、村人たちのその後を追跡調査した。

多くは野辺地、十和田、八戸など青森県内の各地に移住したが、中には、新潟県の大潟村や山形県など県外に出た人たちもいた。
農業を続けている人たちもいたが、農業から足を洗った人も多かった。

ボクたちは、10数人の元村人たちを訪ね歩き、その後の暮らしぶりを一年に渡って取材させてもらった。

人々の移住後も地上げされた土地は手づかずのままで放置されていた。
石油コンビナートの建設の気配などまるでなかった。

上弥栄村には朽ち果てた廃屋が残されおり、見る影もなかったが、村のはずれの小高い山の上に建てられた「上弥栄村開拓の碑」は往年の姿のまま廃村を見守っていた。

ボクたちは、その「上弥栄村開拓の碑」の前に三年振りに村人たちに集まっていただき、小宴を開いたのだった。

原子力発電にかかる費用が取りざたされているが、別の開発名目で費やされたこの種の莫大な費用など、おそらく計上されていないだろうと思う。

まして、人々の苦難の汗や涙はとうていお金に換算できるものでもない。


   「開拓の 碑が知っている 汗の量」


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忘れられない風景 ~タンポポと六ヶ所村④~

その少女が通う上弥栄村小学校は生徒数が10人ほど。
一年生から六年生までひとつの教室で授業を受ける。

しかし、今日ひとり、またひとりと子供たちが転校していく。

まだ、あどけない子供には、親たちの思惑や事情は分からない。
ただただ親しい幼友達との次々の別れが悲しく、涙するだけだった。

開発は子供たちにも暗い陰を落としていた。

東北の春。
タンポポの花が咲き乱れる。
村の野原一面が明るい黄色に染まる。

ボクは二年生の少女が、黄色の絨毯に埋もれタンポポと戯れる様子をスローモーションで描こうとハイスピードカメラで撮影した。

人気のない静寂な野原一帯に回転数の速いカメラの回る音が響いていた。

あの少女は今どうしているだろう。
今はすでに50歳に近い年齢の筈である。


         「タンポポや 弥栄遠き 少女かな」


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忘れられない風景 ~タンポポと六ヶ所村③~

上弥栄村の村名の弥栄(いやさか)とは、ますます栄えることを願う言葉である。
「皇尊弥栄」や「国の弥栄を祈る」などと使われるが、普段はあまり馴染みのない言葉である。

以前に書いた右翼の野村秋介さんは朝日新聞社で「天皇弥栄(すめらみこといやさか)」と言って拳銃自決したとも聞く。

戦前、国策に従い満蒙開拓に赴き、その夢に敗れ中国から引き揚げ、再び荒れ地の開拓に臨んだ人たちの悲痛な願いがこもった村名である。

しかし、そんな思いとは裏腹に、村の崩壊は進んでいく。
そして、村人たちは、今また国策によって開拓した村を追われようとしていた。

上弥栄村の中には「農民が農地を手放してしまったらおしまいだ」と頑強に開発に抵抗する人たちもいた。
そのひとりに小学二年生の娘を持つ親がいた。

子供たちにも開拓の波は押し寄せていた。


        「弥栄の 声枯れ果てる 開拓民」


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忘れられない風景 ~タンポポと六ヶ所村②~

石油コンビナートを建設するためとの名目で始まった「むつ小川原開発」は結局は巨大な原発廃棄物処理場と化けるのだが、この開発で六ヶ所村の各村々は、村の存続を巡って大いに揺れた。

巨額の開発費が動き、農地を手放した農民たちの中には、豪華な屋敷を建てる者も出始め、当時は六ヶ所村御殿などと呼ばれたものだ。

開発の巨大な力は、村人たちの中に、巧みに相互不信や猜疑心を生み出し、団結を崩していく。

当初は開発に反対していた上弥栄村の人たちも、札束の力には抗しきれず、一戸欠け、二戸欠けと引っ越していく。

村にとっては、学校が人々を結びつける共通の絆の原点となっていたのだが、開発側は、村人の最後の心の砦である、学校を廃校へと追い込んでいく。

ボクたちは、ひとつの村が壊されて行く姿を目の前で見た。
そして、その残酷で無残な様をそのまま記録したのだった。


   「国策に 脆く儚き 絆かな」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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