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記憶に残る映画監督大島渚さんの言葉

映画監督の大島渚さんが亡くなられた。

ボクは牛山純一さんのもとに所属していた時に、3ヶ月間ほどの間、大島渚さんと仕事をさせていただいたことがある。

大島さんが自分自身を撮るテレビドキュメンタリーを作ることになり、そのアシスタントに配属されたのだった。ボクが20代の半ば過ぎだったから、大島さんもまだ40歳少し手前だったと思う。

番組の仕上げの録音作業の際、ウイスキーのボトルを片手にナレーターにキューを出し、適確な指示を下す大島さんの姿に凄いなあ、と妙に感心した覚えがある。

大島さんから色んな話を伺ったが、その中で記憶に残った言葉がある。

「君は、ボクが才能に溢れた凄い人間だと思っているだろう?だけど、本当はそれほどたいしたことはないんだよ。ただね、ひとつだけ心掛けていることがあるんだ。それは、映画や番組を作る時、何かひとつだけ、他の人がやっていない新しいことを考えだす、ということなんだ。ただ、それだけだよ。」

ボクはその後のボク自身の仕事で、大島さんのこの言葉を金科玉条とした。


   「さわやかな 思い出残し 師匠逝く」


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ドキュメンタリー番組をテレビ活性化の起爆剤に

企業倫理としてのコンプライアンスの意識は重要である。
しかし、コンプライアンスの前で制作者は勿論のことテレビ局も言論や表現の自由に関して委縮する必要はない。

テレビはごった煮のナベだから、情報やエンターテイメントを含め、さまざまな側面を持つ。

同時に、言論機関としての大切な役目もある。
それを担う番組のひとつがドキュメンタリー番組であると思う。

恐れることなく大胆に発言し、問題提起を行い、活発な議論を喚起する。
自らタブーを作り出す必要などない。

政治、経済、社会問題に限らず、音楽、絵画などの世界でも同様である。

そして、そのことによってテレビは活性化するのではないかと思う。

若者ばかりではなく、テレビに飽き足りないものを感じている熟年者も多い。

ある面で成熟し、管理化が徹底し、今の政治状況にもうんざりしている日本の社会に元気を吹き込む手段のひとつとしてドキュメンタリー番組を捉えることはできないだろうか。

新しい波を起こしたい。


   「さあ今日も 飲みに行こうぜ 議論しに」


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言論機関としてのドキュメンタリー番組

「ドキュメンタリー番組」がいつの間にか情報番組に取り込まれてしまった理由は明らかである。

客観報道の名の元に、制作者の主観や言論がその手法も含めて、巧みに封殺されてきたのだとボクは考えている。

「ドキュメンタリー番組」はその言論機関としての役目を知ってか知らずか放棄したのではなかったのか。

一年前に、ボクはこのブログの巻頭に「テレビに社説はないこと」それに「テレビはごった煮のナベのようなもの」と書いた。

マスコミなどの報道機関における中立性や公正性は確かに大切である。

しかし、それらが、ひとつひとつの番組の中で完結する必要はなく、それぞれがどんなに偏った番組であったとしても、ごった煮のテレビ番組総体の中でバランスがとれていれば良い筈である。
それが、テレビ局の編成の役割である。

番組の切り口は右と左だけではない。上もあれば下もある。
横も縦も斜めもある。前もあれば後ろもある。

縦横無尽な表現ができる番組として「ドキュメンタリー番組」を位置づけたい。


   「ごった煮の 魅力満載 ゲリラかな」


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あらためて「ドキュメンタリー番組」の在り方を考えたい

「ドキュメンタリー番組」と「ドキュメンタリー的な番組」とは別のモノである。

そして、それぞれの演出法は厳密に区別することが必要だと考えている。

くどくなるが、現在テレビでドキュメンタリー番組との位置づけで放送されている番組のほとんどが、「ドキュメンタリー的な番組」であり、その実態は情報番組である。

当然ながら、それらの番組ではより正確な情報に基づいた客観報道が義務付けられている。
それは至極当たり前のことであり、自然な形である。

しかし、一方、制作者の意志や主張に基づいた主観的な「ドキュメンタリー番組」の影は薄い。

今こそ「ドキュメンタリー番組」の在り方を真剣に考えることが必要なのではないか。

目指すべきところは旧態依然の価値観から脱却し、新しい価値観を生み出すことである。


   「今朝もまた 一人あの世に 旅立ちぬ」


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ドキュメンタリー番組の演出とは

ボクははじめに、ドキュメンタリー番組はニュースよりはドラマに近い、と書いた。

そして、ドキュメンタリー番組を、ある事象を客観的に記録する情報番組の範疇に位置させることには反対である。

あくまでも、制作者の個性や主張を大切にし、表現できる番組として存在させたいと願っている。

そのためには「やらせ」をも演出法のひとつとして認める立場に立つ。

ディレクターが、この「やらせ」は番組の意図や内容をより正確に分かりやすく視聴者に提供するための欠かすことの出来ない演出なのだと云い切ることができれば、それは「やらせ」ではなく、立派な演出法になるのだとボクは信じている。

ディレクターにはそれくらいの覚悟が必要なのだ。

そんな意味と願いを込めてボクは「ドキュメンタリー番組」と「ドキュメンタリー的な番組」とを区別している。


    「もう一杯 ふんどし締めて 飲み直し」


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ドキュメンタリーと「やらせ」

ドキュメンタリーはドラマだ、というのは云い過ぎだろうか。

しかし、名作「老人と鷹」は実在の鷹匠による再現ドラマである。

また「ある機関助士の記録」は機関車の時間の遅れを取り戻す機関助士の活躍を徹底したモンタージュ手法で描いたドラマだ。

「乾いた沖縄」は水飢饉に苦しむ沖縄の離島に生きる老婆を描いた傑作だが、その中で渇きに苦しむ牛が海水を飲み、倒れるシーンがある。
実際に、牛は海水を飲むことは絶対にない。牛に無理やり海水を飲ませ、その牛を倒す苦労についてのスタッフの後日談がある。

これらは、平たく云えば、全部「やらせ」である。

ドラマとは、別の言い方をすれば、すべてを「やらせ」という演出法で描く作品のことである。

牛山さんはこのドラマツルギィーを徹底してドキュメンタリーに取り入れ、優れたドキュメンタリーを世に送り出した天才的なドキュメンタリストだった。


    「こりゃいかん あぶない話に なってきた


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ドキュメンタリーはドラマだ

牛山さんが選んでボクが試写させてもらった作品群の中には、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「老人と鷹」や大島渚さん演出の「忘れられた皇軍」、牛山さん演出の「ベトナム海兵大隊戦記」、それに「乾いた沖縄」「水と風」、土本典昭さんの「ある機関助士の記録」など数々の作品があった。

今から思えば、それはまさにドキュメンタリーの宝庫だった。

それらのドキュメンタリー作品のひとつひとつに制作者の意図や主張が込められ、その迫力とそれぞれの演出法にボクは圧倒され、感動した。

本当に素晴らしい体験をさせていただいたと今さらながら感謝している。

そして、そこからボクが学んだことは、ドキュメンタリーはドラマだ、ということだった。

ちなみに、牛山純一さんの制作された代表的なドキュメンタリーは、現在、茨城県の竜ケ崎市立図書館にも収蔵されていて、いつでも視聴できる。


   「今日もまた 二日酔いだぜ 馬鹿社長」


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牛山純一さんのドキュメンタリー

「やらせ」について論じる前に、「ドキュメンタリー番組」と云えば、日本のテレビドキュメンタリーの形を作り上げた牛山純一さんを抜きにしては語れない。

ボクが20代半ば頃、牛山純一さんが日本テレビを退職されてプロダクションを設立される直前の三年間ほどの短い期間、彼の元に所属していた。

所属してすぐに、牛山さんから、彼がピックアップした100本近いドキュメンタリー番組のリストを渡され、それを試写するように言われた。

当時はまだビデオではなく、フィルムの時代だったので、日本テレビの広い試写室を借りて、一日5時間ほど、1ヶ月かけて試写した。
今思うと、1時間の映写室使用料がいくらだったかは知らないが、単純計算してもかなりの金額になる。

それらのフィルムは牛山さんがプロデューサーとして制作された「ノンフィクション劇場」や「すばらしい世界旅行」などの作品群の数々で、ボクはここで、ドキュメンタリーに初めて触れたのだった。


   「先人の 熱い思いが よみがえり」


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「やらせ」とは何か

過去に「やらせ」問題が盛んに取り上げられたことがある。

「やらせ」という言葉の響きは悪いけれど、実はそれも演出法のひとつであるとボクは考えているのだが、「やらせ」が問題になるのは、番組の規定の混乱から生じた事例だと思っている。

客観報道を条件とする情報番組においては「やらせ」は絶対に許されない演出方法であることは議論の余地はない。
したがって客観情報を条件としている「ドキュメンタリー的な番組」では「やらせ」はあってはならないことははっきりしている。

実際、過去の「やらせ」問題はすべてこの情報番組の中で起きている。

しかし、制作者の主観や主張を重んじる「ドキュメンタリー番組」ではどうなのか。


   「演出の 巾を拡げる やらせあり」


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番組概念の規定は大切だ

「ドキュメンタリー番組」なのか「ドキュメンタリー的な番組」なのか、などどちらでもいいじゃないの?と思われるかもしれない。

しかし、これは視聴者にとっても、制作者にとっても、とても大切なことだと思っている。

より客観的で正確な事実を伝える情報番組では、作り手の主観や主張は邪魔になるだけだし、一方、社会の矛盾や問題を告発するような問題提起のドキュメンタリー番組では制作者の主観報道がなければ成り立たない。

また、ある人物や事象の内面に迫るドキュメンタリーに客観描写は存在しえない。
制作者とその人物や事象のぶつかり合いの中で番組が成立する。

番組の規定の仕方で、作り手の演出方法は大きく異なる。

ごった煮のテレビ番組においては、特に表現や形式の多様性が重要で、番組概念の規定がなければ、作り手も視聴者も混乱することになる。


   「看板に 偽りなしの 煮込み鍋」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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