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忘れられない風景 ~石原慎太郎と野坂昭如の対決④~

石原慎太郎さんと野坂昭如さんの防衛論議の番組は、石原裕次郎の一件で空中分解し放送ができなくなった。
しかし、ボクは諦めきれずにいた。

ご両人がテレビ局に到着してから局を去るまでの様子を収録した記録は50分ほどあった。
ボクが出演者たちを説得して副調整室から居なくなった間も技術スタッフたちは、カメラアングルを考え、収録を続けてくれていたのだった。

たしかに、テーマである防衛論議の内容は中途半端なもので、これだけでは番組としてモノにはならない。
しかし、少し視点を変えて、二人の男の意地の張り合い、として描けば面白いのではないかと思った。
少なくとも、普段は見られない二人の素顔が見えた。
その視点で作りかえる自信があった。

もともと意図したものではなかったが、番組上のひとつのチャンスだと感じていた。

ボクはまずプロデューサーを口説いたが、首を縦に振らない。
部長にも談判したがダメだった。
それではと局長の説得を試みた。

局長はボクの目の前で収録したビデオテープを見てくれた。
彼は往年は優秀なドキュメンタリーのディレクターだった。
「うーん……」
と唸ってしばらく天井を見上げていた。

結局、放送を断念することになった。

こうしてこの番組は幻の名作?と化した。

今でもボクは、それをモノにできなかった自分のことを残念に思っている。


         「情熱と 知恵の不足で 幻に」


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忘れられない風景 ~石原慎太郎と野坂昭如の対決③~

石原慎太郎さんが野坂昭如さんとの対談の途中で席を蹴って居なくなった後も、野坂さんはずっとセットの席に座ったままだった。

その間、ボクはスタジオの控室で石原さんの説得をしていたのだったが、スタジオカメラはじっと待つ野坂さんの様子を回し続けていた。

少なくとも10分以上ひとり野坂さんの映像が続く。
やがて、野坂さんは席を立つ。
椅子がくるりと回り、先に居なくなった石原さんの椅子とお互いにそっぽを向く感じで止まった。

カメラは主の居なくなったスタジオのセットをずっと収録し続けていた。

こうして、ご両人の物別れで、この番組は空中分解した。

この番組収録が水曜日、その週の日曜日の放送を予定しての収録だった。
3日間のうちに番組を作らなくてはレギュラーの30分番組に穴があく。
急きょ、絵本作家の田島征三さんにお願いし、その週の金曜日に横須賀に入港したアメリカ航空母艦ミッドウェイをテーマに一日で取材し、日曜日の放送に間に合わせ、事なきを得た。

しかし、お話はこれからである。


         「幻や 意地がぶつかる 防衛論」


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忘れられない風景 ~石原慎太郎と野坂昭如の対決②~

石原慎太郎さんと野坂昭如さんの防衛論議が始まって7~8分経過した頃に野坂 さんが、石原さんの弟、石原裕次郎のことを持ち出した。

1981年4月、俳優の石原裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れた際、視察で小笠原諸島にいた石原慎太郎さんが自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京した。
これが公私混同として問題となった。

この対談の収録はその事件から間もなくのことで、野坂さんは、その責任を石原さんに突き付けたのだった。

石原さんは、そのことは防衛問題とは関係がないだろうと反発したが、野坂さんが執拗に食い下がったために、一瞬言葉に詰まった石原さんが、俺は帰る!と席を蹴ってしまった。

ボクは急いでサブコン(サブコントロールルーム・スタジオの副調整室)から駆け下りると石原さんは、さすがに帰ることはせず、スタジオ控室にいた。

ボクは石原さんにセットに戻るようにと説得したが、中々埒があかない。10分ほどして、それまでスタジオセットにいた野坂さんが現れた。

野坂さんは野坂さんで、裕次郎の件に対する石原さんの返答がなければ、この対談は続けられないと主張し、結局は両者折り合いがつかずに物別れとなってしまったのだった。


         「猛者たちは テレビなんぞは 遊び場と」


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忘れられない風景 ~石原慎太郎と野坂昭如の対決①~

番組制作にまつわる忘れられない風景は数限りなくあるが、そのひとつが石原慎太郎さんと野坂昭如さんの幻の対談かもしれない。

幻とは云っても対談は実際に行われた。

衆議院議員だった石原慎太郎さんと作家の野坂昭如さんに日本の防衛について議論してもらう企画を立て、テレビ局のスタジオにご両人にご登場いただいた。

その週の金曜日にアメリカの航空母艦ミッドウェイが横須賀港に入港することになっていたからである。

まず先に石原慎太郎さんが局に到着された。
車を降りられるところからスタジオに入るまでの数分間をインタビューしながらカメラが回る。
一方スタジオでは待ちうけていたカメラが、石原さんがスタジオに入るところから、セットの椅子に座り、対談相手の野坂さんが現れるまでの様子を回し続けている。

やがて、野坂昭如さんが到着しカメラは同様にスタジオまでを追った。

二人は当然顔見知りだが、どんな表情で対面するのかを含めて、その様子を全部記録しようと考えていた。

ご両人がセットの椅子に座られたところで、ボクがあらためて対談の主旨を説明する。

そんな様子を含めて全部収録し、いよいよ対談が始まった。


   「米空母 今は昔の ものがたり」


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「故藤井潔さんと語ろう会」のこと

昨年12月に83歳で亡くなられた藤井潔さんを偲ぶ会が新宿京王プラザホテルで行われ、末席を汚した。

藤井潔さんはNHKの大ディレクター、プロデューサーで、NHKを中途退社しネクサス(後に分裂しクリエイティブネクサス)というプロダクションを設立され、数々の名番組を制作された方である。

五十数人の小さな集まりだったが、NHKの錚々たるOBの方々が出席されていた。

藤井潔さんとは、かつてテレビ東京の編成局長だった植村鞆音さんが企画発案された「ドキュメンタリー人間劇場」の番組立ち上げに、テレビマンユニオンの重延浩さん、カノックスの故久世光彦さん、そして藤井潔さんと共に参加させていただいた時に知り合った。

その後、パーティー等々で度々お目にかかり立ち話をする程度のお付き合いだった。

藤井さんがATP(全日本テレビ番組製作社連盟)の理事長をされていた時、幾度となくATPに参加するようにとお勧めいただいたが、その都度、まだまだそんな甲斐性はありませんので、とお断りし続けたのだったが、今さらながら、申し訳なかったと悔やんでいる。
懐の広い方だった。

偲ぶ会のおしまいに遺族である長女の方が挨拶で「家庭でも父からはテレビのこと以外の話を聞いたことはない。一緒に遊びに行った記憶もない。父の人生はテレビだけでした。でも私はそんな父が好きでした」と語られた。

集まられた皆さんのお話をお聞きしても、志を大切にする、テレビ一筋のお方であったようだ。

晩年は病魔と闘われたが、テレビ界にとっては本当に惜しい方を失ったのだと改めて実感した。


         「失いて あらためて知る 命かな」


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忘れられない風景 ~任侠右翼・野村秋介さん⑤~

野村秋介さんが、朝日新聞社東京本社の社長室に立てこもったということを知ったのは夕方のニュース番組でだった。
平成5年10月20日のことである。

週刊朝日に連載していた山藤章二さんの風刺コラムを巡って朝日新聞に抗議していたことは聞いていた。
しかし、彼が死を決意して朝日新聞社に乗り込むことは全く知らされていなかった。

ヘリコプターから流れる朝日新聞社の空撮映像をボクは不安な気持ちで視ていた。

結局、野村さんは、腹に拳銃で左右から一発づつ、そしてとどめの三発目を撃った。
二発までは何とか撃てるかも知れないが、三発目は余程の胆力を要するだろうと思う。

腹に左右からというのは、武士で言えば切腹である。
それは抗議を表す死に方である。
それを野村秋介さんは元ギャングらしく、刀ではなく拳銃で切腹したのだとボクは思った。

癌を患っていたとも聞いていた。

どこかで自らの死に場所を見つけていたのだろうとも思う。
畳の上で死を迎える人ではないとは思っていたが、死に場所として朝日新聞社はどうだったのか。
しかし、それもどこか清廉な野村秋介さんらしさであったのかも知れない。

享年58歳。
今でも、時々懐かしく会いたいと彼の顔を思い浮かべる。


         「逝き様の 百人百様 難しき」


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忘れられない風景 ~任侠右翼・野村秋介さん④~

ある日の夕刻、野村秋介さんから、飲みに来ないか、との電話があった。
彼は新宿ゴールデン街のガルガンチュアという店に独りでいた。

その店はジャーナリストの立花隆さんが始められたお店で、石橋幸さんという女性に引き継がれていた。
彼女はボクの早稲田大学の同窓生でロシア語の唄を歌う歌手でもある。
ボクの行きつけの店のひとつだった。

野村さんは「これから、テレビ朝日の『朝まで生テレビ』に出演するのだが、一緒に付き合ってくれないか」と云う。
『朝まで生テレビ』は今なお続いている長寿番組で、田原総一朗さんが各界論客の沸騰する議論を仕切る生放送の番組である。

ボクはさしづめ任侠右翼のボディーガードと云ったところだったが、局で同じ番組に出演される大島渚さんにもお会いできた。
これが大島渚さんとお会いした最後となった。

番組では野村秋介さんは堂々の論陣を張られた。
生意気なようだが、ホッとしたものである。


          「スタジオに 異質の光 放しつつ」


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忘れられない風景 ~任侠右翼・野村秋介さん③~

野村秋介さんと天皇について話したことがある。

「歴史を振り返れば、どんな国にもヒットラーやスターリンのようなとんでもない暴君が出現する。それは防ぎようのない事実だ。しかし、日本には天皇制という優れた制度がある。天皇に権威だけを持たせ、権力を与えないことによって、諸外国のような一人の暴君による専制政治を阻止する巧みな仕組みだ。権力をコントロールするのは国民だ。天皇制は日本の大切な文化だ」というのが野村さんの考えだった。

ボクは右翼でも左翼でもない。
どちらかと云えばアナーキーに近いが、天皇制については反対の立場をとる。

野村さんの云う理想とは裏腹に、事実、天皇の権威を利用し暴走した日本軍部の独裁政治の体験もある。

日本の文化という面では一理ある。

いま、北朝鮮の金一族は日本に真似て天皇制への移行を目指している。
しかし、脈々と続いてきた日本の天皇制の文化的側面と比して見れば、北朝鮮の企みは容易ではないと思える。

野村秋介さんとはよく話した。
彼は、世間的には前科者ではあったが、他人の命を傷つけることを嫌う、心根の優しい面を持っておられた。

ボクはそんな野村さんが好きだった。


   「人は皆 看板以外の 素顔持ち」


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忘れられない風景 ~任侠右翼・野村秋介さん②~

野村秋介さんは、テレビ出演をきっかけに、事あるごとにボクを飲みに誘った。

私生活に関してもオープンで、獄中にいる時もずっと彼のことを支え続けたという女性が経営する蒲田のスナックにもよく行った。
彼よりも年配で、陰の存在であることが見てとれた。

彼には一緒に暮らす妻がいたが、実は服役中に一度離婚しており、別の男性と結婚し子供までいたのを別れさせ、再び自分の妻にしていた。
その子供は自分の息子として育てていた。

「それじゃまるでヤクザじゃないですか」と云うと、彼はいたずらっぽくニヤリとした。
凄みのある笑いだった。
魅力的な男だと思った。

乱暴だが、いかにも人間くさく、同時にそういうところが、野村秋介さんの弱点でもあるのだなあと感じたりしたものだ。


   「酒飲んで 腹割あって 友となり」


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忘れられない風景 ~任侠右翼・野村秋介さん①~

自民党の重鎮・河野一郎邸焼打ち事件で12年、経団連会館襲撃事件で6年の実刑判決を受け服役した右翼の野村秋介さんにも可愛がっていただいた。

思想・信条は異にしたが、徹底した反権力の生き方に共感するものがあり、ボクがテレビ局在局中に担当していた11PMという夜の番組に出演してもらったのが、付き合いのきっかけだった。

野村さんはもともと横浜の愚連隊だったが、網走刑務所に服役中に民族主義に目覚め、後に右翼団体を結成、政治活動を始める。

ボクが野村さんに出演交渉で蒲田の自宅を訪ねた時は、経団連会館襲撃事件で服役し、出獄して間もなくの頃で「俺なんかをテレビに出して大丈夫なのか」と驚かれていたことを思い出す。

これが野村秋介さんのテレビ初出演だった。


   「突き詰めりゃ 右も左も 同じ穴」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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