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「君が代」と世界の国歌

君が代は 
千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで

日本の国歌「君が代」である。
この歌詞でボクはずっと不思議に思っていたことがあった。

それは、「さざれ石の巌となりて」のくだりだった。
さざれ石とは小石のことである。
小さな石がどうして巌、つまり大きな岩になるのか、石が成長することなんてあるのだろうか、ということだった。

苔か生えるほどの永い年月をかけて、小石ほどの小さな力も集まれば大きな力になる、というような例えだとしても、あまりにも非科学的だな、などと数十年も思っていた。

しかし、先日、フトしたことから、巌となるさざれ石の存在を知った。
小石が永い年月の間に石灰質などによってくっつき固まってできる礫岩というものがあるらしい。
そして実際に、「君が代」の歌詞の由来とされるさざれ石が岐阜県の天然記念物に指定されていることを知って腑に落ちたし、これまでの己の無知を恥じもした。

作家で脚本家の早坂暁さんから「世界の国歌は面白いよ。企画を考えてみたら」と一冊の本を渡されている。
その「国のうた」に収められている各国の国歌はとても興味深いものだった。
それぞれの国家の成り立ちや歴史や、また守るべきもの、目標などが謳いこまれている。

そして、その多くは血生臭い戦争の歌であり、戦意を鼓舞するような勇猛な歌詞にあふれていることにまず驚く。
例えばフランスの国歌は以下のような歌詞である。
少し長いが引用してみる。

起ち上がれ 祖国の子どもたちよ
栄光の日はきたり
圧制に抗する我らのもとに
血まみれの旗ひるがえり
聞け 戦場にあふれるおびえた敵兵たちの叫びを
彼らは我らが陣地に攻め入り
子どもたちや妻の喉を掻ききろうとしている
市民たちよ 武器をとれ!
隊列を組め!
進め 進め
我らの地に奴らの穢れた血を降らせろ

続いて、お隣の国、中国の国歌はこうだ。

起ち上がれ!
奴隷となりたくない人々よ!
我らの血と肉をもって築こう 我らの新しき長城を
中華民族 最大の危機に際し
ひとりひとりが最後の鬨の声をあげるときだ
起て! 起て! 起て!
我ら万人心を一つにし
敵の砲火をついて前進しよう!
敵の砲火をついて前進しよう!
前へ! 前へ! 前へ!

フランスや中国のような戦いをテーマとして国歌にしている国は、イタリア、スロバキア、アイルランド、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、ベトナム、ラオス、アルゼンチン、キューバ、メキシコ、パレスチナなど数多くある。

オリンピックでは金メダルを獲得した国を称えて表彰式で国歌が流れるが、メロディーだけが流れ歌詞は歌われない。
しかし、各国選手たちは表彰台で、実はこういった過激で政治的な歌詞を口ずさんでいる訳である。
そう思うと、オリンピックが急に生々しく見えてくる。
スポーツを通した戦場に見えてくる。

また、民衆の自由を謳う国歌も多い。
例えばパラグァイ共和国の国歌は次のように歌っている。

不幸なアメリカの民を
三世紀ものあいだ 王権が虐げた
だが ある日 民の怒りが爆発し 
「もうたくさんだ!」と叫び王権を滅ぼした
われらの先祖は堂々と闘い 栄光を勝ち取った
そして 高貴な王冠を打ち砕き
勝利の淵なし帽を高く掲げた
パラグァイ人たちよ 死を賭して共和国を守れ!
われらの勇気が自由をもたらしたのだ
圧制者も奴隷も存在しない
団結と平等が支配するところでは

このように、国や国民の自由をテーマとした歌詞を国歌に取り入れている国が最も多いようだ。
アイルランド、ウクライナ、ギリシャ、スウェーデン、ドイツ、トルコ、ベルギー、ロシア、アフガニスタン、イラン、オーストラリア、タイ、ニュージーランド、ラオス、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ウルグアイ、カナダ、コロンビア、ブラジル、ペルー、イスラエル、エチオピア、カタール、ギニア、ケニア、モロッコなどの国々は、それぞれ形は異なるが自由に大きな価値を置きそれを謳う。

もっとも、それらの国々で自由が歌詞通りに大切にされているかどうかは、また別の問題であろう。
そんな中で、日本の国歌「君が代」はとても静かで、無感情で無個性に見える。
特別のメッセージがないように見える。
しかし、本当にそうか。

日本ではかつて「君が代」の「君」が天皇のことを指すのかどうかの論争が有った。
もし天皇のことを指す場合と、仮に一般の民の場合では、「君が代」の歌詞の意味は大きく異なる。

つまり、天皇が統治する世が永遠に続くことを願い称えるのか、民が暮らす世の中が永遠に続くことを願い称えるのかでは、その思想は全く異なる。
もし天皇を意味するならば、世界の国歌の中ではひときわ特異な存在となる。

実は、現在の「君が代」の基となった幻の「君が代」が存在する。
明治14年に文部省から出版された「小学唱歌集」にその幻の国歌が採録されている。
当時、文部省は「まず小学校で唱歌として取り入れ、次に国歌としよう」との意向であったという。
幻の「君が代」は二番まであった。

君が代は
千代に八千代に 
さざれ石の 巌となりて
苔のむすまで うごきなく
常盤かきはに
かぎりもあらじ

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の 鵜のゐる磯と
あらはるゝまで かぎりなき
御世の栄えを ほぎたてまつる

しかし、この曲は子どもたちに愛唱されることなく忘れられてしまう。
その後、海軍の肝いりで作られたのが現在の「君が代」であるらしい。

そして、この歌詞を読めば、「君」が天皇のことを指していることが容易に分かる。

二番の最後に「御世の栄えを ほぎたてまつる」とあるが、御世とは天皇の治世を敬っていう言葉、あるいは天皇の在位期間のことを云う。
だから意味としては「天皇が統治者として世を治めていることをお祝い申し上げます」ということになる。

「君が代」にまつわる論争は1999年の「国旗および国歌に関する法律」の制定をきっかけに聞かれなくなった。
法律で定められたとは云え、歌詞の内容から考えれば、果たして国歌として相応しいかどうかは大いに疑問である。

国歌はその国の考えや国体を表現する象徴でもある。
たかが国歌では済ますことのできない重要な存在だ。
それが証拠に国歌に関する法律まで現に制定されているのだ。

そして、現在の憲法で象徴としての地位にある天皇を元首にしたいとの意向が水面下で大きな力を持ち始めていることも確かである。
王政復古である。

日本得意の巧みな政治術で、「君」の正体の解釈を曖昧にしたまま、国歌の歌詞を現在の日本の国体より一歩先行させ法律化している格好だ。

そして、やがて正面切って「君が代」の「君」は当然、天皇のことを表したものである、と言わせることのない未来をボクたちは築かなければならないと思う。

天皇を頂点としてその存在を神聖化し、それへの論議をタブーとして封殺されるような天皇制の国家は二度と作ってはならないと考えている。

   「君が代や いろはにほへど ちりぬるを」


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差別に苦しむ青年の訴え

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会社訪問の女子大生

先日、就職活動でひとりの有名大学の女子学生が会社を訪ねて来た。
ボクたちの会社への就活のための学生の会社訪問は珍しい。

真面目で清らな感じのその女子学生は、映像の制作会社に興味があるのだが、これまで、そのための勉強はしていなくて、テレビ番組の制作会社とはどういうものかについては全く知らないので、色々と教えてもらいたい、とのことだった。

ボクは企画の提案に始まり、どんな仕組みで番組が制作され視聴者に届けられるのか、また会社の概要等々、時間を掛けて説明した。

克明にメモをとっていた女子学生は「ちょっとお聞きしてもよろしいでしょうか」と不安そうな眼を向けた。
「休みはとれるのでしょうか。徹夜の仕事が続くのでしようか」

いつの頃からかは定かには覚えていないが、テレビ番組の制作現場で働くアシスタントディレクター、いわゆるADは、一時流行った3Kの代表選手となった。
ご存知のように3Kとは、きつい、汚い、危険の頭文字をとったものだが、近頃では新3K、きつい、給料が安い、帰れない、などの新解釈もあるようだ。

女子学生は、この業界の知人からの噂も聞いており、不安を感じているようだった。
「正直、楽な仕事ではないことは確かですよ」とボクは応えた。

お役所のように土日祭日だからと云って必ず休めるとは限らない。
でも、たいていはその代わりに別の日に休める。
放送日が迫り、納品が追い込みに入れば徹夜をしなければならないこともある。

そういった事情は担当する番組によっても異なるし、また番組を発注しているテレビ局のプロデューサーの仕事の仕方によっても左右される。
しかし、現状でのボクたちの労働環境は世間の常識の範囲にあると思っている。

ボクたちの会社は、基本的には自主管理に重きを置いているので、各番組の担当プロデューサーやディレクターが仕事時間等々を決める。

だから、経理や総務などの管理部門は10時から夕方6時と勤務時間は決めているが、制作現場には、会社の決めた出社時間も退社時間もない。
自主管理である。
現場の自由裁量で休みはとれる。

「あなたの友人はバラエティーか情報番組などの仕事をしているのじゃない?」と聞くと「バラエティーをやってるみたいです」と女子学生は答えた。
「その人たちは、ボクたちドキュメンタリー番組の仕事よりも恐らく時間的には大変だと思いますよ」

バラエティー番組はなんと言ってもテレビの花形である。
それだけに厳しい視聴率競争にも晒され、ひとつの番組に関わっている人数も多く、アシスタントの雑用も半端ではないだろう。
情報番組も同様である。

それに比べるとドキュメンタリー番組は比較的仕事の形は穏やかだ。
視聴率にもそれほどは左右されない。
昔からドキュメンタリー番組がテレビの主役になったことなどない脇役的な存在だからである。
ただし、テレビの脇役であることと、ボクたちが誇りを持って番組を制作していることとは別の問題である。

それでも、日曜祭日に暦通りの休みが取れないことを理由に入社一年以内に辞めて行った女子社員もいた。
一流大学を卒業した才能豊かな人材だったが、自分の自由になる時間が足りないらしかった。
トータルとしては他の誰よりも休日を確保していたのだったが、もっと休みが欲しかったようだ。
そういう価値観を持つ人たちは、この業界に限らず組織に属することは諦めるしかない。

ボクが雑談を含めて色々と説明しているうちに、初めのうちは不安そうだった女子学生の眼が次第に輝きを増してくる様子が見て取れた。

労働条件の問題については以前に比して関心度の高まりを実感する。
事実、大手代理店電通の新入女子社員が自殺する事件も起きている。
1ヶ月の残業が105時間にのぼり、三田労働基準監督署は、心理的負荷による精神障害で過労自殺に至ったと結論づけ労災と認定している。

正直に言えば、ボクがテレビ局に勤務していた頃は、月に100時間位の残業など日常茶飯事で、特別に取り上げなければならないほどの残業量ではなかった。

この事件をしっかりと調べもせずに論評することは、亡くなられた方には申し訳ないが、彼女の自殺は単純に残業量だけの問題ではなく、彼女の上司の仕事のさせ方を含めた労働環境に問題があったのではないかと感じている。
実りある形での仕事ならば、その程度の残業で精神を病むことはない筈だ。

恐らく、納得の行かない、あるいは新入社員にとっては能力を超えた無理な仕事を課せられていたのではないかと推測する。
パワハラとも言えるとんでもない上司や無能な上司はどこにでも山ほど存在する。

本当は、残業時間の制限よりも、そういった上司の摘発排除こそが必要なのだろう。
しかし、結果的には残業量の制限という、目に見える法律を作って問題の本質をすり替えて安易な形での決着をつけようとしている。
馬鹿馬鹿しい限りだ。
問題は残業量などではなく、職場での孤立が一番の問題なのだろうと思う。

それにしても、時代が変われば常識もこんなにも変わるものかと驚く。
ちっとも自慢にならないし、ヒンシュクを買うことを覚悟の上で告白すると、若い頃ボクなどは、仕事で親の死に目には会えないのは当然だと思っていたし、妻のお産なども同様に思っていた。
ましてやペットが死んだからと忌引の休みを取るなど、とてもボクの常識の中にはない。

これらは、自分にとって何を最も大切にするかとの価値観の問題だが、個人を越えて社会がどのような価値観を持つかの問題でもある。

親を大切にし、妻をいたわり、子どもに思いを寄せるのが、まともな人間の生き方だろう、との天からの声が聞こえてくる。
しかし、やっぱりどこかで仕事の方を大事に思う自分が存在している。

つまり、社会の共通の価値観もどんどん変化するので、昔の価値観は時代遅れとなって取り残されてしまう。
こういうのを老化現象と称するのだろうが、その意味に於いては、ボクは間違いなく老化現象の真っただ中にある。
時代が変わったなあ、と思ってしまう訳だ。

「最後にお尋ねしたいのですが、何かこだわっておられることはありますか」と女子学生。
「地べたから世の中を見ることかな」とボク。

「ホクたちテレビ番組の制作者は、そのひとりひとりがジャーナリストでなければならないと思っています。ジャーナリストの必要条件は、反権力と野次馬精神です。そして、その視線は常に地べたからでないといけないとボクは思っています」

      「地べたから 稀にはきれいな 風景も」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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