Category | テレビ
先のブログで、安保法案に関連して、憲法第九条の不戦の意志について書いた。
それについて、ボクの尊敬する聖書研究家の道川勇雄さんから次のようなメッセージをいただいた。
まず、それを紹介したい。
「憲法第九条の戦争放棄の思想は人類としての夢であり意義のある実験である。この壮大な実験を成功させる努力を続けられることは大きなチャレンジである。」と書いておられますが、人類はすでに実験済みなのです。
イスラエル・ユダヤがその実験民族でした。そして、失敗しました。
失敗の経緯を記録しているのが聖書です。
失敗の理由は、個々人に巣食う我執(エゴイズム)でした。
イエスは、このイスラエル・ユダヤが失敗した「平和共存」の条件を、エゴイズムからの百八十度の方向転換である「悔改め」として要請しました。
ところがこれを説いたイエスをイスラエル・ユダヤ人は十字架につけて殺しました。
そのことは、「平和共存」の条件である「より弱い者の弱さを負う」ことが、生来の人間には不可能であることを実証したことになります。「全に対する個の背反」というエゴイズムからの百八十度の方向転換は、個が自らを「無きに等しい者」として自覚するまでは不可能であることを意味します。
お書きになられている「壮大な実験を成功させる努力」は、すでに聖書が達しているこの帰結をベースにして始める必要があるのでしょう。
道川勇雄さんを、ボクは勝手に日本一の聖書研究家である、と思っているが、まんざら的外れではないと信じている。
道川さんによると、日本の聖書研究の第一人者は、三笠宮崇仁親王だとのことである。
三笠宮は現在の天皇の叔父にあたる。
1915年生まれで、現在、存命中の皇族の中では最年長であり、古代オリエント史を修めた歴史学者でもある。
神道を奉ずる皇族が聖書研究の専門家というのは意外な感もあるが、皇室というのはそういう存在でもあるらしい。
秋篠宮の二女である佳子さんが、学習院大学を中途退学して、国際基督教大学に入学したのも、実は皇室の聖書研究の一環の流れであるとも聞いている。
そうだとすると、道川さんは、三笠宮に次ぐ聖書の研究家ということになる。
道川さんからのメッセージで、聖書とはそういう書であったのかと初めて知ったのだったが、とても興味深い。
彼のメッセージに書かれている内容を理解するには実はボクの教養があまりにも乏し過ぎるのだが、意味はある程度は分かる。
エゴの存在は人間である限り、否定することはできないし、極言すれば、エゴが人間を存在させているとも云える。
実際に、そのエゴが原因で日常生活でも争い事は絶えることはないし、大きくは地球上で戦争が行われなかったことは一瞬として無かったことも事実である。
平和共存は理屈の上でも、また実際上でも絶望ということになる。
聖書が指摘している通りに、そこからが、スタートである、というのは正論であり、また当然であると理解する。
しかし、絶望していても始まらない。
たとえば戦争をもっとも身近なところで見るとどうか。
わずか500年ほど前の日本は、戦国時代と称されているように、何十もの国に分かれ覇権を巡って戦争を繰り返していた。
目的は日本の統一にあった。
当時の戦国武将たちの中で、現在の日本の姿を予想できた者が果していたかどうか。
同じ民族とは云え、文化も言葉も異なっていた。
それが、明治維新を経て、ようやく日本はひとつの国になった。
情報文化の発達により、言語も文化も均一化されて現在がある。
その間、失われたモノもあるが、少なくとも日本国内での戦争は無くなった。
日本は朝鮮系、中国系、南方系等々を含めた異民族の混血で成り立つ国だが、その構成が比較的分かり易い民族である。
未来は計り知れないが、当分は過去では当たり前だった日本国内での内乱を含めた戦争は想定し難い。
少なくとも日本国内の戦争は克服できた。
この歴史の事実をどう受け止め、考えるかである。
過去も現在も宗教は平和を妨げる大きな要因だし、民族の対立もある。
経済や政治体制の違いや大国の野望もある。
それらの諸事情を前にして、世界の平和などという言葉は何の意味も持たないかのようにも見える。
それでも、人間がエゴという業から逃れることができず、戦争のない世を作ることなど不可能だよ、との聖書による検証結果が存在したとしても、ああ、そうですかと戦争肯定に向かうのではいかにも情けない。
だからこそ余計に、戦争を否定するとの目標を掲げ、そこに人類が向かう努力をしようとする意志の存在が大切である。
科学の世界で、人間が想像したり、描いたりする図は必ず達成できると聞いたことがある。
政治の世界もそうはならないのだろうか。
可能か不可能か、つまるところは、その成否に関わらず、それぞれの人間の生き方が問われる問題なのである。
不遜にも他国に侵略し、挙句の果てにアメリカに戦争を仕掛け、その結果手ひどい敗戦を喫するという惨めだが貴重な体験を経た後、日本は70年間という、歴史からすると短いかもしれない時間だが、直接戦争の体験をしない形で生きて来た。
勿論、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々で日本は後方基地としての役割をはじめとして間接的、直接的な形で戦争に加担して来た事実はあるから、戦争と無縁であった訳ではない。
しかし、戦後、表向きは無事に平和国家としての道を歩んで来た。
その根拠となっていたのが憲法第九条であることは間違いの無い事実である。
少なくとも、曲がりなりにも不戦の意志を国家の意志として貫いてきた。
この形をあと10年でも20年でも、1日でも長く続けることはとても意味のあることである。
刻々と移ろう世は無常である。
変化する。
人類の命にも、地球の寿命でさえも限りはある。
恒久や永遠など求めることはもともと無理なこと。
それでも、1日でも長い平和を願い、そのための努力を重ねることは、それほど困難なことではない。
それを自らの意志で放棄するほど愚かなことはない筈である。
憲法第9条はそのためにも絶対不可欠な平和のための砦にするべきである。
ちなみに、聖書は人間絶望の書であると同時に、神による希望の書であるという。
希望の書と言える理由は、神によって「宇宙万物が再完成」されることが確約されているから、だそうである。
しかし、神は所詮人間が創り出した概念に過ぎず、その存在を証明する方法さえ持たない。
文字通り、苦しい時の神頼みで、そんな概念上の存在が保証する確約を当てにすることは出来ない。
聖書を含めた人間絶望論のリアリティーの下で、人間のことは人間が責任をもって始末するしか、他に方法はないのである。
たとえそれが絶望的に困難なことであっても、何度でも失敗を繰り返して挑戦するしかない。
それが平和への唯一の生き方であると思う。
「神さまが ホントに在れば いいのにな」

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それについて、ボクの尊敬する聖書研究家の道川勇雄さんから次のようなメッセージをいただいた。
まず、それを紹介したい。
「憲法第九条の戦争放棄の思想は人類としての夢であり意義のある実験である。この壮大な実験を成功させる努力を続けられることは大きなチャレンジである。」と書いておられますが、人類はすでに実験済みなのです。
イスラエル・ユダヤがその実験民族でした。そして、失敗しました。
失敗の経緯を記録しているのが聖書です。
失敗の理由は、個々人に巣食う我執(エゴイズム)でした。
イエスは、このイスラエル・ユダヤが失敗した「平和共存」の条件を、エゴイズムからの百八十度の方向転換である「悔改め」として要請しました。
ところがこれを説いたイエスをイスラエル・ユダヤ人は十字架につけて殺しました。
そのことは、「平和共存」の条件である「より弱い者の弱さを負う」ことが、生来の人間には不可能であることを実証したことになります。「全に対する個の背反」というエゴイズムからの百八十度の方向転換は、個が自らを「無きに等しい者」として自覚するまでは不可能であることを意味します。
お書きになられている「壮大な実験を成功させる努力」は、すでに聖書が達しているこの帰結をベースにして始める必要があるのでしょう。
道川勇雄さんを、ボクは勝手に日本一の聖書研究家である、と思っているが、まんざら的外れではないと信じている。
道川さんによると、日本の聖書研究の第一人者は、三笠宮崇仁親王だとのことである。
三笠宮は現在の天皇の叔父にあたる。
1915年生まれで、現在、存命中の皇族の中では最年長であり、古代オリエント史を修めた歴史学者でもある。
神道を奉ずる皇族が聖書研究の専門家というのは意外な感もあるが、皇室というのはそういう存在でもあるらしい。
秋篠宮の二女である佳子さんが、学習院大学を中途退学して、国際基督教大学に入学したのも、実は皇室の聖書研究の一環の流れであるとも聞いている。
そうだとすると、道川さんは、三笠宮に次ぐ聖書の研究家ということになる。
道川さんからのメッセージで、聖書とはそういう書であったのかと初めて知ったのだったが、とても興味深い。
彼のメッセージに書かれている内容を理解するには実はボクの教養があまりにも乏し過ぎるのだが、意味はある程度は分かる。
エゴの存在は人間である限り、否定することはできないし、極言すれば、エゴが人間を存在させているとも云える。
実際に、そのエゴが原因で日常生活でも争い事は絶えることはないし、大きくは地球上で戦争が行われなかったことは一瞬として無かったことも事実である。
平和共存は理屈の上でも、また実際上でも絶望ということになる。
聖書が指摘している通りに、そこからが、スタートである、というのは正論であり、また当然であると理解する。
しかし、絶望していても始まらない。
たとえば戦争をもっとも身近なところで見るとどうか。
わずか500年ほど前の日本は、戦国時代と称されているように、何十もの国に分かれ覇権を巡って戦争を繰り返していた。
目的は日本の統一にあった。
当時の戦国武将たちの中で、現在の日本の姿を予想できた者が果していたかどうか。
同じ民族とは云え、文化も言葉も異なっていた。
それが、明治維新を経て、ようやく日本はひとつの国になった。
情報文化の発達により、言語も文化も均一化されて現在がある。
その間、失われたモノもあるが、少なくとも日本国内での戦争は無くなった。
日本は朝鮮系、中国系、南方系等々を含めた異民族の混血で成り立つ国だが、その構成が比較的分かり易い民族である。
未来は計り知れないが、当分は過去では当たり前だった日本国内での内乱を含めた戦争は想定し難い。
少なくとも日本国内の戦争は克服できた。
この歴史の事実をどう受け止め、考えるかである。
過去も現在も宗教は平和を妨げる大きな要因だし、民族の対立もある。
経済や政治体制の違いや大国の野望もある。
それらの諸事情を前にして、世界の平和などという言葉は何の意味も持たないかのようにも見える。
それでも、人間がエゴという業から逃れることができず、戦争のない世を作ることなど不可能だよ、との聖書による検証結果が存在したとしても、ああ、そうですかと戦争肯定に向かうのではいかにも情けない。
だからこそ余計に、戦争を否定するとの目標を掲げ、そこに人類が向かう努力をしようとする意志の存在が大切である。
科学の世界で、人間が想像したり、描いたりする図は必ず達成できると聞いたことがある。
政治の世界もそうはならないのだろうか。
可能か不可能か、つまるところは、その成否に関わらず、それぞれの人間の生き方が問われる問題なのである。
不遜にも他国に侵略し、挙句の果てにアメリカに戦争を仕掛け、その結果手ひどい敗戦を喫するという惨めだが貴重な体験を経た後、日本は70年間という、歴史からすると短いかもしれない時間だが、直接戦争の体験をしない形で生きて来た。
勿論、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々で日本は後方基地としての役割をはじめとして間接的、直接的な形で戦争に加担して来た事実はあるから、戦争と無縁であった訳ではない。
しかし、戦後、表向きは無事に平和国家としての道を歩んで来た。
その根拠となっていたのが憲法第九条であることは間違いの無い事実である。
少なくとも、曲がりなりにも不戦の意志を国家の意志として貫いてきた。
この形をあと10年でも20年でも、1日でも長く続けることはとても意味のあることである。
刻々と移ろう世は無常である。
変化する。
人類の命にも、地球の寿命でさえも限りはある。
恒久や永遠など求めることはもともと無理なこと。
それでも、1日でも長い平和を願い、そのための努力を重ねることは、それほど困難なことではない。
それを自らの意志で放棄するほど愚かなことはない筈である。
憲法第9条はそのためにも絶対不可欠な平和のための砦にするべきである。
ちなみに、聖書は人間絶望の書であると同時に、神による希望の書であるという。
希望の書と言える理由は、神によって「宇宙万物が再完成」されることが確約されているから、だそうである。
しかし、神は所詮人間が創り出した概念に過ぎず、その存在を証明する方法さえ持たない。
文字通り、苦しい時の神頼みで、そんな概念上の存在が保証する確約を当てにすることは出来ない。
聖書を含めた人間絶望論のリアリティーの下で、人間のことは人間が責任をもって始末するしか、他に方法はないのである。
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それが平和への唯一の生き方であると思う。
「神さまが ホントに在れば いいのにな」



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物事には常に表と裏がある。
建前と本音という云い方もする。
しかし、本音をすべて吐露しての議論というのは現実には難しいようである。
特に政治の世界では、それが顕著に現れる。
国会などでは、ほとんどすべての議論が建前で行われるので、何が話されているのかが分からないし、本当の姿が見えて来ない。
政治評論家と称する専門家たちが解説してくれるのを聞いて、ああ、あれはそういう意味なのか、などと頷いたりもするのだが、それでもその解説もやはり建前の域を出ないことが多いので結局のところは何だか分からない、ということになる。
一方、野党の先生方も、国会質疑などで、慣れ合いなのか勉強不足なのかは知らないが、舌鋒だけは鋭いが、内容が伴わないので、不毛の論議で終わる。
政局がらみの時だけは野党の活躍が目立つ、というのが現状だ。
先日、弁護士のHさんと食事をした。
Hさんは60歳を少し過ぎた熟練の弁護士である。
つい最近、ある案件で大変お世話になり、まずはお礼を兼ねての酒席からお付き合いが始まった。
安保法案のことが話題に上がった。
「8月30日の国会正門前のデモは3万人ですね。あの広さではそれ以上の人数は無理ですね」とHさんは云った。
主催者は12万人と発表したが、警察の発表では3万人となっている。
こういう数字は主催者側と警察とでは大きく異なるのが通例である。
いったい本当のところはどうなのかと、今回のデモの参加者の実数を調べた人がいる。
実際にデモに参加したその人の調べだと、国会正門前には3万人程度が最大の許容人数だと云う。
しかし、厳重な規制が敷かれた状況下で、正門前にたどり着けずにその周辺にいた参加者たちも多い筈だと、その人は観察した。
そこで、当日国会周辺の地下鉄の最寄り駅4駅の改札を出た人数を調べ、そこから差し引きして推測したデモ参加者人数は、およそ7万人以上になるという。
赤坂見付駅はどうしてもデーターを開示してくれなかったのでそれを勘定に入れると、更に参加人数は増える。
従って、国会正門前のデモ参加者は3万人という警察発表も正しいし、周辺の参加者を含め12万人という主催者発表も正しいのではないか、というのがその人の結論である。
なるほど、物事は調べれば、当たらずと言えども遠からず、実態に近い姿に近づくものである。
「それにしても、国会議員がデモに参加して、それに頼るというのはどんなもんでしょうかね」とHさんは云う。
選挙によって選ばれ、国民の負託を受けた国会議員は、国会で死力を尽くすべきで、デモに参加するなどは無様だとのHさんの論は正論である。
勿論、政治活動の一環としてデモに加わることは自由であるが、その力に頼ろうとするのではいかにも情けない。
「国民も、選挙で選んだ結果がこういう形の政治を生み出しているのだから、今さら何を騒いでいるのか、と私も思っているんです」と同席した妻の意見もあった。
これもまた、正論である。
憲法改正を初めから謳っている政党を支持し、圧倒的多数の国会議員を選出したのは、われわれ国民であることはその通りである。
しかし、共同通信8月14、15日の世論調査によると、戦後70年に当たって安倍首相が発表した首相談話で、安倍政権の支持率が多少持ち直したとは云え、依然として不支持率が支持率を上回っている。
また、安保法案の今国会の成立に関しては、賛成29.2%、反対が62.4%と多くの国民が反対していることもまた事実である。
そんな世論の中にあって、安保法案が今月14日の週内の成立に向けて進んでいる現実がある。
間違いなく安保法案は成立する。
これらをどう考えるかである。
野党の非力やだらしなさは腹立たしいし、国民も前から分かっていることをいまさら騒いでどうなるの、という面はあるが、それでも、これが議会制民主主義の形なのだから仕方が無いと割り切れない人々が立ちあがったデモを愚かな事とは断罪できない。
今回のデモに集まっているのは、組織動員は勿論あるだろうが、多くは普通の人たちである。
この法案が内包している危険性を危惧する一般市民である。
「安保法案を戦争法案だと思いますか」とHさんは少し皮肉っぽくボクに問うた。
「この法案が成立したから、はい、戦争、などという風には思わないし、いくら安倍政権でも積極的に戦争をしようなどと考えているとも思わない。ただ、この安保法案の成立に続いて、憲法改正が待ち構えていることは事実です。これは許してはならない。ボクたちに最も必要なのは、戦争は絶対にしない、という不戦の決意だと思います」いささか単純めいて青臭いかもしれないと思いながらではあったがボクそう応えた。
「わたしも戦争をすることには反対です。それは同じです。しかし、集団的自衛権の行使を認めていない国は無いでしょう」とHさんは云った。
「不戦の決意を国家の決意として全世界に発信することが何よりも大切で、その決意をあやふやにするような一切の言動や法案は慎むべきだと思っています。中国や韓国、北朝鮮などアジアの近隣諸国と友好な関係を築くことを第一義として、それらの国々に不安を感じさせるようなことはするべきではないと思います」
先日書いた、降伏文書でも明らかなように日本は「天皇および日本国政府は連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」との条件の下で先の戦争を終結した。
そして占領下の屈辱を味わわされ、それが解かれた後も、実質的にはアメリカに従属する形で現在があることは誰もが認めるところである。
アメリカに叛旗を翻した政権はアメリカの手で倒されるのを見て来た。
従属の中で独立国としての体面を保つことは困難である。
政権運営を担う者の苦労は察するに余りある。
そして安保法案の本質もここにあることは理解できる。
日本に脅威を与える国家は中国や北朝鮮などであろう筈はなく、最も恐ろしいのは実はアメリカである。
そうだからと言って、唯々諾々と安保法案を受け入れるのは賢明なことだろうか。
一方で、憲法はアメリカから押し付けられたものだから、これを改正すべきだとの論がある。
しかし、そうならば、ここはそれを逆手にとって、日本には、先人があなた方から頂いた大切な日本国憲法がある。
これを守って行くことがそれを受け継いだ子孫としての役目です、との論を張るべきだと思う。
実際に、多くの憲法学者が安保法案は憲法違反であると断定している。
近くは、山口繁元最高裁長官も安保法案を違憲であるとの見解を示した。
憲法の番人である最高裁の元トップの発言の意味は重い。
その意味では、日本国憲法は日本を守る最大の武器である。
そして、それはアメリカからいただいたものだ、との強みもある。
翻ってみれば、もともと議会制度を含めて、日本の近代化に向けての動きの中で、日本独自の文化は賛否は別にして天皇制の他に何があるのだろうか。
日本はこれまで、古くから中国や朝鮮半島から文化を取り入れ、明治維新以来西欧列強に蛮族と言われ、攻め滅ぼされないために文明開化と称し、競って西欧文化に習ってきた。
古来から、外来文化の長所を日本流にアレンジするのが日本のお家芸の筈である。
日本の神話でさえ、外来の思想を取り入れているということも耳にしている。
アメリカの考えた憲法であっても良い所は受け入れることに躊躇する理由は無い。
ことに憲法第九条の戦争放棄の思想は人類としての夢であり意義のある実験である。
この壮大な実験を成功させる努力を続けられることは大きなチャレンジである。
時代の変化に伴い、憲法を含めた様々な約束事の見直しはする必要はあるだろう。
世界は動いているし、生き物である。
現実の動きとそれら約束事とのかい離はある程度は正すべきである。
硬直化すれば破綻を来すことになる。
しかし、その根っこにある大切な芯を変えることがあってはならない。
ボクは特別の思想信条がある訳ではない。
何十年来、支持政党もなければ政治にも鈍感で、無責任を任じて生きている。
しかし、少なくとも、憲法第九条の不戦の思想だけは大切にしたいと考えている。
「建前を いまこそ生かせ 第九条」

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建前と本音という云い方もする。
しかし、本音をすべて吐露しての議論というのは現実には難しいようである。
特に政治の世界では、それが顕著に現れる。
国会などでは、ほとんどすべての議論が建前で行われるので、何が話されているのかが分からないし、本当の姿が見えて来ない。
政治評論家と称する専門家たちが解説してくれるのを聞いて、ああ、あれはそういう意味なのか、などと頷いたりもするのだが、それでもその解説もやはり建前の域を出ないことが多いので結局のところは何だか分からない、ということになる。
一方、野党の先生方も、国会質疑などで、慣れ合いなのか勉強不足なのかは知らないが、舌鋒だけは鋭いが、内容が伴わないので、不毛の論議で終わる。
政局がらみの時だけは野党の活躍が目立つ、というのが現状だ。
先日、弁護士のHさんと食事をした。
Hさんは60歳を少し過ぎた熟練の弁護士である。
つい最近、ある案件で大変お世話になり、まずはお礼を兼ねての酒席からお付き合いが始まった。
安保法案のことが話題に上がった。
「8月30日の国会正門前のデモは3万人ですね。あの広さではそれ以上の人数は無理ですね」とHさんは云った。
主催者は12万人と発表したが、警察の発表では3万人となっている。
こういう数字は主催者側と警察とでは大きく異なるのが通例である。
いったい本当のところはどうなのかと、今回のデモの参加者の実数を調べた人がいる。
実際にデモに参加したその人の調べだと、国会正門前には3万人程度が最大の許容人数だと云う。
しかし、厳重な規制が敷かれた状況下で、正門前にたどり着けずにその周辺にいた参加者たちも多い筈だと、その人は観察した。
そこで、当日国会周辺の地下鉄の最寄り駅4駅の改札を出た人数を調べ、そこから差し引きして推測したデモ参加者人数は、およそ7万人以上になるという。
赤坂見付駅はどうしてもデーターを開示してくれなかったのでそれを勘定に入れると、更に参加人数は増える。
従って、国会正門前のデモ参加者は3万人という警察発表も正しいし、周辺の参加者を含め12万人という主催者発表も正しいのではないか、というのがその人の結論である。
なるほど、物事は調べれば、当たらずと言えども遠からず、実態に近い姿に近づくものである。
「それにしても、国会議員がデモに参加して、それに頼るというのはどんなもんでしょうかね」とHさんは云う。
選挙によって選ばれ、国民の負託を受けた国会議員は、国会で死力を尽くすべきで、デモに参加するなどは無様だとのHさんの論は正論である。
勿論、政治活動の一環としてデモに加わることは自由であるが、その力に頼ろうとするのではいかにも情けない。
「国民も、選挙で選んだ結果がこういう形の政治を生み出しているのだから、今さら何を騒いでいるのか、と私も思っているんです」と同席した妻の意見もあった。
これもまた、正論である。
憲法改正を初めから謳っている政党を支持し、圧倒的多数の国会議員を選出したのは、われわれ国民であることはその通りである。
しかし、共同通信8月14、15日の世論調査によると、戦後70年に当たって安倍首相が発表した首相談話で、安倍政権の支持率が多少持ち直したとは云え、依然として不支持率が支持率を上回っている。
また、安保法案の今国会の成立に関しては、賛成29.2%、反対が62.4%と多くの国民が反対していることもまた事実である。
そんな世論の中にあって、安保法案が今月14日の週内の成立に向けて進んでいる現実がある。
間違いなく安保法案は成立する。
これらをどう考えるかである。
野党の非力やだらしなさは腹立たしいし、国民も前から分かっていることをいまさら騒いでどうなるの、という面はあるが、それでも、これが議会制民主主義の形なのだから仕方が無いと割り切れない人々が立ちあがったデモを愚かな事とは断罪できない。
今回のデモに集まっているのは、組織動員は勿論あるだろうが、多くは普通の人たちである。
この法案が内包している危険性を危惧する一般市民である。
「安保法案を戦争法案だと思いますか」とHさんは少し皮肉っぽくボクに問うた。
「この法案が成立したから、はい、戦争、などという風には思わないし、いくら安倍政権でも積極的に戦争をしようなどと考えているとも思わない。ただ、この安保法案の成立に続いて、憲法改正が待ち構えていることは事実です。これは許してはならない。ボクたちに最も必要なのは、戦争は絶対にしない、という不戦の決意だと思います」いささか単純めいて青臭いかもしれないと思いながらではあったがボクそう応えた。
「わたしも戦争をすることには反対です。それは同じです。しかし、集団的自衛権の行使を認めていない国は無いでしょう」とHさんは云った。
「不戦の決意を国家の決意として全世界に発信することが何よりも大切で、その決意をあやふやにするような一切の言動や法案は慎むべきだと思っています。中国や韓国、北朝鮮などアジアの近隣諸国と友好な関係を築くことを第一義として、それらの国々に不安を感じさせるようなことはするべきではないと思います」
先日書いた、降伏文書でも明らかなように日本は「天皇および日本国政府は連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」との条件の下で先の戦争を終結した。
そして占領下の屈辱を味わわされ、それが解かれた後も、実質的にはアメリカに従属する形で現在があることは誰もが認めるところである。
アメリカに叛旗を翻した政権はアメリカの手で倒されるのを見て来た。
従属の中で独立国としての体面を保つことは困難である。
政権運営を担う者の苦労は察するに余りある。
そして安保法案の本質もここにあることは理解できる。
日本に脅威を与える国家は中国や北朝鮮などであろう筈はなく、最も恐ろしいのは実はアメリカである。
そうだからと言って、唯々諾々と安保法案を受け入れるのは賢明なことだろうか。
一方で、憲法はアメリカから押し付けられたものだから、これを改正すべきだとの論がある。
しかし、そうならば、ここはそれを逆手にとって、日本には、先人があなた方から頂いた大切な日本国憲法がある。
これを守って行くことがそれを受け継いだ子孫としての役目です、との論を張るべきだと思う。
実際に、多くの憲法学者が安保法案は憲法違反であると断定している。
近くは、山口繁元最高裁長官も安保法案を違憲であるとの見解を示した。
憲法の番人である最高裁の元トップの発言の意味は重い。
その意味では、日本国憲法は日本を守る最大の武器である。
そして、それはアメリカからいただいたものだ、との強みもある。
翻ってみれば、もともと議会制度を含めて、日本の近代化に向けての動きの中で、日本独自の文化は賛否は別にして天皇制の他に何があるのだろうか。
日本はこれまで、古くから中国や朝鮮半島から文化を取り入れ、明治維新以来西欧列強に蛮族と言われ、攻め滅ぼされないために文明開化と称し、競って西欧文化に習ってきた。
古来から、外来文化の長所を日本流にアレンジするのが日本のお家芸の筈である。
日本の神話でさえ、外来の思想を取り入れているということも耳にしている。
アメリカの考えた憲法であっても良い所は受け入れることに躊躇する理由は無い。
ことに憲法第九条の戦争放棄の思想は人類としての夢であり意義のある実験である。
この壮大な実験を成功させる努力を続けられることは大きなチャレンジである。
時代の変化に伴い、憲法を含めた様々な約束事の見直しはする必要はあるだろう。
世界は動いているし、生き物である。
現実の動きとそれら約束事とのかい離はある程度は正すべきである。
硬直化すれば破綻を来すことになる。
しかし、その根っこにある大切な芯を変えることがあってはならない。
ボクは特別の思想信条がある訳ではない。
何十年来、支持政党もなければ政治にも鈍感で、無責任を任じて生きている。
しかし、少なくとも、憲法第九条の不戦の思想だけは大切にしたいと考えている。
「建前を いまこそ生かせ 第九条」



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わが社でも、この夏、戦後70年をテーマとした戦争を考える番組を制作させてもらったが、いわゆる戦争関係の報道は8月15日をピークとして一斉にその姿を消した。
量的にも質的にも、この程度の番組しか放送しないのかとの声もあれば、その一方で戦争についての番組ばかりでもう視たくないよ、との声も聞かれた。
先日、萩原猛さんが一冊の本を携えて会社に見えた。
「ようやく出版に漕ぎつけましたよ」と満面の笑みと共に差し出された本のタイトルは「日本の敗戦記念日と降伏文書」とある。
萩原猛さんは74歳。
高校を卒業後、NHKに入局。5年間勤めて退職し明治大学へ。卒業後、労働組合運動、反戦平和運動に参加。その後、中国上海に渡り生活するなどして、中国との親交を深める。
2011年に論創社から「上海今昔ものがたり」を出版している。
今回の著作が同社からの2冊目の出版となる。
日本の終戦記念日は昭和20年8月15日とされているが、本来は昭和20年9月2日にするべきだというのが萩原さんの主張である。
8月15日には天皇の玉音放送により終戦の詔書が読み上げられ、戦争を終えることが日本国民に知らされた。
一般的にはこの日をもって終戦としているが、この一方的な宣言で戦争状態の終結と決定してよいのか、との疑問を萩原さんは持っている。
実際には各地で戦争状態は続いており、関東軍がソ連軍に降伏したのは8月19日であるし、千島列島がソ連軍に占領されたのは9月1日である。
日本と連合国の間で取り決められた「降伏文書」の署名、調印が完了した9月2日午前9時8分をもって戦争終結とするべきだというのが萩原さんの主張だ。
なぜ彼はこのことにこだわるのか。
敗戦を終戦と表現し、その記念日を9月2日ではなくて8月15日にしているのには、当時から現在に至るまでの日本国政府の大きな意図が隠されていると萩原さんは考えている。
それは、「降伏文書」の存在を国民の眼に出来る限り触れないようにとの考えがあるからだと彼は指摘している。
云われてみれば、ボクの勉強不足も大いにあるが、これまで「降伏文書」の存在に注目したことがなかったし、あるいは多くの人々は「降伏文書」の存在やその内容については知らないのではないかとも思う。
事実、日本の中学、高校の教科書には、降伏文書の内容紹介の記述は一切なく、史料としても降伏文書の本文の掲載はない。
少なくとも学校教育では降伏文書は葬り去られているというのが実情であるようだ。
降伏文書の調印は、昭和20年9月2日、東京湾上米艦船ミズリー号で行われた。
日本側は重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が署名し、次にマッカーサーが連合国を代表して署名。
その右下に、米、中、英、ソ連、豪、カナダ、仏、オランダ、ニュージーランドの代表が順に署名した。
大日本帝国天皇陛下および日本国政府の命令により、その代理として重光葵、日本帝国大本営の命令により、そしてその代理として梅津美治郎が署名したのだった。
降伏文書では「一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏」が布告され「一切の日本国軍隊および日本国臣民に対して、敵対行為を直ちに終止すること」が命じられた。
また、連合軍総司令官と天皇・政府の支配統治関係についての「降伏文書」第八項の規定は、英文原文では「天皇および日本国政府の、国家統治の機能は、この降伏の約定を実施するために適当であると思える措置を執ることになる連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」となっている。
隷属とはいかにも屈辱的な表現であるが、これが戦争に敗れるということなのだろう。
9月2日を敗戦記念日にしないのは、占領等を含む対米隷従の約定のあることを国民に知らさないためではないか。
「降伏文書」で天皇がポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせたくないためではないか。
また、天皇も政府もマッカーサー連合軍総司令官の支配下にあることを隠したいためなのではないか、と萩原さんは指摘している。
そして8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり戦没者の追悼日となっているに過ぎない。
公的な「終戦記念日」としての国家の規定はないから、潔く敗北を認めて9月2日を敗戦記念日とすべきだと云う。
つい先日、萩原さんから次のようなメールが届いた。
「8月15日終戦~9月2日「降伏文書」調印は一体のものであり、国際的に日本が初めて「敗北宣言」をした内容、敗戦の結末、締めくくりを、国民が知る権利があります。先の戦争はどんな内容で終ったのか。ほとんどの国民が知らない。教室で「降伏文書」の内容を教えてこない、学ばない戦後教育(現在も教えていない)、歴史認識上の大きな問題の一つ。8月15日で、すべて終りにする世論動向、マスコミの影響が大きい。この事態を、敗戦に対する日本人の思考停止、締めくくりを考えない、その放棄と断定したい。」
萩原さんが世間には余り知られていない「降伏文書」に着眼しテーマとして取り上げたことは価値のあることだと思う。
巷間で云われる「勝てば官軍負ければ賊軍」とは云い得て妙である。
もともと正義の戦争など存在したためしはない。
戦争当事国には、両者に言い分があり、大義がある。
そして、どちらかが勝利し、どちらかが敗れる。
両者共に人命を含む大きな犠牲を残して、戦争は終結する。
敗戦国が、本当は我々の方が正しかった、などと云っても何も始まらないし、また無意味なことである。
過去の戦争を振り返り、分析することは勿論必要だが、そこから学ぶべきことは、二度と戦争をしてはならないということでなければならない。
敗北の屈辱や悔しさは当然である。
しかし、その屈辱を真正面から受け止めて直視し、再びそのような屈辱を味わうことの無い国家運営をしなければならない。
今度こそは勝つぞと戦争に向かうのでは幼稚に過ぎる。
その戦いで、どれだけの量の血と涙を流すことになるのかに思いを馳せよ。
国家間のエゴのぶつかり合いである戦争が、ひと時として地球上で起きなかった時間は無い。
だからこそ、不戦に対する硬い決意はなおさらに必要であると同時に尊い。
世界にその不戦の意志を表明し、戦争を回避するために国家のすべての力を尽くし切ることが大切である。
戦争を前提とした国家の外交姿勢は危険であるばかりでなく、愚かであることはすでに多くの事象で証明されているし、何よりも、日本はすでにそれを体験している。
列国の中に在って国力を維持し、生き抜いていくことは絵に描くようにはた易いことでないことは理解する。
しかし、何よりも平和と国民の安寧を保つことが国家にとっては最優先の事案である。
安保法案の脅威にさらされている現在、「降伏文書」をどう読み説くかはとても大切なことに思える。
戦争を放棄するとの強い国民の意思を確認するためにも彼の著作「日本の敗戦記念日と降伏文書」は一読に値すると思う。
安全保障上の同盟の名の下に、他国に軍隊を派遣し、他国の人々の生命を奪うことなど許されることではない。
それはつまり、言葉を変えれば、侵略と同じことであると云える。
日本国憲法を守らなければならない所以がここにある。
「からくりの 人形の如し 国会は」

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量的にも質的にも、この程度の番組しか放送しないのかとの声もあれば、その一方で戦争についての番組ばかりでもう視たくないよ、との声も聞かれた。
先日、萩原猛さんが一冊の本を携えて会社に見えた。
「ようやく出版に漕ぎつけましたよ」と満面の笑みと共に差し出された本のタイトルは「日本の敗戦記念日と降伏文書」とある。
萩原猛さんは74歳。
高校を卒業後、NHKに入局。5年間勤めて退職し明治大学へ。卒業後、労働組合運動、反戦平和運動に参加。その後、中国上海に渡り生活するなどして、中国との親交を深める。
2011年に論創社から「上海今昔ものがたり」を出版している。
今回の著作が同社からの2冊目の出版となる。
日本の終戦記念日は昭和20年8月15日とされているが、本来は昭和20年9月2日にするべきだというのが萩原さんの主張である。
8月15日には天皇の玉音放送により終戦の詔書が読み上げられ、戦争を終えることが日本国民に知らされた。
一般的にはこの日をもって終戦としているが、この一方的な宣言で戦争状態の終結と決定してよいのか、との疑問を萩原さんは持っている。
実際には各地で戦争状態は続いており、関東軍がソ連軍に降伏したのは8月19日であるし、千島列島がソ連軍に占領されたのは9月1日である。
日本と連合国の間で取り決められた「降伏文書」の署名、調印が完了した9月2日午前9時8分をもって戦争終結とするべきだというのが萩原さんの主張だ。
なぜ彼はこのことにこだわるのか。
敗戦を終戦と表現し、その記念日を9月2日ではなくて8月15日にしているのには、当時から現在に至るまでの日本国政府の大きな意図が隠されていると萩原さんは考えている。
それは、「降伏文書」の存在を国民の眼に出来る限り触れないようにとの考えがあるからだと彼は指摘している。
云われてみれば、ボクの勉強不足も大いにあるが、これまで「降伏文書」の存在に注目したことがなかったし、あるいは多くの人々は「降伏文書」の存在やその内容については知らないのではないかとも思う。
事実、日本の中学、高校の教科書には、降伏文書の内容紹介の記述は一切なく、史料としても降伏文書の本文の掲載はない。
少なくとも学校教育では降伏文書は葬り去られているというのが実情であるようだ。
降伏文書の調印は、昭和20年9月2日、東京湾上米艦船ミズリー号で行われた。
日本側は重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が署名し、次にマッカーサーが連合国を代表して署名。
その右下に、米、中、英、ソ連、豪、カナダ、仏、オランダ、ニュージーランドの代表が順に署名した。
大日本帝国天皇陛下および日本国政府の命令により、その代理として重光葵、日本帝国大本営の命令により、そしてその代理として梅津美治郎が署名したのだった。
降伏文書では「一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏」が布告され「一切の日本国軍隊および日本国臣民に対して、敵対行為を直ちに終止すること」が命じられた。
また、連合軍総司令官と天皇・政府の支配統治関係についての「降伏文書」第八項の規定は、英文原文では「天皇および日本国政府の、国家統治の機能は、この降伏の約定を実施するために適当であると思える措置を執ることになる連合国最高司令官の下に、隷属するものと定める」となっている。
隷属とはいかにも屈辱的な表現であるが、これが戦争に敗れるということなのだろう。
9月2日を敗戦記念日にしないのは、占領等を含む対米隷従の約定のあることを国民に知らさないためではないか。
「降伏文書」で天皇がポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせたくないためではないか。
また、天皇も政府もマッカーサー連合軍総司令官の支配下にあることを隠したいためなのではないか、と萩原さんは指摘している。
そして8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり戦没者の追悼日となっているに過ぎない。
公的な「終戦記念日」としての国家の規定はないから、潔く敗北を認めて9月2日を敗戦記念日とすべきだと云う。
つい先日、萩原さんから次のようなメールが届いた。
「8月15日終戦~9月2日「降伏文書」調印は一体のものであり、国際的に日本が初めて「敗北宣言」をした内容、敗戦の結末、締めくくりを、国民が知る権利があります。先の戦争はどんな内容で終ったのか。ほとんどの国民が知らない。教室で「降伏文書」の内容を教えてこない、学ばない戦後教育(現在も教えていない)、歴史認識上の大きな問題の一つ。8月15日で、すべて終りにする世論動向、マスコミの影響が大きい。この事態を、敗戦に対する日本人の思考停止、締めくくりを考えない、その放棄と断定したい。」
萩原さんが世間には余り知られていない「降伏文書」に着眼しテーマとして取り上げたことは価値のあることだと思う。
巷間で云われる「勝てば官軍負ければ賊軍」とは云い得て妙である。
もともと正義の戦争など存在したためしはない。
戦争当事国には、両者に言い分があり、大義がある。
そして、どちらかが勝利し、どちらかが敗れる。
両者共に人命を含む大きな犠牲を残して、戦争は終結する。
敗戦国が、本当は我々の方が正しかった、などと云っても何も始まらないし、また無意味なことである。
過去の戦争を振り返り、分析することは勿論必要だが、そこから学ぶべきことは、二度と戦争をしてはならないということでなければならない。
敗北の屈辱や悔しさは当然である。
しかし、その屈辱を真正面から受け止めて直視し、再びそのような屈辱を味わうことの無い国家運営をしなければならない。
今度こそは勝つぞと戦争に向かうのでは幼稚に過ぎる。
その戦いで、どれだけの量の血と涙を流すことになるのかに思いを馳せよ。
国家間のエゴのぶつかり合いである戦争が、ひと時として地球上で起きなかった時間は無い。
だからこそ、不戦に対する硬い決意はなおさらに必要であると同時に尊い。
世界にその不戦の意志を表明し、戦争を回避するために国家のすべての力を尽くし切ることが大切である。
戦争を前提とした国家の外交姿勢は危険であるばかりでなく、愚かであることはすでに多くの事象で証明されているし、何よりも、日本はすでにそれを体験している。
列国の中に在って国力を維持し、生き抜いていくことは絵に描くようにはた易いことでないことは理解する。
しかし、何よりも平和と国民の安寧を保つことが国家にとっては最優先の事案である。
安保法案の脅威にさらされている現在、「降伏文書」をどう読み説くかはとても大切なことに思える。
戦争を放棄するとの強い国民の意思を確認するためにも彼の著作「日本の敗戦記念日と降伏文書」は一読に値すると思う。
安全保障上の同盟の名の下に、他国に軍隊を派遣し、他国の人々の生命を奪うことなど許されることではない。
それはつまり、言葉を変えれば、侵略と同じことであると云える。
日本国憲法を守らなければならない所以がここにある。
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与太話である。
「あいつ、胃がんで死んだらしいよ」
「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」
関西弁が全国区となった今でも、この落とし噺は関東の人たちには何が面白いのかは理解できないだろう。
落とし噺の説明ほど野暮なものはないが、関西弁で「歪む」ことを「いがむ」と発音する人たちも多い。
だから「あいつ、胃がん(歪ん)で死んだよ」「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」で笑えることになる。
ボクがまだ20代の頃、東京出身の連れと歩いていたら、小雨が降り出した。
ボクはメガネが濡れるのを嫌って、連れに「なおしておいて」と手渡した。
連れは、受け取ったものの、どこが壊れたのかと怪訝そうにメガネを確かめている。
「ああ、バッグに仕舞っておいて、という意味だよ」とボクはあわてて云い直した。
子供の頃からずっと「仕舞う」ことを「なおす」と表現して来ていた。
連れは当然、修繕を意味する「直す」と受けとめ、どこを直せと言っているのかと戸惑ったのだった。
上京して間もない頃には、こういった言葉の違いからくる失敗を何度か繰り返したものである。
こんな例は数え上げれば、枚挙にいとまはない筈である。
昨日のフジテレビの情報ワイド番組「ノンストップ」でも言葉のトラブルを取り上げていた。
この番組にはわが社の女性スタッフが2名出向しているので出来るだけ視るようにしている。
少しうろ覚えだが、確か以下のような内容だったと記憶している。
友達と映画に見に行く相談をしていると、もう一人が「私も行きたい」ということになった。
映画館までの足を”なんで”行くかの話になる。
バスにするか、地下鉄か、JRかタクシーか。
そのもう一人が別に行くことになり、映画館の前で待ち合わせることになった。
先に着いた友人たちが、そのもう一人にメールをした。
「”なんで”来るの?」
結局、そのもう一人は現れなかった、というお話である。
説明の必要はないとは思うが、友人たちは交通機関は何を使って来るのか、という主旨のメールを打ったのだが、そのもう一人は、その”なんで”の意味を「どうして来るの?来なくても良いのに」と受け止めたのだった。
もし、いま突然世界からすべての言語が消滅したとすると、世界のほとんど全ての機能はマヒ状態に陥り大混乱を来すことは間違いない。
あるいは原始時代に逆戻りするかもしれない。
人間にとって言語は空気と同じ位に生きて行く上で必要なものである。
しかし、同時に言葉がその重要度と同じ位の質や量のトラブルの素になっていることも間違いない。
そんなことを考えると、言葉とはまことに不思議な存在である。
無ければ困るが、無かった方がより伝わることもある。
これまでの体験で云うと、人と人との人間関係や信頼関係は言葉とは無縁で生まれるのだと実感する。
饒舌や理論では心は動かない。
男と女の間には言葉は必要ない、とも昔から云われたりもしている。
作家や詩人に叱られるかも知れぬし、自らも映像に係わる表現者の端くれだが、そう思う。
言葉が無くても分かり合えることが、一番嬉しい。
「千万の 言葉を超えて 友があり」

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「あいつ、胃がんで死んだらしいよ」
「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」
関西弁が全国区となった今でも、この落とし噺は関東の人たちには何が面白いのかは理解できないだろう。
落とし噺の説明ほど野暮なものはないが、関西弁で「歪む」ことを「いがむ」と発音する人たちも多い。
だから「あいつ、胃がん(歪ん)で死んだよ」「へえー、あんな真っ直ぐな奴がねぇ」で笑えることになる。
ボクがまだ20代の頃、東京出身の連れと歩いていたら、小雨が降り出した。
ボクはメガネが濡れるのを嫌って、連れに「なおしておいて」と手渡した。
連れは、受け取ったものの、どこが壊れたのかと怪訝そうにメガネを確かめている。
「ああ、バッグに仕舞っておいて、という意味だよ」とボクはあわてて云い直した。
子供の頃からずっと「仕舞う」ことを「なおす」と表現して来ていた。
連れは当然、修繕を意味する「直す」と受けとめ、どこを直せと言っているのかと戸惑ったのだった。
上京して間もない頃には、こういった言葉の違いからくる失敗を何度か繰り返したものである。
こんな例は数え上げれば、枚挙にいとまはない筈である。
昨日のフジテレビの情報ワイド番組「ノンストップ」でも言葉のトラブルを取り上げていた。
この番組にはわが社の女性スタッフが2名出向しているので出来るだけ視るようにしている。
少しうろ覚えだが、確か以下のような内容だったと記憶している。
友達と映画に見に行く相談をしていると、もう一人が「私も行きたい」ということになった。
映画館までの足を”なんで”行くかの話になる。
バスにするか、地下鉄か、JRかタクシーか。
そのもう一人が別に行くことになり、映画館の前で待ち合わせることになった。
先に着いた友人たちが、そのもう一人にメールをした。
「”なんで”来るの?」
結局、そのもう一人は現れなかった、というお話である。
説明の必要はないとは思うが、友人たちは交通機関は何を使って来るのか、という主旨のメールを打ったのだが、そのもう一人は、その”なんで”の意味を「どうして来るの?来なくても良いのに」と受け止めたのだった。
もし、いま突然世界からすべての言語が消滅したとすると、世界のほとんど全ての機能はマヒ状態に陥り大混乱を来すことは間違いない。
あるいは原始時代に逆戻りするかもしれない。
人間にとって言語は空気と同じ位に生きて行く上で必要なものである。
しかし、同時に言葉がその重要度と同じ位の質や量のトラブルの素になっていることも間違いない。
そんなことを考えると、言葉とはまことに不思議な存在である。
無ければ困るが、無かった方がより伝わることもある。
これまでの体験で云うと、人と人との人間関係や信頼関係は言葉とは無縁で生まれるのだと実感する。
饒舌や理論では心は動かない。
男と女の間には言葉は必要ない、とも昔から云われたりもしている。
作家や詩人に叱られるかも知れぬし、自らも映像に係わる表現者の端くれだが、そう思う。
言葉が無くても分かり合えることが、一番嬉しい。
「千万の 言葉を超えて 友があり」



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わが社の最長老のKさんは昭和11年の生まれで、今年79歳になる。
テレビ東京の第一期入社で長年報道畑一筋に生きて来た。
関連会社の専務や、監査役を務められた後に、わが社に顧問として来ていただいている。
現在は毎週の「ガイアの夜明け」の企画会議と、金曜日に行っている「定例企画会議」に必ず参加していただいている。
常に時代感覚に敏感でなければならないというのが持論で、自らもそれを実践されている。
毎日、新聞は各紙に目を通し、読書を欠かすことはない。
時代を先取りしなければならない「ガイアの夜明け」などの企画会議でも、20代、30代の若者たちに混じり、彼等に決して引けを取らない新しい情報や切り口を発信し続けている。
Kさんには老人臭が無い。
その年齢とは関係なく、世間で言う老害などとは全く無縁なのである。
わが社では1ヶ月に一度、スタッフ全員が集まっての全体連絡会を行っている。
その時々の会社の動きを報告したり、必要な連絡事項をみんなに伝えるための集まりだが、ボクは最後に、必ずKさんの言葉を貰うことにしている。
先日行ったこの集まりでKさんは「7月16日は僕にとっては戦争元年だと考えている」と語り始めた。
ご存知のように、7月16日は安保法案が衆院本会議で強行可決された日である。
「先日、家の近くでデモをする人たちに会った。安保法案に反対する人たちのデモでした。これまでしばしば見かけたデモとはまったく違っていて、労働組合の旗もなければ政党色もない、老人もいれば若者たちもいる、親子連れも沢山参加している、ごく普通の人たちのデモでした。安保法案反対の思いが庶民の間に浸透していることを感じました。それを見て、自分もじっとしている訳にはいかないと思った」とKさんは淡々と話した。
Kさんは、いま、高校生たちを含めた10代、20代の若者たちが日本全国各地で安保法案反対の声を上げていることに注目していた。
特に、話題になっているSEALDsに興味を持った。
SEALDs(シールズ)はStudents Emergency Action for Liberal Democracy―sで10代から20代前半の若者たちによる自由で民主的な日本を守るための学生による緊急アクションというのがその規定である。
戦後70年でつくりあげられてきたこの国の自由と民主主義の伝統を尊重し、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいとしている。
その母体が共産党だとの一部自民党などからの噂もあるが真偽のほどは分からない。
かつて共産党の民青による歌声運動もあったから、もしかすると同様の手法かもしれない。
Kさんはシールズによる国会前でのデモが毎週金曜日に行われていることを知り、自分の眼で確かめたいと、行って見たと云う。
「国会前でも色々な形でデモが行われており、ここでも多くの普通の人たちが安保法案に反対していた。シールズの若者たちとも話してきた」と語った。
「オルタスジャパンの若い人たちにも、いまが一体どういう時代であるかということにもっと関心を持ってもらいたい。この会社でも、戦後70年の特別番組を2本制作し、良質の番組が出来たと思っているが、日常的に時代を捉える鋭敏な感覚を磨いてもらいたいと願っている」
Kさんの熱い思いが伝わってくる。
そして「僕に残された人生は長くはないが、その全てを戦争反対に賭けるつもりです」と話を締めた。
その夜、Kさんと麻雀を打った。
珍しくKさんの連戦連勝だった。
ツキの女神が長老の決意を祝福し激励しているかのように思えた。
「一筋が 年齢の壁 ぶち破る」

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関連会社の専務や、監査役を務められた後に、わが社に顧問として来ていただいている。
現在は毎週の「ガイアの夜明け」の企画会議と、金曜日に行っている「定例企画会議」に必ず参加していただいている。
常に時代感覚に敏感でなければならないというのが持論で、自らもそれを実践されている。
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時代を先取りしなければならない「ガイアの夜明け」などの企画会議でも、20代、30代の若者たちに混じり、彼等に決して引けを取らない新しい情報や切り口を発信し続けている。
Kさんには老人臭が無い。
その年齢とは関係なく、世間で言う老害などとは全く無縁なのである。
わが社では1ヶ月に一度、スタッフ全員が集まっての全体連絡会を行っている。
その時々の会社の動きを報告したり、必要な連絡事項をみんなに伝えるための集まりだが、ボクは最後に、必ずKさんの言葉を貰うことにしている。
先日行ったこの集まりでKさんは「7月16日は僕にとっては戦争元年だと考えている」と語り始めた。
ご存知のように、7月16日は安保法案が衆院本会議で強行可決された日である。
「先日、家の近くでデモをする人たちに会った。安保法案に反対する人たちのデモでした。これまでしばしば見かけたデモとはまったく違っていて、労働組合の旗もなければ政党色もない、老人もいれば若者たちもいる、親子連れも沢山参加している、ごく普通の人たちのデモでした。安保法案反対の思いが庶民の間に浸透していることを感じました。それを見て、自分もじっとしている訳にはいかないと思った」とKさんは淡々と話した。
Kさんは、いま、高校生たちを含めた10代、20代の若者たちが日本全国各地で安保法案反対の声を上げていることに注目していた。
特に、話題になっているSEALDsに興味を持った。
SEALDs(シールズ)はStudents Emergency Action for Liberal Democracy―sで10代から20代前半の若者たちによる自由で民主的な日本を守るための学生による緊急アクションというのがその規定である。
戦後70年でつくりあげられてきたこの国の自由と民主主義の伝統を尊重し、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいとしている。
その母体が共産党だとの一部自民党などからの噂もあるが真偽のほどは分からない。
かつて共産党の民青による歌声運動もあったから、もしかすると同様の手法かもしれない。
Kさんはシールズによる国会前でのデモが毎週金曜日に行われていることを知り、自分の眼で確かめたいと、行って見たと云う。
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「オルタスジャパンの若い人たちにも、いまが一体どういう時代であるかということにもっと関心を持ってもらいたい。この会社でも、戦後70年の特別番組を2本制作し、良質の番組が出来たと思っているが、日常的に時代を捉える鋭敏な感覚を磨いてもらいたいと願っている」
Kさんの熱い思いが伝わってくる。
そして「僕に残された人生は長くはないが、その全てを戦争反対に賭けるつもりです」と話を締めた。
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