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ジャーナリスト魂と客観報道

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不安増幅時代をどう生きるか

選挙戦が始まった。
余りヤキモキせずにしばらく見ていることにした。
このようになって欲しいとか、こうなったら困るナ、などとひとつひとつに反応していたら疲れるばかりだ。
もっとも、発言を控えるつもりは無いのだが、何がどうなるのか、しばし、じっと冷静に観察するしかない。

ボクは比較的不安を感じることの少ないタイプなのだが、不安というのは不思議な存在で、一度不安に陥ると次から次へと次第に増幅していくものであるらしい。
それが行き過ぎると不安症と診断されたりもする。

心配や恐れなども同様で心配し出すとキリがなくなる。
ボクの周りにも、そういった人たちが案外沢山いる。

かく言うボクも、若い頃は恐いもの知らずで、出たとこ勝負のずいぶん無鉄砲で無防備な生き方をして来たのだが、近頃では少しは分別みたいなものが出てきた。
その意味で大人になった。
間もなく後期高齢者の仲間入りをする年齢になって、今さら大人になったも無いのだが、別の言い方をすれば、いよいよ若さを失い衰えてきたということなのだろう。

それに伴い、日常生活で恐いものや恐いことが少しづつ多くなってきた。
まず階段が恐い。
下りる時は慎重になるのでまだ良いのだが、上りが恐い。
上りで躓く。

建築現場が恐くなった。
赤坂見付の駅から会社まで、四六時中ビル工事をしている。
今も、この300メートルほどの通りで5つのビル工事が行われていて大きなクレーンがそびえている。
そういう所は出来るだけ早足で通り過ぎる。

自転車も恐い。
身体すれすれに猛スピードですり抜けて行く。
風圧が肌に残る危うさだ。

交差点も恐い。
交差点での事故は多い。
信号で守られている安心感がある分だけ危険も多いと感じる。
信号の無い道路を注意して渡る方が安全だとさえ思っている。

こう考えると、街の中は危険がいっぱいだ。
特に、近頃のテレビでは毎日、血生臭い事故や事件などの報道が多いし、世界を見ても、紛争だ、戦争だ、テロだと安全な地はどこにもなさそうだ、不安が煽られるばかりで堪らない、もうテレビなんて見たくないよ、と誰かが言っていたが、確かにその通りかもしれない。

核戦争だって起きる可能性がゼロとは断言できない世の中である。
まさに現代は不安増幅時代のようだ。
こういう時代をボクたちはどう生きて行けば良いのだろうか。

振り返ってみれば、何が正しいのか、間違っているのか、そんなことも分からないまま、後先を考える思慮もなく、損得勘定で生きるのは恥ずべき事だと考え、損得は初めから問題外で、その瞬間に自分が伝えたいと考えていることを、ただひたすらに発信し続けて駆け抜けた数十年があり、気が付くと現在がある。

今思うと、それは一瞬のことのように感じられ、すでに過去となり幻となったが、それが遥か遠い昔のことだったようでもあり、つい昨日のことのようでもある。
その時々に知り合った親しい人たちの多くが、すでにこの世を去っている。

だが、無鉄砲な生き方をして恐いことなどまったく意識しなかった時よりも、いつの頃からだったのか、階段を恐いと思い、自転車を怖がり、交差点で車を恐いと感じるようになった今の方が、その時々の生きているリアリティーのようなものがあって、これもまた面白いと感じている不思議さがある。

例え、危険が多く、不安や心配ごとに満ち溢れていようとも、やっぱり刻々と変化して行く世の中は面白いと感じている自分が確実にいる。
生きているとの実感がある。

結局はどんな時代であろうとも、ボクたちはその時々の瞬間、瞬間に自分を生きることしかない、自分に正直に生きるしかないナと思う。

瀬戸内寂聴さんは、自らの戦争体験を通して、戦前と戦後の日本の価値観の激変を目にし
「これからは自分の目で見て、自分の手で触って感得したものだけを信じて生きていこう」
と思われたと言っている。

恐らく不安や心配の無い、また安全で危険の無い時代や世の中など、もともと存在しないのだと考える方が自然なのかもしれない。
それは自分が感じたか、感じなかったかだけの問題なのかもしれない。

ことほど左様に、世界は不条理に包まれているのだから、自分の思い通りの世の中など所詮存在する訳はないのだが、少なくとも楽しく生きて行きたいと思うし、少しでも多くの人たちが幸せと思える自由な社会を目指して生きて行きたいと願う。

ところで、今度の選挙の結果予想だが、自民党を中心とする勢力の圧倒的多数で新たにスタートすることは確実だ。
今後、安倍首相としては、消費税増税10%を実現し、憲法改正に道筋をつけて退陣することになるのだろう。
首相としての花道を飾っての退陣というこれが歴代首相に倣う定型だ。

ここで浮上するのがポスト安倍問題である。
希望の党小池党首は、そのポスト安倍を狙って今回の動きに出たのだが、時機尚早というか、見込み通りにはいかずに失敗したのだろう。
国民の審判が投票の前に下されたとの感がある。
策士、策に溺れるである。
政治の世界はこれだから実に不可解で面白い。
民意が生きていることのひとつの証拠だ。

現実的には、今度の選挙結果を受けて多数を確保する自民党は、消費税や憲法改正を日程通りに推し進めることになる。
それらのことが、本当に正しい判断なのか間違った道を進むことになるのかは別にして、民主主義のルールに従って多数派がそんな路線で制して行くことになる。
経済的安定を求めている今の国民の民意には、それらの決定を覆すだけのエネルギーは無い。

国会はそれらの議題で紛糾する図を描くが、そのゴール地点はすでに決まっているただの儀式で、これまで通りの茶番劇に終始するに過ぎない。

そして、実際のこれからの政局の焦点は、ポスト安倍に移ることになるのだろう。
安倍首相が花道を飾るためにはどうしても必要なのがポスト安倍の人材である。
ここで自民党はどういう策を編み出すのだろうか。
とても常識的かもしれないが、これが大方の今後の見方なのではないかと思っている。

結果の見えている選挙とは云え、しかし、22日に控えた投票日には願いを込めて一票を投じようと思っている。

      「一票に 一喜一憂 民主主義」



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小池新党とボクたちの責任

いよいよ10月10日に衆議院選の公示が行われ、選挙戦が始まる。
果たしてどういう結果になるのか、再び自民党の圧勝に終わるのだろうか。

ここ数日の民進党の混乱振りを暗澹たる気持ちで眺めているのはボクだけではないだろう。
政治信条も意地もかなぐり捨てて、自らの保身だけを考えることしかできない多くの議員たちが、その情けない姿を連日国民の前に露わにしている。

小池新党の公認を貰えるのかどうかに右往左往し、一喜一憂していた姿はとても見苦しい。
自民党の独走に歯止めをかけ、日本を少しでも良くしたいという国民の思いや期待を受けて選ばれた代理人であるにもかかわらず、そんな意識も責任のかけらも見ることはできない。
国会を就職先と勘違いしているに違いない。

これじゃ自滅しても仕方ないね、と多くの国民も呆れていることだろう。
だから民進党は国民の負託に応える存在にはなれなかったのだと皆が改めて感じている。

希望の党の小池党首が安倍首相と同様に、日本会議のメンバーであり、憲法改正を目指す右翼勢力であることを知りながら、民進党の議員たちが希望の党との合流を両院総会において全会一致で賛成したことも信じられない出来事だったが、そういう節操の無さが党だけではなく、政治家としての自滅への道であることに気付かなかったとしたら、それこそ政治家としての資質はない。
政党が政策や党名を捨てて、いったい何が残るというのだろうか。
民進党のすべてが狂っている。

これまでリベラルのお面を付けて世間を欺き、新しく任に就いた民進党の党首がとうとう正体を露わにし、自ら民進党の分裂解体を画策して生き残りを図った。
権力闘争のために国民の信を裏切った悪党である。

なにしろ政治の世界のことだから、どこまでが、計算された出来レースなのかはボクなど素人には分からないが、いずれにしても、日本からリベラルな政治勢力が決定的に喪失する大きな転機を迎えていることは間違いのないところである。

一連の動きは、日本からリベラル勢力を無くすための目論みにも見えるが、それでも、かろうじて一部リベラル派と思える議員たちによって立憲民主党を立ち上げることが出来たことはせめてもの救いだ。
その脆弱さは別として、自民党と小池新党が一体となって進もうとしている日本の将来の形に危惧を抱く国民の受け皿が用意されただけでもその意味は大きい。

今更の感はあるが、小池新党はどこまでその勢力を伸ばすのだろうか。
自民党が勝とうが、票を減らして小池新党にその票が流れようが、いずれにしても、日本の未来に希望があるとは思えない。

小池新党と自民党は党名こそ異なるが同質の、同じ目標に向かっている党だ。
目指すは王政復古の戦前の政治体制である。
それほど遠くない将来、ボクの恐れている、自由を失う社会が訪れることになるのだろう。

いつだったか、やはり民進党のやる気のなさに呆れた時があり、ずいぶん以前に同じことを書いた記憶があるが、こうなれば、自民党の良識派の目覚めを待つしかないのだろうか。
しかし、その良識派もすっかり影が薄くなってしまっている。

だが、本当の問題は政治家にあるのではない。
小池新党の正体も安倍政権の目指すところも、それらのことを国民はすべて知っている。
知った上で自ら、自由を放棄する道を選択していることが恐ろしい。
現在の政治の姿を作っているのは、実は国民の総意によるものなのだ。
日本の社会全体の振り子がその方向に振れているのだろう。

しかし、これは、良くも悪くも民主主義のひとつの結果である。
その結果がどんなに悲惨な次の結果を生み出そうとも、その責任を負うのはどこまでも国民である。
少なくとも、選挙権を持つ国民のひとりひとりが主人公である民主主義の下では、その結果に対して責任を負う覚悟だけはしておかなければならない。

昔、ボクたちは親の世代に、日本が戦争に向かうのをどうして止めることができなかったのか、と問うたことを今さらながらに思い起こす。
それと同じ過ちをボクたちの世代がまた犯している。
どうしても日本は天皇の呪縛から逃れられないでいるのだ。
そしてこれが権力の持つ魔力なのだ。

安倍政権も同様とは云いながら、小池新党には不気味さを直感する。
その不気味さは、希望の党の結成時に公開された新党アピールのための動画を目にした時にも感じたものだ。
あの動画をご覧になって違和感を持たれた方も多いのではないか。

あの動画からは独裁の悪臭がした。
宗教的な強い異臭もした。
とても薄気味悪かった。

小池党首と思しき女性が数人の部下を後ろに従えて白い光に向かって歩む映像に希望の党の本性が見える。
仲間と手を携えて共に歩むのではなくて、小池党首に家来のように従属する男たちの後姿が映る。
主役は国民ではなく、どこまでも小池女帝であるとのアピールが見える。
国民にも黙って自分に従えと強要しているかのようである。
その眩い光の先にどのような闇が用意されているのかとも感じる。

それと、動画の中で煙草を悪の象徴として小道具に使っていたのも気になる。
そんなことは多くの人たちにはどうでも良いことかもしれないし、こういうことを言うと、あるいはひんしゅくを買うことになるかもしれない。
だが、この嫌煙主流の時代にあって、きっちりとルールを守りながら喫煙を楽しんでいる愛煙家のボクにとっては面白くない。

喫煙そのものは違法では無い筈だし、不道徳なものともボクは思っていない。
ただ世間の考えや流れがあるから、そのルールに従い肩身の狭い思いでいるのだが、ルールの下での喫煙が社会に対して悪いことだとの意識など毛頭ないし、その喫煙を一方的に悪に仕立て上げるのはいかにも問答無用の強引さと暴力性を感じる。
その行き着く先は言論の封殺だ。

実は、喫煙のことなどはどうでも良いのだが、ひ弱なボクとしては、小池党首のこういった手法にどこか強圧的な独裁性を直感するのである。

政治家には強い意志と決断力、それにリーダーシップは必要だが、独裁はもっとも忌むべき要素である。
それは、神の存在と同様に民主主義を根本から否定する思想だからである。

      「どこまでも 行くか振り子の 振れるまで」


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国会の解散について思うこと

世の中面白いなあ、と思う。
もし、面白いという言葉が不謹慎ならば、不可思議なものとでも云えば良いのだろうか。

わが社の監査役で、聖書研究の一人者でもある道川勇雄さんが指摘されたように、人生を不可解と見極め、生きる意味と価値を見失い絶望の果てに、日光の華厳の滝に自らの身を投げた東大生もいた。
一方で、人生は不可解だから面白い、と生きて行く者もいる。
人それぞれである。

一億人いても同じ顔の者は一人としていない。
ひとりの人間の顔を見ても左右対称の者はいないし、その心にも裏表があって、一人の人間であって実は一人ではないようにも思える。

ちっぽけな人間ひとつとってみても、人間そのものがまるで小宇宙そのもので、その解明はとても出来るものではないとも思う。
だから人間を研究し理解する努力は大切で必要だが、それが可能だと思うこと自体がそもそも不遜とも言える。
そんな解明不能な人間が寄り集まって暮らす社会が、単純であろう筈がない。

それが証拠に、ちょっと眼を外に向ければ、世界各地で数え上げることが出来ないほど多くの紛争や戦争が日常的に起きている。
また世界には8億5000万人を越える飢餓人口が存在している。
見方によっては、人間は残酷で救いようのない地獄を自ら形成し、そこで喘ぎ、もがき苦しんでいるようにも見える。

そこでは、何が正しくて何が間違っているのか、何が善で何が悪かの判断も難しく簡単ではない。
考えも価値観も生き方もそれこそ多様である。
そんな混沌とした世界に、ボクたちは生きている。

政治の世界はその縮図だ。
28日、安倍首相は臨時国会の冒頭で解散宣言した。
10月22日に総選挙の投票が行われる予定だ。
報道関係者にとっては、一年以上も前から、解散時期が何時かということを把握することが至上命令だったのだが、大方の予想を越えた突然の解散だったようである。

この解散に大義が無いことについては、ほとんどの国民はすでに周知である。
この時期に解散すれば、自民党は森友・加計学園疑惑に終止符を打てるし、弱小とは云え野党第一党の立場にある民進党は、離党者続出で解党の危機にさえ直面している。
小池新党もその準備を整えるのにしばらく時間を要するだろう。
解散するなら今がチャンスだ、という自民党の選挙に勝利するための党利党略であったことに疑問の余地は無い。

しかし、国民は、節操などとは無縁の政治の世界ではそんなことは当たり前だと思っているから、大義などとは関係なく、じっとそんな政界劇場の様子を眺めている。

早速、小池東京都知事は新党を希望の党と名乗ることに決め、党首に収まることを宣言した。
そして世間が注視する中、新党に加わる13人の現職の衆議院議員を引き連れて大勢の記者たちやカメラの前で結党の挨拶を行い話題を一身にさらった。
流石に動きが早い。
まさに、今回の選挙の主人公に躍り出ることに成功している。

民主党を中心に、各党の国会議員たちの中には、選挙に備えて小池新党に流れて行く者もいた。
それらの動きを見ていると、主義主張や信念などはかなぐり捨てて、まるで有利な職場を求めて転職するサラリーマンを見ているようで見苦しい。
政治をメシの種だとの考えが丸見えになっているが、そんなことはお構いなしの切迫感ある。

この選挙の結果がどうなるのかは、政治の専門家ではないのでまったく分からないが、床屋談義流で根拠のない予想をしてみる。
自民党は議席を減らすが第一党を維持し、希望の党が野党第一党になる。公明党は現状維持で、民進党は惨敗し、共産党はわずかに議席を伸ばす、と見る。
自民党と小池新党との事実上の一騎打ちということになる。

このままでは選挙にとても勝てないと判断した民進党は28日の解散宣言直後、小池新党との合流を決めて、その交渉に当たっている。
一方、小池新党も民進党の資金力と組織力を活用したいとの事情があり、両者の利害は一致する。

今後、選挙までの短い期間に野党再編成を見据えた動きが展開されることは間違いのないところである。
そして、選挙結果が出たところで、雪崩的に改めて政党の大きな再編が行われることになるのだろう。
日本の政界地図は大きく変化することになる。

北朝鮮の核開発問題でその批判の矛先をかわすことが出来たとは言え、これまでの安倍政権の一強独裁の傲慢不遜な政治姿勢に国民はまずいなとは感じていたが、国民のそんな不満の受け皿となるべき野党第一党の民進党がその期待に応えることが出来ず自ら崩壊し、それを小池新党の希望の党が果たす、というのが新しい構図である。

もとをただせば、民進党も自民党が分裂し、革新系の社民党を中心とする議員たちと共に出来た党であり、当時は第二自民党との認識があった。
しかし、イデオロギーの異なる集合体の矛盾が露呈し、一枚岩の党になれず自滅することになった。

それに学んだ小池新党は保守であることをすでに鮮明にしている。
そして、今回の民進党との合流に関しても、選挙後の再編に際しても革新系の勢力とは一線を画すことになるだろうから、その議員構成も保守系勢力だけの集団となる。

その意味では、安倍政権が率いる自民党とは何も変わるところは見当たらない。
簡単に言ってしまえば、実質的には、希望の党の出現は、自民党を含む保守勢力内の権力闘争に過ぎないと断言できる。

仮にこの予想通りに、自民党が与党第一党となり希望の党が野党第一党となれば、同質の保守政権の権力構造が出来上がるというシナリオとなる。
あるいは、希望の党が第一党となり、小池総理大臣の誕生という可能性も考えられる。

そうなれば、これまでしたり顔で権力にぶら下がっていた公明党はまたコウモリのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返すのだろうか。
いずれにしても保守の二大政党時代の幕開けが見えてきた。

100人いれば100様の顔を持ち、100の考え方がある中で、どういう政治体制が日本にとって本当に良いのかは分からない。
それに政治の舞台は魑魅魍魎が跋扈し、欲望が渦巻く一寸先は闇とも言われる世界だ。
それはそれで良いし、刻々と変化し、水は澱まぬことを望ましいと思う。

ボク自身は政治的には無色でありイデオロギーそのものを信じていないので、保守が悪いとは思ってもいないし、革新が悪いとも思っていない。
どの政党が権力を握り政治を行おうとボクにはまったく関心はない。

ただ強く望むのは民主主義が守られる社会を崩さない、という一点である。
そのもっとも基本となるものは言論の自由であり、表現の自由を保てる社会であり続けることである。

仮に、今回の選挙で保守の二大政党が実現しても本来ならばどうということはないのだが、ただ、この二つの政党に限っては、共通する思想に対して大きな不安と危惧を持つ。
その共通する思想への危惧の内容とは、小池党首も、安倍首相をリーダーとする自民党の圧倒的多数の国会議員たちも、日本会議のメンバーであるという事実である。

周知の通り、日本会議の目指すところは、天皇を元首とする天皇制の国家である。
その目的のために次々に憲法改正を行い、戦前回帰の王政復古の社会を作ろうとしていることは明白である。
つまり、この二大政党の目標が全く同じであるということへの危惧である。

ボクは天皇制の下で軍国主義体制にあった戦前の日本には住みたくないので、民主主義を否定する天皇を元首とする社会には反対である。
金正恩が率いる今の北朝鮮を見ていると戦前の日本の姿とダブって見える。
かつての日本では言論の弾圧も情報統制も不満分子の粛清も現在の北朝鮮と同じ形で行われていたことは周知である。

多くの国民は、そんなことにはならないよ、と思っているかもしれない。
ボクもそうであって欲しいと願っている。
しかし、ほんの数十年前に実際にそういう世の中が日本に存在し、多くの国民が苦しんだという歴史が厳然としてあった。
そして、この二大政党共にそういう同質の社会を目指しているのだということを、冷静に考える必要があるのではないか。

日本には、価値観の異なる1億人を越える人々が暮らしている。
それが、ひとつの思想や価値観の下で生きることを強いられることだけは避けたいと願う。
天皇とはその役割をもっとも簡単に果たすことのできる為政者にとって便利な存在である。

同質の価値観を持つ、自民党と小池新党の行う政治の未来に「神の国」「美しい国」の形が見える。
それは主権を天皇に置き、神として位置付ける「神の国」であり、それが「美しい国」と称されるのだ。
安倍首相や小池党首の提唱している日本の伝統を大切にする「美しい国」とはそういう意味である。

主権が民にある民主主義とは根本から相いれない国家思想なのだ。
日本から天皇という存在を無くさない限り、本当の民主主義は手に入れることは出来ないとボクは思っている。

その考えが正しいのかどうかは分からないが、ボクはそう考えている。
そして、こういうことが言える間に言っておこうと思っている。
現在すでにマスコミでは政権による言論の統制が静かに行われ浸透している。
「神の国」「美しい国」ではさらにそれが推し進められることは論をまたない。

さて、国民の受け皿となる革新政党がすっかり姿を消してしまった、そんな状況の中に在って行われる総選挙でボクたちにどういう選択があるのかは難しい。
正直、ボクにもその答えは見つけることが出来ないでいる。

      「好きは好き 嫌は嫌よと 言える世に」





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人生をひと言で云えば?

この三連休中のことである。

「人生をひと言で云えば何?」と突然妻が聞いた。
「楽しい、だろう?」とボクは即答した。
「そんなの答えにならないわ」と妻は憤然としてボクの返答を一蹴した。

常日頃から、本気でそう思っていたボクは妻のその反応に驚いた。
こういうのを「思いのすれ違い」と言うのかもしれなかった。

妻と一緒になって10年近く、これまで、ほとんど24時間行動を共にしてきている。
喧嘩をすることなどもほとんど無く、かなり仲の良い夫婦の部類に属しているとボクは思っている。
そして、妻のことはほとんど理解していると思っていたのだった。

しかし、軽い怒りと拒絶の混在した妻の反応にボクは珍しく戸惑った。
妻はどういう答えを求めていたのだろう、とボクは改めて本気で考え込むことになる。

ボクはこれまで、どうせ短い一生だから「とにかく楽しまなきゃぁね」と思って生きて来た。
辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、残念なこと、腹立たしいこと等々、マイナスのエネルギーと無数に出会うのだが、それらをひっくるめて面白いこと、として包み込んでしまい、ああ楽しかった、と言うようにして生きてきた。

多少の強がりはあるのだが、この方法は言葉よりも実践すると意外と簡単で、今ではすっかり身についた。
ただ、それは錬金術のようなもので、ボクに合う処世術にしか過ぎないので、恐らく普遍性は無いとは思う。
そんな調子で生きて来たので、正直に言って、これまで人生とは何か、その目的は何か、などについて思いを巡らせたことは一度もない。
♪♪
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて

というのはテレビドラマ水戸黄門の主題歌の歌詞だが、人生についての格言や名言は世界には多いようだ。

人生はフェアじゃない。そのことに慣れるんだ
                    ビル・ゲイツ
人間とはつまり消化器と生殖器とから成り立っているのだ
                   グールモン
誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある
                   アインシュタイン
将来についてなんて心配をした事は一度だってないよ。
それはすぐやってくるさ
                   アインシュタイン
人生が困難なのではない、あなたが人生を困難にしている
                   アルフレッド・アドラー
三度炊く飯さえ硬し柔らかし、思うままにならぬは世の常よ
                    魯山人
人生とは歌です。歌いなさい
人生とは冒険です。挑戦しなさい
人生とはあまりに貴重です。壊してはいけません
人生とは人生です。勝ち取りなさい
                   マザー・テレサ
人生はむつかしく解釈するから分からなくなる
                   武者小路実篤 
どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ
それは、自分自身で見つけるものだ
                   ボブ・マーリー 

ナルホド、ナルホド、皆さんのおっしゃることはごもっとも、その通りだ。
しかし、先人賢人諸氏の人生の道しるべとなる貴重な言葉も、どうも妻を納得させることはできそうにない。

ボクはマンションのベランダに出て煙草をくゆらせながら考える。
妻が人生を楽しいものと思えていないことは間違いない。
では、妻の心を占めている不安なのか、それとも苦しみなのか、その悩みの正体は何なのだろう。

そう云えば、夏休みもまだ取らせていなかったな、などとも思う。
そして、ボクは紫煙の中にひとつの答えを見つける。

妻は現在わが社の常務取締役を務め財務を担当している。
ボクを補佐し経営のかなめの任に就いている。
番組制作に関しては素人だが、経営感覚には優れた能力があるので、近い将来には、制作部門のリーダーと二人三脚でわが社の経営を切り盛りしていく大切な人材として修業中の身でもある。
責任感が強く、ひとつのことを最後までやり抜く意志力も強い。

実は、妻には本当はやりたい分野の仕事があった。
しかし、ボクはそれを諦めさせて、今の仕事に誘い込んだのだった。

制作プロダクションの経営は、ボクが言うのも気が引けるが、並大抵のものではない。
毎日、毎日、崖っぷちを歩いているような危うさがある。
それでも、ボクは会社を興して以来30年近くなり、それなりの苦労も体験し、安全や危険などのほどあいが分かるが、会社に飛び込んでまだ4~5年にしかならない妻にとっては、身が縮み胃の痛くなるような体験の連続であるに違いない。

ひとつ予定していた番組が転ぶと青くなり、赤字が出てはその対応に大わらわの連続である。
それらひとつひとつのトラブルをクリアして船を転覆から救い前進させるのがボクたち経営者の仕事で、そのスリルとサスペンスがまた堪らなく面白いのだが、下手をすれば大海の藻屑と化す。
経営者である限りは、私財をすべて投げ打つ覚悟はとっくの昔に出来ているとは云うものの、イザとなれば大変だ。

今、妻はそんな大きなストレスの真っただ中にいるのだ、ということに改めて気が付いたのだった。
というより、分かってはいたが、もう少し軽く受け止めていたのだった。

作り手の制作現場の苦労や苦しみは番組制作の過程の中で次第に消化され、番組の完成で、良くも悪くも完結する。
しかし、経営の苦しみには終りはない。

財務を担当している妻は、会社の懐具合を最も熟知している訳で、数字を睨み、考えれば考えるほど不安は増大していく。
真剣になればなるほど、それに伴い心配も多くなる。
それを一人で背負い込んでしまっているようだった。

そう云えば、妻は夜眠れないと訴えることが多くなっていた。
そして家に帰って寝る頃になって資金繰りなど会社の抱える問題について話すことが増えていた。
その度に、心配することは無いよ、何とかなるから大丈夫だよ、とボクは軽く対応していたのだが、妻にとってはストレスの限界に達しているのに違いなかった。
「人生をひと言で云うと何?」との妻の問いは、妻からのSOSの緊急信号だったのではないか。

さりげない日常の会話のひとコマだったので、実はこの件については、その後、妻と話をしていない。
このブログを通して知ることになる。
もしかしたら恥ずかしいと怒るかもしれないと思う。

でも、今の妻の悩みや苦しみは痛いほど良く理解できる。
なぜなら、それはボク自身がかつて通ってきた道だからだ。

夜、フトンの中で、迫ってくる不安に耐え切れず、どうして良いのか分からなくなって、フトンにもぐりながら思いっきり走ったことが何度もあった。
男は弱音を吐けないし、人前で泣くわけにはいかないので、風呂の湯の中にもぐって大声で泣いた若い頃もあった。

そんなことを繰り返しながら、スタッフを初め、多くの人たちに助けられ、支えられ、次第に免疫力も高まり、曲がりながらも今日に続いている。

ゲーテは「涙とともにパンをかじった者でなければ、人生の本当の味はわからない」と言っている。
慣れない環境の下で真剣に取り組もうとしている妻にとっては今が一番つらい時だと思う。
しかし、小なりと言えども経営者を目指す限りにおいては、これは避けては通れない道である。

今体験している苦しみが大きければ大きいほど今後のために役に立つとさえボクは思っている。
思いっきり苦しみ、のた打ち回り、そしてその苦悩の季節を見事に乗り切り、大きく成長して欲しいと願う。
そして多少の大波くらいには動じることの無い大きな人間になってもらいたいと期待する。

いま妻が抱えている悩みを直接手助けすることはボクには出来ないが、大きな愛で包み見守ることはできる。
船頭としての経営者は時には孤独だが、同時に多くのスタッフの一員でもある。
仲間であるスタッフと共に歩んでいる。
助けてくれる仲間も必ず現れる。
スタッフを信頼し、自信を持ち、広い心で仕事に臨んで欲しい。

そして、まだまだ学ぶべきことも多い。
会社は間違いなく着実にそして順調に成長を続けている。
過剰な心配は無用だ。

「人生をひと言で云えば何?」の答えになるかどうか分からないが、かの偉大な文豪シエイクスピアは次のように言っている。

人は心が愉快であれば
終日歩んでも嫌になることはないが、
心に憂いがあれば
わずか一里でも嫌になる。
人生の行路もこれと同様で、
人は常に明るく愉快な心をもって
人生の行路を歩まねばならぬ

      「子規さんの 平気に生きる 新たなり」


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プロフィール

馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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