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株式会社オルタスジャパンの代表・小田昭太郎の日記です。テレビ業界を愛し、ドキュメンタリーを愛し、にんにくを偏愛する馬鹿社長のひとりごとにお付き合いください。

雨にも負けず、コロナにもめげず

冗談を言っている場合ではないが、世界中がコロナという目に見えない怪物に振り回され、恐れおののいている。
うっかり咳やくしゃみも出来ない状況だ。

日本の場合、患者数だけでみれば、大した数字とも思えないし、インフルエンザと比べて周囲で新型コロナに感染した人は未だに知らないので、宝くじに当たるようなものだなあ、というのが当初の実感だったのだが、そんなことを言っていられなくなってきた。

それもこれも、新型コロナウイルスの正体が解明されておらず、ワクチンが開発されていないからだが、これほど現実感に乏しい病気も珍しい。
この現実感の無さがコロナウイルスの恐ろしい罠であることに鈍感なボクも今頃やっと気付いている。 

いつの間にか忍び寄り、誰が感染しているのか分からない形で突如爆発する。
影に怯えることにもなる。
日本の場合は出来るだけ検査はしない方針だから、感染者数の実態は本当の所は分からないから尚更である。

今や世界中の国々が国境を閉鎖し、非常事態宣言をする深刻な事態となっているのは周知だ。
多方面での経済活動が停滞しており、すでに世界経済恐慌に陥っていると見るべきかもしれない。
考えてみれば、ボクの人生で経験のしたことが無い、初めての脅威であることにも気づいた。

実際、この新型コロナにボクたちの仕事も直撃されていて少なからぬ影響を受けている。
放送枠がすでに決定した取材中の番組が何本も中止になっている。
とにかく海外取材がまったく出来なくなっているばかりでなく、国内の取材も様々な制約を受けていて、まるで身動きがとれない。
何本かのオリンピック関連番組の制作も進行していたのだが、今回のオリンピックの延期決定で大きな打撃を受けているのも事実だ。

今年は例年になく順風満帆な滑り出しで、上手く行き過ぎていた。
こういう時は必ず何かが起きるピンチでもあるから、気を引き締めて行こうぜ、と会社のスタッフとも話していたのだったが、悪い予感とは的中するものである。

頭の痛いことこの上ないが、世の中とはそういうものだ、との覚悟は常にある。
あとはどのようにして凌ぐかを考えるだけである。
まさに雨にも負けず、コロナにもめげす、だ。

それにつけても思うことは、日本も含めて、世界の経済の成り立ちというのは、何とも危ういものなのだなあ、ということである。
昔と違って地球は極端に狭くなった。
国と国の境がまるで無いかのように、凄まじい数量の人と物が絶え間なく世界の国々を行き交う交流豊かな時代となった。
極端に言えば世界がひとつの経済圏になったとの観がある。

これまで手に入らなかった海外の品物も簡単に手に入るし、庶民の海外旅行も当たり前となっている。
とても便利でボクたちの欲望が簡単に満たすことができるようになった。
これぞまさに人間文明の勝利そのものである。

しかし、今ボクたちの体験している新型コロナの脅威は明らかにその負の部分である。
人の移動の多さとその規模の大きさがひとつの地域で発生したウイルスの感染を世界中にばらまく。
今回はたまたま驚異的な経済発展を遂げている勢いのある中国に端を発したために、さらに世界に広まる速度も範囲も激しいものになった。

経済のグローバル化は感染のグローバル化も同時に招いた。
そしてそれは同時に、生産性や効率や利便性を追い求める経済優先思想への自然界の警告にも見える。

それはともかく、今はコロナ対策が最優先だ。
スタッフに感染者を出さないことが最大の課題である。

同時に新しい企画を生み出すことが急務である。
テレビ局もオリンピックの延期で予定していた番組の変更を迫られている。
のんびりしている時間は無い。
これまでお世話になって来たテレビ局への恩返しの時でもあり、それがボクたちの利益となる機会である。

その意味では、コロナの禍をボクたちのエネルギーにしたいものだと考えている。

   「洗う手や 鼻の脂を ちょいとつけ」


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ゼロからのスタート

間もなく会社は設立32周年を迎える。

過去を振り返り懐かしんだり、思い出に耽るのは性には合わない。
今の積み重ねが未来に続いていくので、今をどう生きるかが大切だと思っている。
しかし、会社設立当時と今と、どんな点が違うのかを考えることは、今を考えるために意味のあることだとは思う。

31年前の今頃、赤坂の10坪ほどのマンションの一室に会社を構えたのだが、事務机ひとつしか無かった。
設立メンバーは6人。
床にゴザを敷き、連日、車座で企画会議をしていた。
仕事が決まっていての会社設立ではなかったので、当然ながら収入はない。

全員が、それまで給料を貰う側の人間で、払った経験はないので、経営のことに関する知識を持っている者はいない。
お金の価値や意味を知らない者たちの集まりだった。

やがて、大型企画がテレビ局に採択され、2時間番組一本、3億円の製作費が約束された。
バブルの時代である。
しかし、半年以上費やした末に、その企画が見事にこける。
虎の子の2000万円の資本金が瞬く間に底を突いた。

お金の工面は社長を引き受けたボクの役目だ。
何とかするしかなかったから、何とかした。

ゼロからのスタートと言えば聞こえは良いが、マイナスからのスタートだった。
しかし、恐れや不安は無かった。
無我夢中でそんなヒマは無かったと言うのが正直だったのかもしれない。
ボクも45歳と若く勢いもあった。

会社にお金が入るまでの間は給料はみんなで我慢することに決めた。
設立メンバーも平然としていた。
お互いに責任を問い合うような、つまらないことは一切起きなかった。
逃げ出そうとする者もいなかった。

やがて、ひとつ、ふたつと企画が動き出す。
そんな調子で10年が経ち、20年、30年と過ぎて今がある。

それまで、本当に数えきれない多くの人たちの力に支えられ、善意に救われて来た。
人並の苦労もして、次第に世間というものを知った。
信頼で結ばれ、苦労を共にした設立当時の仲間6人のうち3名は亡くなり、2人がそれぞれの事情で去って、ボクだけが残っている。
そのボクも間もなく喜寿を迎える。

現在と当時の何が違っているのかは至って明瞭だ。
それは会社の規模だ。
スタッフも増え、仕事量も増えた。
人手を要する大きな仕事もできるようになった。
当然ながら商いで動く金額も次第に膨らんでいる。
会社の責任も大きくなった。

しかし、ただそれだけのことである。
他のことは設立当時と基本的には何も変わっていないことに気づく。

今抱いている夢や希望は当時のままだし、日々しなければならないことも当時と変ることはない。
信頼できるスタッフたちにも恵まれている。
確かに、守らなければならない人たちの数もそれに伴う責任も増えたが、その本質は設立当時と同じである。

ゼロからスタートして、これまで無手勝流で生きてきた。
それが今に続き、その今の連続を明日に続けている。

時代は常に変化する。
バブルの時代に誕生した会社は、激変の中を生き続けてきた。
何とかその荒波を乗り越えてきた。
楽な時代は無かった。

幸いなことに、ボクたちには今日に至るまで大きな成功体験が無い。
頼るべき特別の成功例がない。
毎日がチャレンジだったので、現在もそのチャレンジを繰り返し生き続けている。
そして、その時々の時代に向き合い対応して生きる術だけは会社のDNAに刷り込まれた。
だから、ボクたちは、今更将来への新たな不安や恐れを持つ必要が無いのである。

日日これ新たなり、が鉄則であることを知っているので、時代や環境の変化への適応はさほど難しくはないことも知っている。
立ち止まったり、後ろを向いたり、怠けたり、油断すればたちまち会社は立ち行かなくなるのは当然で、それは昔も今も変わらない。

すべてが初めてのことであると考えれば良い。
一から始めるつもりで対応すれば良い。
いつも初心で、無心に歩めば良いのだ。
それだけでやってきた。
そして、それは誰にでも引き継ぐことの出来る簡単で最善の方法だと信じている。

ボク自身はそれなりの歳をとり、かつての100倍以上の楽をさせて貰っているが、会社の今は設立当初よりもさらに新鮮で生き生き存在していると誇りをもって断言できる。

     「年ごとに 脱皮つづけて 令和かな」


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レオナルド・ダビンチと聖書

直木賞作家の伊集院静さんが脳梗塞で倒れられた。

伊集院さんは作家活動だけではなく、近藤真彦の「愚か者」や「ギンギラギンにさりげなく」などのヒット曲の作詞も手掛けておられる。
また女優の夏目雅子と結婚して話題になったが、彼女を亡くした後に、やはり女優の篠ひろ子と結婚するなど、なかなかの強者である。

ボクはこれまで直接の面識は無いが、つい最近、NHKのETV特集で「伊集院静 ダビンチをめぐる冒険」の制作で出演をお願いし、イタリアロケを行い無事に放送を終えた。
それから間もなくの知らせだっただけに、スタッフ共々驚いたのだった。
幸い、術後の経過は順調とのことで胸を撫でおろしている。

「ダビンチをめぐる冒険」はあの有名な絵画「モナリザ」や「最後の晩餐」をはじめとして数々の名画や壁画を残したレオナルド・ダビンチの一生の足跡を伊集院さんが辿る番組である。
伊集院さんは、かつて美術大学を志望されたことがあり、美術の世界への造詣が深いことでも知られている。
特に、ダビンチには興味を持たれていて詳しいと聞いていた。

番組の中で伊集院さんは、ダビンチが何を考え、どういう思いで作品を創ったのかに思いを馳せ、伊集院さん独自の感じ方や見方を彼自身の解釈で表していく。
ボクは番組を視て、まずまずの出来だったかな、と満足していた。

ところが後日、わが社の監査役の道川勇雄さんと話した時「伊集院さんはミスキャストでしたね」とおっしゃる。
「ダビンチが『最後の晩餐』で何を描いたのかを分かっておられない」

道川勇雄さんは知る人ぞ知る、聖書の研究家で日本ではこの人の右に出る者はいないほどの方である。
ボクが一目も二目も置く人物だ。
「最後の晩餐」や「洗礼者ヨハネ」などの有名な絵画は、ダビンチがキリスト教の教会からの依頼で描いた聖画である。

「でも芸術作品とはそういうものじゃないですか。作者の意図とは別にそれを観る人が自分なりに感じたり解釈するのが面白いところだし、今回は伊集院さんにその役割を託した訳ですから。単なる美術解説番組ではなく、伊集院さんの感じるダビンチですからね」とボクは少々乱暴な屁理屈を並べ立ててミスキャスト論を否定した。
道川さんは、こりゃどうしようもないな、という半ば諦めたような表情をされたが、それ以上に話されなかった。

それから数日後に道川さんから一通のメールが届いた。
ご本人の了解を得たので引用させて頂く。

『聖書は、その著者たちが「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」という立場で書かれた ものです。
その意味で正統派のドキュメンタリーと言えるでしょう。
(中略)
ダビンチの「最後の晩餐」は、神と人の断絶を描いたものです。
特権放棄に基づく「神の国」と、特権固守に基づく平和共存を本質とする自己投映的な「人の国」との激突と炸裂を描写したものです。
「平和は欲しいが、平和の条件としての方向転換は、まっぴらごめん」という、すべての人の本質を暴露した絵です。
ダビンチは「最後の晩餐」で、十字架の死が不可避であることをイエスが予告したその時、イエスの弟子たちは、「自分たちのうちで誰がいちばん偉いだろうか」と言って、権勢欲からの争論が起きている場面を描写したものです。
(中略)
聖書など古本以下の扱いである日本では、伝えようがないのかも知れません。
ただ、ダビンチの「洗礼者ヨハネ」と「最後の晩餐」の制作意図は上記の通りです。ご参考までに』

ボクは無神論者でありながら、会社に神仏混交の神棚を設けているようないい加減な人間である。
聖書の知識も全く無いのだが、「最後の晩餐」は、誰がイエスを売ったのかを、密告者のユダを含めて弟子たちがお互いに疑い合っている様を描いたものだと勝手に思い込んでいた。
しかし、そんな浅薄なことではなく、人間が抱えている根源のテーマであることを知り、この絵画の描かれた意図の絶望と深遠さを同時に知った。

ただ、伊集院さんの名誉のために敢えて言えば、ご本人に直接確認はしてはいないが恐らく、ダビンチに依頼した教会側の制作意図はご存じだっただろうとは思う。

そして、番組的観点から言うと、教会がダビンチに依頼した「最後の晩餐」の場面としての制作意図が、道川さんの指摘された内容であったことを、伊集院さんの見解や感想に加えてナレーションで説明した方が、よりこの壁画の理解を深めることになったことは確かである。
ただ、その解説の是非は番組制作者が決める範囲だとボクは思っている。

しかし、それらのこととは別に、ボクは道川さんとのやり取りで決定的な過ちを犯してしまった。
それも二つの間違いを犯した。

「ミスキャスト」との言葉を聞いたのが取締役会の席上で、その番組担当プロデューサーが同席していたこともあり、ボクは過剰に反応し、道川さんの発言を封じた。
しかも結果的に、社長という、大げさに言えば、権力のもとで封殺した。
これは道川さんに失礼なばかりでなく、とてもまずいことである。

もうひとつは、道川さんの発言を封じることで、ボクは「最後の晩餐」の持つ本来の意図や意味を知る機会を自ら失うことになったことである。

人はもとより全知全能ではないから無知は恥ずべきことではない。
知らないことの方が圧倒的に多いことは当然である。
しかし、知ることを自ら拒否することは愚かなことである。
無知は恥じることはないが、自らが無知を招くことは恥ずべきことである。

道川さんからの一通のメールはボクの過ちを正し、許し、救ってくれた。
道川さんへの感謝と共に、今後の戒めとしたい。

    「ダビンチにも詫びる 喜寿の愚行なり」



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子はかすがい?

中国朝鮮族である妻の親戚夫婦に20歳になる一人娘がいて、今年の5月に留学しているアメリカの大学を卒業する。
彼女は化学者への道を歩んでいて、あと5年間、大学院での博士課程に進む。

すでにイエール大学、コロンビア大学の合格が決まり一族で喜んでいたのだったが、つい先日、ハーバード大学、続いてスタンフォード大学からも合格通知が届いた。
合格と云っても単なる合格ではないことを知って驚いた。

どの大学も今後5年間の授業料は全額免除なのだが、イエール大学の場合は、在学中は年間3万6000ドルが支給され、住宅も与えられる。
コロンビア大学の方はもっと待遇が厚く、年間支給額が4万1000ドル、高級住宅を保障してくれて、学部長の研究室付きというものだ。
スタンフォード大学は4万6000ドルを提示している。
ハーバード大学からの条件は間もなく届くことになっているようだ。
各大学共に合格というよりもまさにリクルートである。

本人の優秀さもさることながら、アメリカという国の人材育成あるいは才能確保のための投資の凄さが分かる。
アメリカに世界の頭脳が集積されるのも頷けるし、これが大国アメリカの底力というものなのだろう。

彼女は中国の東北地方で生まれ、朝鮮民族の小学校に通った。
2年生の時、教師から理不尽な叱られ方をされたと納得できずに登校拒否を始めた。
親戚夫婦の一族はその地方の有力者だったこともあり、その教師と校長が家に謝りに来たというが、本人は登校を拒否し続けた。

仕方なく母親は漢民族の小学校に転校させる。
中国に住んでいても朝鮮族で中国語とはほとんど無縁だった娘は、それまで韓国語しか話せなかったのだが、言語のハンデはすぐに乗り越えて、瞬く間に学年で一位の成績をとるようになった。

3年生の時に娘は突然母親にこんなことを言ったという。
「お母さんは私にどんなことをやって欲しいと思っているのか、云って欲しい。どんなに欲張ったことでも良いから」
母親は「国連のような国際的な組織で、何か人の役に立つ仕事ができるようになって欲しい」と応えたという。
娘は「うん、分かった」とだけ答えた。

娘の登校拒否以来、母親は娘の教育に本格的に取り組み始め、中学校からは、家から遠く離れた天津のインターナショナルスクールに入学させ、夫と別居して、つきっきりで娘の面倒をみることになる。
成績優秀だった娘は1年間の飛び級をしての入学だったが、その学校でもずっと1番の成績をとっていたらしい。

ボクがその娘に初めて会ったのは、10年近く前、天津の義兄夫婦の家に兄弟親戚が集まった時だったが、何やら分厚い本を読んでいて、何かと思えばハリー・ポッターの英語の原書だと分かり、へぇーと思った記憶がある。
彼女がまだ中学校に入る前だった。
妻が「大学はどこに行くの?」と聞くと、即座に「ハーバード大学」と当たり前のように答えていた。

その時に弾いてくれたピアノの上手さにも驚いたものだ。
昨年、娘が日本に遊びに来て一緒に食事をした時に言っていたが、ピアノを弾いているお陰でコンピューターなどのキーボードを誰よりも速く打てるそうである。

そんな彼女だったが大学受験で思わぬ落とし穴に陥る。
志望していたハーバード大学に入れなかったのだった。

真偽のほどは分からないが、本人が言うには、学力には問題なかったが、ハーバード大学クラスの名門校は学力だけではダメで、高校生時代のボランティア履歴が必要だったらしい。
中国にはボランティアの考えや制度など無い。
やむなくボストンカレッジに入り勉学の傍ら土日も休むことなくボランティアに励んだようだ。

こうして今回、めでたく大学院からは念願のハーバード大学あるいはスタンフォード大学等々の名門大学に行けることになったのだが、周囲の大喜びにもかかわらず彼女は至って淡々としているらしい。
やっとスタート地点に就いたばかりで、これからが本番だとの感覚なのに違いない。

この娘の合格を誰よりも喜んでいるのは母親だった。
孟母三遷ではないが、娘の登校拒否事件以来、彼女は夫の存在を顧みずに、ずっと娘のためにだけ過ごして来た。
夫婦は形ばかりで遠く離れて暮らしていて一緒に過ごす時間も少なく、当然のことながら、夫婦仲は次第に冷えて行く。

結局、念願のハーバード大学には入れずに留学してしまい、何か面目無さを感じ、また娘が自分の手元から離れたことで、母親は自分の生きがいを一瞬にして見失い、戸惑ってしまう。
娘の勉学のために、夫の住む故郷から遠く離れた天津にわざわざ購入したマンションでの一人での暮らしも、娘が居なくなったことで、その意味を失ってしまった。

さりとて、面目を失ったいま、すでに心の離れた夫のもとに戻る気持ちにもなれなくなっていた。
そして、ボクの妻を頼って東京に身を寄せることとなる。

日本での就労ビザを得て働くことになったが、何か虚しい日々を送ることとなる。
娘の将来に夢を託しつつも、自分自身の生き方を見失っていた。

大学の授業料だけでも年間800万円、生活費を含めると相当な大金となる。
いかに良家の家庭で育った高給取りの役人をしている夫とはいえども、その負担は半端な額ではない。

一族の中からの、何もそこまで無理をして娘をアメリカまで留学させることはなかったのに、というまるで母親を責めるかのような声も聞こえてくるような気配も感じる。
これからの自分自身の人生をどう生きれば良いのか、母親は自信喪失と迷いの中で苦しむ4年近くの毎日だった。

そんな状態の中での今回の各名門大学からの合格の知らせだった。
合格というよりもぜひ入学して欲しいとの強い願いを込めた要請そのものである。

この事実がすべてを変えることになる。
これまで、財産の多くをつぎ込むような留学に疑問を持っていた周囲の人たちの母親への評価が、あっぱれ、良くやった、に変わるし、娘の才能を見事に開花させた賢母ということにもなった。

夫も、これまでの苦労が報われた、と喜んで妻に心を開き始めた。
一時は今後の身の振り方について彷徨っていた母親も再び自信を取り戻すと共に、ついに夫のもとに戻る決心をすることになる。

娘の才能と努力が生み出した結果が、図らずも両親を元のさやに収めることとなった訳である。
昔から子供は両親のかすがいと言われるが、その典型例の一部始終をボクは見てきたことになる。

「将来アメリカに永住するであろう娘が、時には帰省できる両親の居る故郷の家が無いと可哀そうだから」というのが、母親が夫の元に戻る一番の理由であるようだ。
どこまでも娘のために生きる覚悟である。
これが母の愛というものなのだろうか。

「これからは、これまで大きな迷惑をかけてしまった夫にも尽くして行きたい」とも言うが、果たして、この一家に思い描くような平穏な日々が待ってくれているのだろうか。

人はどのような生き方を選択しようと、どのような生きがいを見つけようとそれは自由だ。
しかし、そのために必要な条件があるとボクは思う。

それは自立の精神である。
どんな状況でも振り回されることのない確固とした自立の精神だ。

自分が本当は何がやりたいのか、どのように生きたいのか、を決めてそれを生き切る。
それを支えるのが、あらゆる束縛から解放された精神の自立である。
それは無頼の精神でもある。

この夫婦と娘一家の今後の幸せを心から願わずにはいられない。

   「世に生きる 他に生きる 自分を生きる」


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2020年はどんな年になるのだろう?

つい先日、何気なくテレビを見ていたら、大手150社88万人の暮れの平均ボーナスが95万円でこれまでの最高額だった、とのニュースが流れていた。
ボクにはそのニュースを報道している側の意図が何処にあるのかがまったく分からなかった。

景気が良いとのアピールなのか、それとも大企業の礼賛なのか。
しかし、実態を見れば、現在の日本の就労者人口は約6800万人、ニュースで取り上げられている恵まれた88万人は全体の就労者の0.013%弱のごく僅かな人びとでしかない。
圧倒的多数の人たちは、そんな恩恵に浴していないのである。

政府から与えられたネタを、その意味を考えることもなく、ただ垂れ流しているだけの報道の在り方に、あーあ、またやっているな、とも思う。
苦労している国民は利口だから、そんなことは見破っているに違いなく、だからテレビは駄目だと言われてしまう。

と、まあそんなことが続く世の中だが、いよいよ今年も暮れる。
今年一年、ボクたちの会社を見れば、良いことも思わぬ出来事もあったが、結果的には発展的要素の方が勝っていた一年間であったと思っている。

決算の方も、僅かであるが増収増益で税金を納めることが出来たし、世代交代を踏まえて組織の若返りの歩を進め、社内の雰囲気も活性化したと思っている。
恒例の忘年会も盛会のうちに終えた。
おかげ様で大きなつまづきも無く、まずまずの年だったと感謝している。

暮れに、知り合いの方からNHKホールでのN響コンサートのチケットを頂き、初めて第九を聞くこともできた。
もともとボクは天邪鬼なのか、一糸乱れぬとか、号令一下の集団行動とかが性に合わないので、合唱団に興味が無かったのだが、すべての演奏が終わった時に感動に包まれていつまでも拍手し続けていた。
あれほど長く拍手したのも生まれて初めてのことである。
意外な自分に気づいて我ながら驚いた。

さて、来年は9月初旬まではオリンピック一色の年となる。
何事も無く静かにお祭りが終わってくれることを願っている。

問題は、祭りの後である。
ほとんどの制作会社は、来年の10月以降をどのように生き抜くかに焦点を当ててその準備に取り掛かっていることだろうと思う。

しかし今日からは、すべてを忘れて、正月を楽しむことにしよう。
何事もそれからだ。
みなさまも良いお年をお迎え下さいますように。
年明けにまたお目に掛かれることを願っています。

    「初夢に 一年の計 寝正月」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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