Archive | 2011年12月
上品なものも下品なものもすべてを煮込んでしまうナベ。
それは番組の品質とは矛盾しない別の価値観だと思っている。
このナベの猥雑さこそボクたち制作者の立ち位置を明確に示し、時として戒めてもくれるキーワードだとも思っている。
ボクたちの会社のあるこの通りも会社そのものも実に猥雑である。
ボクは当分ここから引っ越しをするつもりはない。
「これからも 赤い坂道 のろのろと」
ボクたちの会社名オルタスジャパンのオルタスとは「起源、出発、始まり、誕生、上昇」などを表すラテン語である。
さらに「東方の」などとの意味もあり、会社設立にあたってこの「東方の」というのがボクは気に入って社名とした。
太陽は東から昇る。
アジアの極東ジャパンから情報という光を発信する基地となろう。オルタスジャパン。誠に恐れ多い社名ではあるが、志だけは確かだとの自信はある。
困難に出会う度にこのオルタスという言葉を呪文のように唱える。
初心を忘れるな。初心に立ち戻れ。
そうすればどんなに苦しいことでも乗り切ることができる。
オルタスはボクの原点であり、会社の原点でもある。
「オルタスの いわれ知らずの 社員いて」

それは番組の品質とは矛盾しない別の価値観だと思っている。
このナベの猥雑さこそボクたち制作者の立ち位置を明確に示し、時として戒めてもくれるキーワードだとも思っている。
ボクたちの会社のあるこの通りも会社そのものも実に猥雑である。
ボクは当分ここから引っ越しをするつもりはない。
「これからも 赤い坂道 のろのろと」
ボクたちの会社名オルタスジャパンのオルタスとは「起源、出発、始まり、誕生、上昇」などを表すラテン語である。
さらに「東方の」などとの意味もあり、会社設立にあたってこの「東方の」というのがボクは気に入って社名とした。
太陽は東から昇る。
アジアの極東ジャパンから情報という光を発信する基地となろう。オルタスジャパン。誠に恐れ多い社名ではあるが、志だけは確かだとの自信はある。
困難に出会う度にこのオルタスという言葉を呪文のように唱える。
初心を忘れるな。初心に立ち戻れ。
そうすればどんなに苦しいことでも乗り切ることができる。
オルタスはボクの原点であり、会社の原点でもある。
「オルタスの いわれ知らずの 社員いて」



テレビ番組では自分たちの伝えたいことを発信でき、場合によっては受け手の人たちに感動や喜びや楽しみを提供することができる。
つまりそんな仕事をすることを許されている数少ない制作者集団なのだ。
だからその情報は、より正確でなければならないし、精査されたものでなければならない。
その意味でもボクたち番組制作者は、常に自分自身を問わなければならないし、テレビの時間を占有することへの恐れと誇りを持つ必要を、いつも自覚することになる。
その責任と仕事のありようが、エリートでなければならないと考えるゆえんである。
「やせがまん しなきゃならない こと多し」
制作者にエリートの自覚がある限り、ごった煮ナベの器は限りなく大きい方が良いし、またその食材は多種多様である方が望ましい。
そしてその根本が猥雑さだと思っている。
猥雑を広辞苑でひくと
「①みだりがましく入りまじること。みだれまじること。
②下品な感じがすること。げびて、みだらなこと。」とある。
その内容はボクたち庶民の暮らしそのものである。
特別に卑下することもなければ威張ることでもない。
ごくごく普通の暮らしこそ猥雑そのものなのだ。
そして、その中にこそ世の中の実相が隠されていると思っている。
「地べたから ビルの夕日を のぞいてる」

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つまりそんな仕事をすることを許されている数少ない制作者集団なのだ。
だからその情報は、より正確でなければならないし、精査されたものでなければならない。
その意味でもボクたち番組制作者は、常に自分自身を問わなければならないし、テレビの時間を占有することへの恐れと誇りを持つ必要を、いつも自覚することになる。
その責任と仕事のありようが、エリートでなければならないと考えるゆえんである。
「やせがまん しなきゃならない こと多し」
制作者にエリートの自覚がある限り、ごった煮ナベの器は限りなく大きい方が良いし、またその食材は多種多様である方が望ましい。
そしてその根本が猥雑さだと思っている。
猥雑を広辞苑でひくと
「①みだりがましく入りまじること。みだれまじること。
②下品な感じがすること。げびて、みだらなこと。」とある。
その内容はボクたち庶民の暮らしそのものである。
特別に卑下することもなければ威張ることでもない。
ごくごく普通の暮らしこそ猥雑そのものなのだ。
そして、その中にこそ世の中の実相が隠されていると思っている。
「地べたから ビルの夕日を のぞいてる」



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ボクたちはテレビ番組の制作者であって、視聴者ではない。
あくまでも送り手の一員であり、面白く、高品質の番組を制作し受け手に送り出さなければならないという義務を負っている。
だからボクたちは、なおさら自分たちが送り出す番組に、限りない責任と見識がいつも求められている。
「責任も いつか忘れて 飲み歩き」
誤解を承知であえて言えば、「ボクたちはエリートなのだ」と制作スタッフに言っている。
というより「エリートでなければならない」と考えている。
1日は24時間しかないわけで、ボクたちの企画がその中の限られた放送の枠を30分、1時間、またある場合は2時間もの時間を占有できることになるからだ。
「貧しさと 共に歩もう エリートだ」

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だからボクたちは、なおさら自分たちが送り出す番組に、限りない責任と見識がいつも求められている。
「責任も いつか忘れて 飲み歩き」
誤解を承知であえて言えば、「ボクたちはエリートなのだ」と制作スタッフに言っている。
というより「エリートでなければならない」と考えている。
1日は24時間しかないわけで、ボクたちの企画がその中の限られた放送の枠を30分、1時間、またある場合は2時間もの時間を占有できることになるからだ。
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