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2020年はどんな年になるのだろう?

つい先日、何気なくテレビを見ていたら、大手150社88万人の暮れの平均ボーナスが95万円でこれまでの最高額だった、とのニュースが流れていた。
ボクにはそのニュースを報道している側の意図が何処にあるのかがまったく分からなかった。

景気が良いとのアピールなのか、それとも大企業の礼賛なのか。
しかし、実態を見れば、現在の日本の就労者人口は約6800万人、ニュースで取り上げられている恵まれた88万人は全体の就労者の0.013%弱のごく僅かな人びとでしかない。
圧倒的多数の人たちは、そんな恩恵に浴していないのである。

政府から与えられたネタを、その意味を考えることもなく、ただ垂れ流しているだけの報道の在り方に、あーあ、またやっているな、とも思う。
苦労している国民は利口だから、そんなことは見破っているに違いなく、だからテレビは駄目だと言われてしまう。

と、まあそんなことが続く世の中だが、いよいよ今年も暮れる。
今年一年、ボクたちの会社を見れば、良いことも思わぬ出来事もあったが、結果的には発展的要素の方が勝っていた一年間であったと思っている。

決算の方も、僅かであるが増収増益で税金を納めることが出来たし、世代交代を踏まえて組織の若返りの歩を進め、社内の雰囲気も活性化したと思っている。
恒例の忘年会も盛会のうちに終えた。
おかげ様で大きなつまづきも無く、まずまずの年だったと感謝している。

暮れに、知り合いの方からNHKホールでのN響コンサートのチケットを頂き、初めて第九を聞くこともできた。
もともとボクは天邪鬼なのか、一糸乱れぬとか、号令一下の集団行動とかが性に合わないので、合唱団に興味が無かったのだが、すべての演奏が終わった時に感動に包まれていつまでも拍手し続けていた。
あれほど長く拍手したのも生まれて初めてのことである。
意外な自分に気づいて我ながら驚いた。

さて、来年は9月初旬まではオリンピック一色の年となる。
何事も無く静かにお祭りが終わってくれることを願っている。

問題は、祭りの後である。
ほとんどの制作会社は、来年の10月以降をどのように生き抜くかに焦点を当ててその準備に取り掛かっていることだろうと思う。

しかし今日からは、すべてを忘れて、正月を楽しむことにしよう。
何事もそれからだ。
みなさまも良いお年をお迎え下さいますように。
年明けにまたお目に掛かれることを願っています。

    「初夢に 一年の計 寝正月」


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大廃業時代の到来

今年もいよいよ押し詰まって来たが、いま中小零細企業の倒産が増えている。
そして同時に、表向きは倒産ではないが、実は隠れた倒産というケースが増えているようだ。
それが廃業である。

廃業の理由はさまざまで、後継者不足の場合も多いと聞くが、先行きが不透明で営業を続行すれば倒産の危機を迎えると判断した経営者が、まだ余力のあるうちに会社をたたむことも多いらしい。
中央と地方都市との経済格差も大きく、特に地方での廃業が多いとも聞く。

ボクは経済などについては何も分からない町場のオッサンだが、現在の景気が良くないこと位は実感として分かる。

経済成長率も1990年の6.2%を最後にこの30年間で0.7%まで下がっている。
しかし、これは日本だけではなくて、アメリカやヨーロッパなどの先進国で共通した現象らしい。
その理由として、先進国の需要不足や貯蓄超過が原因との見方がある。

日本を含めて先進国では一様に少子高齢化が進んでいて、人口が減少している。
当然の結果として、需要が伸びない。

さらに、かつては一億総中流社会と言われた日本だが、今や欧米諸国同様の所得格差の社会に変貌、貧富の差を生み出し、多くの富が富裕層に集中するようになってきた。
一般的に富裕層は総資産に占める消費の割合が低いので、経済全体で見たときに貯蓄が増加することになる。
庶民も年金等々を含めた将来不安から消費を控え貯えに回し、大企業は労働者の賃金を棚上げし膨大な内部留保を抱えて貯蓄を増加させている。

併せて投資の伸び悩みもあるようだ。
IT化が進み、今ではパソコン一台で起業できる時代となり、初期投資に莫大なお金を必要としなくなった。
つまり、企業も人びともお金を使わないので、経済の血液であるお金が循環せず慢性的な経済停滞状態を生み出しているようだ。

こうした構造的な不況の下で、生存競争が激しくなり、時代に取り残されたり、経営方針を見誤ったり、あるいは不運に見舞われるなどのさまざまな理由で倒産や廃業に追い込まれる中小零細企業が続出している。
ボクたちも決して他人事ではない状況である。

こうした倒産や廃業の裏に政府の思惑が大きく働いていると思える。
かつて不況の際には政府自民党は中小零細企業に惜しまず資金援助のための施策を繰り出して来たが、現政権は動く気配はない。

生産性と効率をスローガンにしている政府は、生産性が低く、効率の悪い中小零細企業の倒産、廃業を已む無しと考える。
と言うより、そんな動きを促進させようとしているかに見える。
そして、そこで生み出される労働力を、より生産性の高い、効率の良い企業に吸収させることを狙いとしている。
こうして、強い企業だけを生き残らせることによって日本経済の活性化を図り、国際競争力を強めようとしている。

ところで大企業の定義は業種によって異なるなど、やや曖昧だが、一般的には資本金3億円以上、従業員が300人以上の会社を指すようだ。
日本には380万社余の企業があるが、その99.7%が中小企業で大企業は1万2千社で全体の0.3%でしかない。

しかし、平成27年の日本企業全体の売上は約1625兆円だが、トヨタの約30兆円を筆頭に大企業売上ベスト200社だけでも503兆円を超える売り上げ高があり、大企業が1万2千社もあるのだから、正確なデータは手元に無いが、少なくとも日本の売上の60~70%は占めているだろうと推測できる。
そして大企業には日本の会社員の30%弱、70%が中小企業に属する。

政府は当然のことのように、稼ぎ手であるそんな大企業を大切にし、税金面でも優遇していることは周知の事実だ。
それに大手企業は、グローバル市場を舞台として無国籍化してゆき、税制の欠陥や抜け穴を巧みに活用して節税を行い、課税逃れを行っている。
これが、日本の財政赤字の原因となっているとも言われている。

ずいぶん前に、トヨタや新日鉄などの基幹産業の多くが実は税金を払っていないのだよ、とさる筋の人に教えられたことがあったが、本当のことかもしれない。
そして大企業の内部留保は今や500兆円を突破したと言われている。

俯瞰で見れば、こうした大企業の存在が日本経済を大きく支えているのが現状かもしれないが、企業の会社数では99.7%、社員数では70%を占める中小零細企業の存在なくしては日本経済の未来はないことも確かだ。

倒産や廃業が続き生産性と効率が求められる、弱肉強食の世の到来にどう対応して行けば良いのか。

ボクたちがやらなければならない基本は誰に教わる必要もない位に明らかだ。
時代の流れを正確に把握し、その流れに対応した動きをすることである。
具体的には、世の中が求めているニーズに応えることにより、自分たちの存在の意味を明確にすることである。

しかし同時に、やらなければならないことがあるとボクは思っている。
嘆いていても何も始まらない。
こういった益々不公平で矛盾に満ちた世をどう変革するかを考えることである。

弱い立場に居る者たちも平気で普通に生きられる共存共栄の世を目指し、しぶとく生き延びながら、決してボクたちが羊たちの群れにならない覚悟だけは持っていたい。

      「メェーメェーと 吠えてるだけの 負け戦」





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テレビ屋の宿命

日本でテレビ放送が始まったのはボクが小学生上学年の頃だった。
当初はテレビ受像機を持っている家も少なくて、ボクの家にテレビが来たのは中学生になってからだったと思う。

テレビ放送局はNHKと日本テレビと東京放送だけで、放送時間も短かいものだった。
テレビ受像機もとても小さく、白黒放送だった。
当時は劇場映画が盛んな頃で映画人からは電気紙芝居などと揶揄されていた。

その頃は将来、自分がテレビ局で働くことになろうとは夢想だにしなかったが、テレビ屋になってすでに50数年、今もテレビに明け暮れる毎日だ。

しかし、この間にテレビもそれを取り巻く環境も大きく変化した。
家庭の娯楽の中心だったテレビは核家族と少子化、さらに経済成長と相まっての家族団らんの消失と共にその王座を追われた。
インターネットとスマホの出現でテレビ受像機を持たない若年層が圧倒的に急増し、テレビ視聴者層の高齢化が進む一方だ。

今や既成のテレビ局とは別にインターネットテレビが若者たちを捉えている。
俗にGAMFAと称されているグローバル巨大IT企業群が動画配信業界を牛耳り始めている。
GAMFAとはGoogle・Apple・Microsoft・Facebook・Amazonの頭文字を取ったものだ。
遅ればせながらソフトバンクとLineが経営統合し、その仲間入りを目指そうとしている。

公共放送NHKは国民から視聴料を得て成り立っている日本最大の有料テレビ局で、一方民放各局は企業からのスポンサー料で成立しているが、これまで日本のテレビ業界を中心とする映像業界は国内の顧客だけを対象に展開して来た。
日本の人口は現在1億2614万人で毎年30万人ほど減少し続けており、市場としては決して大きいとは言えない。。
しかし、一方、世界数十億人の視聴者や利用者を相手に事業を展開するGAMFAを初めとするグローバル巨大IT企業群の業界参入で映像配信業界の様相は一変しつつある。

もっとも、テレビとネットとは別のメディアだが、重なる部分も大きくあり、既存のテレヒ業界への影響は大きい。
NHKは国民の視聴料が命綱なので、視聴者人口の減少が経営の大きな問題となるが、公共放送の位置づけにあり、ここ数年内の急激で極端な衰退は予想し難い。

一方、民放テレビ局はスポンサーが頼りだが、そのスポンサーがネットの方に移行しており、ついに、スポンサーのネットに流す総額がテレビ業界を超えた。
その結果として、東京には民放キー局が5局あるが、そこで動く絶対額では2~3局しか生き残れないと言われている。
近い将来に民放テレビ局の整理が行われる可能性は高い。

こういった映像業界の激変の中で、ボクたち、主としてテレビ番組を制作しているテレビ屋がどのような道筋を歩むべきかが大きな課題となっている。

ただ、幸いにもボクたち制作会社はテレビ局ではなくて,ソフトを制作するモノ作り集団である。
メディアがどう変化しようと、ソフトが求められる限りは、ボクたち制作者の仕事に終わりはないとの気楽さはある。

わが社でもネットや企業関連の制作部門を設けて新しい時代の動きに対応しており、売上の10%ほどまでになってきた。
恐らく今後、この部門の成長を図るのが必須であるとの認識は持っている。

とは云え、ボクたちの会社は、設立以来30年余テレビ番組の制作で生きて来たテレビ屋だ。
それもドキュメンタリーに特化して制作してきた。

今後も、この座標軸を変えるつもりはない。
制作する番組のジャンルの幅を広げることはあっても、ドキュメンタリー制作を基軸に据えることはわが社の基本方針であり、また経営戦略でもある。
ネットに押され、テレビ業界がすぐにでも消滅するかのような見方をする論者もいるが、民放はともかくとしてNHKがそう簡単に無くなることはない。

テレビに生き、テレビと共に死んでいくのはテレビ屋のひとつの生き方とは云え、時の流れに取り残されるのは必ずしも本望ではない。
しかし同時に、まだまだ大きな可能性を秘めているテレビでの番組制作を追求して行くことを止めるつもりもない。

激変の時代には、機を見て敏なることも必要だが、急いては事を仕損じるということもある。
また急がば廻れの教訓もある。

今さら動じるものでもないが、知恵は要る。
これも時代の大きな変化の中で葛藤を続けるテレビ屋の宿命である。

      「たかがテレビ されどテレビの 余韻かな」


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人生は演出だ

ボクはいつもスタッフに、「楽しいこと」や「面白いこと」は世の中に満ち溢れているけれど、他人から与えられるモノじゃなく、自分で作り出さないと決して出会えないよ、と言っている。

ボクは大学受験に失敗し、一浪して予備校に通った経験がある。
その予備校で出会った友人にフランス文学者の奥本大三郎がいる。
出会って以来現在まで彼のことを大ちゃんと呼んでいる。

大ちゃんは東大に進み、後に大学教授として教鞭を執ったが、数十冊に及ぶ数多くのエッセイを執筆するかたわら、昆虫好きが高じて、30年の歳月をかけて「ファーブル昆虫記」全10巻20冊を完訳するという偉業を成し遂げている。
現在はファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長を務めている。

NHKで放送した「課外授業ようこそ先輩」に出演を依頼したこともあるし、わが社の設立30周年記念パーティーでも挨拶を頼んだ。
人生を楽しんでいるひとりだ。

以前、大ちゃんは「若い頃は、どうでも良いような些細なことで一喜一憂したものだが、その無意味さが、ようやく少しは分かって来たよ」とさりげなく語ったことがある。
ボクもその言葉の意味を実感する。

予備校にもうひとり親しくしていた友人Nがいた。
当時、浪人生活は楽しいものでは無かったのだろうか、ボクはNに「何か面白いことはないかなあ」と聞くでなく聞いたことがある。
Nは呆れたようにボクの顔をマジマジと見つめ「お前は本当に馬鹿な奴だなあ。世の中に面白いことなど存在する筈はないだろう」
その時期の明確な記憶は薄れているが、それでも、その時のNの表情と返答だけは60年近く経った今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

Nは京都大学に合格し、哲学の道に進んだ。
ボクは東京に出て、以来Nとは会っていない。
そのうち音信も途絶え、その後のNの消息は知らない。
しかし、その一言でNはボクの哲学の師匠となった。

その時はNの言っている意味が分からなかったが、今はおぼろげに分かる。
少し理屈っぽい話で申し訳ないが「面白いこと」と言っても誰にとって面白いのか、ということがある。
ボクが面白いことでも、他の人には面白くないかもしれない。
絶対的な普遍性を持つ「面白いこと」など存在しないのである。

あるものに対してボクが勝手に面白いと感じているだけで、そこに「面白いこと」そのものが実際に在る訳ではない。
単なるボクの認識でしかない。
認識はあるが「面白いこと」そのものは存在しない。

したがって「世の中に面白いことなど存在しない」とのNの言葉は正しい。
「楽しいこと」「嬉しいこと」「幸せなこと」「悲しいこと」「苦しいこと」「辛いこと」「不幸なこと」も同様に概念に過ぎず、それらは普遍的な実態を伴わない。
善と悪も、美と醜も同様で、それぞれの感じ方や考え方や捉え方で異なるただの概念で実態はない。

例えば、ある人物の死は、ある人にとっては悲しく辛いことであるかもしれないが、ある人にとっては嬉しく幸せであるのかも知れない。
ある人物の死そのものは、単なる死という事象であり、悲しみや喜びそのものではないと言える。
世の中はそういう実態の無い、捉えどころないものの上に成り立っている訳だ。

ボクたちの日常で起きる事件やさまざまな出来事のすべてにその原則は当てはまる。
つまり、すべての物体も、出来事も、認識して初めて存在する。
色即是空、空即是色とはそういうことを言うのだろうか。

ということは、すべての事象へのボクたちの対応は、ボクたちの意思で自由自在に操れるということでもある。
「悲しいこと」や「苦しいこと」「辛いこと」をボクたちの受け止め方次第で「嬉しいこと」「楽しいこと」に変えることが出来るということである。

ボクたちの周囲にも、世の中がつまらない、仕事が面白くない、とか人生そのものを投げている人たちがいる。
また、目先のちっぽけなことに捉われて苦しんでいる人たちもいる。

その人たちは面白く楽しいことは誰かから与えて貰えるものだと勘違いしているのかもしれない。
世の中や仕事は只の現象に過ぎす、それを面白い、楽しいものとして認識するのは自分自身しかいないことに気が付かないだけかもしれない。

それらは自らが作り出す以外に手にすることができないものである。
そういう意味では人生は演出である。
自分自身への演出次第で面白くも楽しくも出来るのだと思う。

確かに、人が係わる限り、その世界はエゴと矛盾に満ちた混沌に支配されることは身に染みて知っている。
秩序も実は見せかけに過ぎないことも誰もが知っている。
そんな世を無事に生き続けることは至難の業でないことも知っている。

しかし、それは知恵を得てしまった人間の逃れることの出来ない宿命なのだろう。
それでも、奇跡の生を受けた以上、エゴと闘い、矛盾と闘い、人生に喜びを見つけて楽しく生きようとする生き方がボクの望む生き方なのだが。

      「だがしかし ハテナハテナの 浮世かな」


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働き方改革の波紋

先日、あるテレビ局の関連会社から、わが社の朝から夕刻までの様子を丸一日見学したいとの要請があり、うちのような会社で良ろしければ、いつでもどうぞ、ということになった。

要請のあった局の関連会社は200人以上のスタッフを抱える制作会社だが、働き方改革で残業が自由に出来なくなったために、大幅に人員を増やさざるを得なくなった。

これまでは、スタッフそれぞれのデスクを用意していたのだが、増員すればデスクが足りなくなる。
オフィスの広さには限りがあるので、どうすれば良いか、と思案していたら、どなたかが、オルタスがフリースペースでやっているらしいよ、ということを聞きつけて、同業の制作会社だから一度その様子を見学してみよう、ということになったらしい。

見学に先だって打ち合わせに来られた担当責任者は「自分のデスクが無くなっても、上手くいくものか、不平不満は出ないか」を心配した。
さらに「使ったパソコンや資料などの整理整頓は可能なのか、帰宅時に放置していくのではないか」を恐れていた。

しかし実際には、ボクたちが昨年の12月1日に現在の建物に移ってからおよそ10ヶ月、フリースペースを実践しているが、とてもスムーズで一切の問題は起きていない。

見学当日、朝早くから4人の担当者の面々が来られて時折メモをとるなどして、真剣に観察した。
午後には常務取締役のAさんも挨拶に見えた。

Aさんは親会社のテレビ局からその関連会社に出向しているが、かつてレギュラーの報道ドキュメンタリー番組のプロデューサーを務め、ボクたちもずいぶんお世話になった。
反骨精神に満ちたとても優秀なプロデューサーで、常務取締役をしているのは勿体ないと思えるほどの現場感覚の人物である。
常務取締役としても手腕を発揮されていることだろう。
しばしば麻雀も打った親しい間柄でもある。

「上手くいきますかねぇ」とAさんは言った。
話の様子から、Aさん自身はフリースペースに余り乗り気ではないことが窺えた。
「Aさんが率先して自分のデスクを無くしたら、スタッフは一斉に右に倣えするんじゃないですか」とボクは言った。

ボクたちの会社はスタッフ70人ほどの小さな規模の会社だから、フロアーも広くないので、誰がどこに居るか見渡せは分かるが、300人近い規模の大所帯となると、そうはいかない。
管理職の居場所が日替わりだと、所属長にハンコやサインを貰うのも手間がかかる。
だから、わが社のように、取締役やプロデューサーも全員をフリースペースにとはいかない事情もあるだろう。

「各々が自分のデスクを持てないことには、正直抵抗感はあるなあ」とAさんはチラッと本音を漏らした。
「でも、今回は実行するしか無いのでねぇ」

幸いにしてボクたちの場合は上手く運んだケースだが、聞くところによると、失敗例も多々あるようだ。
某テレビ局は他に先駆けてフリースペースにしたまでは良かったのだが、3ヶ月ほど経つ頃には、会社に現れる人たちの数が極端に減ってしまい、取りやめになったと聞いている。

また、別の会社では、何人かのボス的存在の者が、それぞれ自分たちの島を作り、やがて資料や荷物の積み放題となり、収拾がつかくなり、フリースペースの見直しを検討しているとの話もある。

それまでの慣行を改めて、何か新しいことを始めようとすると、さまざまな抵抗があり挫折するというのは、よく起こりがちな話だとは云え、働き方改革の思わぬ余波のひとつでもある。

日本全国各地に多くの支社や支局を持つ公共放送局は、働き方改革を守るために各地方局での人材増を迫られているようだ。
即戦力に対応できる人材として同局で定年を終えた、65歳以上のOBにも呼びかけているが、人材の確保に苦労しているようである。

こうしてみると、働き方改革は、労働力不足の日本をさらに労働力不足に追い込んでいるようにも思えるが、ただ、それも、そうした資金力のある大きな会社は、人を増やすことも出来るし、場合によっては、それに見合った広いスペースも新たに準備することも出来る。
しかし、ボクたちのような大して体力の無い会社は、何とかしないと生き残れないので、現状の中で必死に工夫を凝らすしかない。

もともと、働き方改革は働く者の権利や生活の向上を目指すものでは勿論なくて、日本経済の国際競争力を強化するために、生産性を上げるためのものであることは遍く知られているところである。
そのためには、力のある組織を更に強化し、弱い体質の組織は消滅させようとの施策である。

優勝劣敗は世の習いとは申せ、弱者にとっては益々厳しい時代となったものだ。
しかし、変化の激しい乱世は、それはそれで面白い。

そこでどう対応するかを試行錯誤して、自らの道を新たに切り拓いて行こうとの意志を持ち続けることは、結果がどうあれ、刺激あるチャレンジで、また良し、と考えている。
そして、いかなる時でも忘れてならないものは、自由な職場の雰囲気を維持することと、そこから生み出される自由な発想である。

      「スペースも 働き方も フリーでGO!」




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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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