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株式会社オルタスジャパンの代表・小田昭太郎の日記です。テレビ業界を愛し、ドキュメンタリーを愛し、にんにくを偏愛する馬鹿社長のひとりごとにお付き合いください。

樹木希林さんの死と最期の言葉

女優の樹木希林さんの告別式の模様がテレビで流されていた。
希林さんとは特別に親しいという間柄ではなかったが、これまで何度か番組でお世話になったことがあり、会えば挨拶を交わす仲だった。

最初にお会いしたのは、もう20数年前で、テレビ朝日の「紅花紀行」という2時間の特別番組で紅花のルーツを探る旅人として出演いただいた時である。
どのような経緯で口紅や頬紅の原材料である紅花が日本の山形県まで伝わったのかをアフリカを初め世界各地にまで足を延ばして追い求める、という当時としてはスケールのある番組だった。

ボクが会社を立ち上げてからまだ間もない頃の、バブルの余韻が色濃く残っていた時代で、この2時間番組の制作費にテレビ局は1億円出してくれた。
今から思うと夢のまた夢のような、今は昔のお話である。

その頃は希林さんと何かと会う機会が多く、ある日、麻雀をやるの?と聞かれて、大好きですよ、と答えると、私も好きだから、すぐやりましょう!ということになり、出先から希林さんの車で雀荘に直行したことがある。

雀荘へ向かう車中で「みんなわたしのことをブスだと言うけれど、わたしだってそんなに不細工じゃあないでしょう?」とつぶやく様に言う。
「希林さんはとても魅力的な女性ですよ」と答えると「そうでしょう?」と希林さんは、少しはにかみながらも嬉しげだった。
ボクは希林さんも女なのだなあと、妙に生々しく感じたことを覚えている。

その時に麻雀を一緒に打ったメンバーは、ジャーナリストのばばこういちさんとわが社の設立メンバーのひとりだったが、今ではその全員が故人となってしまったことになる。
その後、何度かスタジオ番組のゲストで出演願った際にもお会いしていたが、麻雀はその一回だけだった。

最後に希林さんと話したのは2年ほど前で、NHKの「ファミリーヒストリー」という番組に出演依頼した時だった。
その時はガンもいよいよ全身に回って苦労されている最中だったが、気持ちよく引き受けて頂けた。

希林さんは人間として信じられる印象深い人だった。
ボクと同じ歳の75歳だったが、その死生観には常々共通するものを感じていた。

希林さんの最期の言葉はどういうものだったのだろうか。
希林さんが死と向き合っていた晩年の「死ぬときくらい 好きにさせてよ」という言葉が良く知られているとのことだが、希林さんらしいと思う。

ところで、つい最近、「日本人、最期のことば」という本を読んだ。
著者の西村眞さんはボクにご馳走して下さる、この世でたったひとりの方である。
会う度に西村さんが厳選した一流のお店の美味しい料理を堪能させて頂いている。

これまでこのブログでも2度ほど西村さんのことを書いたが、1939年生まれでそろそろ80歳になられるが、かつては数誌の有名雑誌の名編集長として一世を風靡した方で、本業の傍ら歴史の古書、稀書の収集研究家でもある。
また国内外の偉人たちの足跡と生涯についても詳しい。
「謎の日本史外伝」や「戦後・あの日、あの時」などを雑誌に連載、著書に「東京哀歌」「ボスの遺言」などの小説もある。

「日本人、最期のことば」には著名な日本人の人生の終い方が描かれており、単純にその言葉だけを取り上げても、もしかすると意味は無いのかもしれないが、詳しくは「日本人、最期のことば」を読んでいただくとして、取り敢えず、そのことばだけを並べてみることにしよう。

坂本龍馬  修羅か極楽かにお供申すべく候

西郷隆盛  もう、この辺でよかろ

夏目漱石  いいよいいよ、泣いてもいいよ

勝海舟   コレデオシマイ

千利休   かなしく候

宮本武蔵  今生のお暇にござる

幸田露伴  じゃあ、おれはもう死んじゃうよ

この他、織田信長や豊臣秀吉、松尾芭蕉、小林一茶、石川啄木、正岡子規など20名の最期のことばが、その人生と重ね合わせて名文で綴られているのを読むと、ナルホド、この人物にしてこの最期のことばがあるのだなあ、と納得し唸らせられるのだが、単純に最期のことばだけを羅列してみると、才ある故人には誠に申し訳無いけれども、いよいよの死に際してはみんな似たり寄ったりで、意外と平凡なものなのだなあ、と感じてしまう。

あるいは凡人にとっては、死と向き合うのは恐ろしくて深刻だと思えるのだが、いよいよとなれば、案外こういう達観した境地のものかもしれないとも思える。

そうならば、今から何も気の利いた辞世の句や言葉を準備せずとも、気楽にその時のぶっつけ本番で臨めば良いのかもしれない。
希林さんのご冥福をお祈りする。

    「ありがとさん 最期のことば これが良し」


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女性差別の思想

どうした訳だか世の中には男と女がいる。
この人間が男と女の二種類に分かれていることで、まことに厄介で複雑な問題を抱えることにもなっている。

男は強く、女はか弱い、というのが一般的なイメージだが、そんなのは真っ赤な嘘で、男より強い女もいれば、女よりもか弱い男もいる。

実際、ボクの知る限り、昔は当たり前のように存在していた亭主関白の家庭など、近頃では見ることも聞くこともなくなった。
ボクの家でも嫁さんの方が大いに威張っている。
だから男と女のどちらが強いかの答えは簡単ではない。

また、性は女性だが心は男性という人たちもいれば、その反対のケースもあり、性の境界線も曖昧で何が男で何が女性なのかも深く考えれば難しいようである。

しかし、社会的な側面からみれば、女性が不利で弱い立場に置かれていることは確かなことだ。
少なくとも、日本ではそうである。

例えば、今年の2月に行われた東京医科大学医学部医学科の一般入試で、女性受験者の点数を一律に減点し、女性の合格者数を減らしていたことが判明し世間を騒がせたのもその一例だ。
大学は「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師現場を離れるケースが多く、その結果として起きる医師不足を解消するため」だとか「必要悪であり暗黙の了解があった」などと答え、これまでの長い間、女性受験生の合格者を全体の3割以下に抑える調整が行われてきたことを明らかにした。

もっとも、その考えは全く理解できない訳では無い。
ボクたちのようなちっぽけな会社でも、結婚後出産のために産休をとり、辞めて行く者もいれば、その後復帰して制限勤務に就いている女性たちもいる。
子供が成長して徐々に普通勤務に戻るようになったスタッフもいるが、現在3人の女性が制限勤務中だ。

そのうちの2人がディレクターである。
彼女たちは保育園に子供を預けているので時間に制約があり、出来る仕事が限られてしまう。
しかし、他のディレクターたちのように自由な取材活動はできないものの、当事者本人の仕事への情熱とやる気と実践力さえあれば、そういう制約の中で可能な仕事もある。

制限勤務の中で一生懸命に育児と仕事を両立させようとがんばっている姿は立派だし、未婚の若い女性やまだ子供のいない女性スタッフにとっては、その姿を見て、そんな職場であれば、それぞれの将来に対して安心できるし、また頑張ってもいけると感じる筈である。

しかし、現実は厳しい。
幼い子供はしばしば病気に罹るし、制限勤務の中でさえ、満足に仕事を続けることの困難さをこれまで永年見て来ている。
会社の経済的負担が大きいことも確かで、ボクたちの会社の体力にも限りはある。
だから誰でも何人でも受け入れることはとうていできないが、本人たちの能力があると思える女性スタッフの出産後の制限勤務については出来る限りの支援をしたいと思っている。

しかし一方で保育園不足で、働きたくても働けない母親たちも相変わらず多い。
保育園の待機児童の問題だ。
平成29年10月の厚生労働省のデーターによれば全国の待機児童数は55433人で前年よりも7695人増加している。
こういった待機児童数にもカラクリがあり、現実との大きなズレがあるとの指摘もあり、保育園に子供を入れるための活動に対し「保活」との言葉が存在するほどに大変なことであるらしい。

単純に児童数に対して保育園の数が少ないことが根本理由だが、保育士の数が不足している現状もあるようだ。
保育士の資格を有していながら実際に保育園で働いていない人たちが70万人に上ると言われている。

それにも理由がある。
保育園は公立と私立があり、保育士の給与が公立の場合43,6歳で33万円余と平均的だが、実は私立保育園が圧倒的多数を占めており、私立では36,3歳で平均22万円余とかなり低いことに原因があるようだ。
これでは保育園が人手不足になるのは当然だ。

これらの現状を見ていると、国が本気で働こうとの志を持つ子供のいる女性を助けようとしているのかどうかに疑問を持つ。
保守的な昔の男たちは、女性は家に居て子供は母親の手で育てるべきだとの考えを持っていた。
嫁という字を見れば一目瞭然、家の女である。
こういった根強い思想が現在、国を動かしている人たちの中に存在し、女性の社会進出を本音では好ましく思わないため、保育園なども含めて母親たちの社会進出に対しては本気で取り組むことをせず、逆に妨げているのではないかとも邪推する。

世界の国々でも似たり寄ったりとは云え、日本で女性の参政権が全国で認められたのは、太平洋戦争の敗戦後、1946年に行われた衆議院選挙からである。
その歴史は浅いのだ。

現在の日本の国会議員数は707人だが、女性議員数は97人で僅かその10,1%に過ぎない。
この比率は世界193ヶ国の中で158位と先進国では最低水準で、中国や韓国よりも低い。
安倍政権の掲げる「すべての女性が輝く社会づくり」の背景が透けて見える。

閣僚を含めて数多くの政治家たちの女性蔑視やセクハラ発言などがマスコミで話題となるが、その度にうやむやとなり、何度も同じことが繰り返されている。

天皇の後継者についても同じで、父系性にこだわり、女性天皇の継承を認めようとはしない。
明治時代以降の強い考え方である。
日本はまだまだ女性差別の根深い国であることが分かる。

ボクは別に女性の味方でもなければ男性の味方でもないが、世の中には男と女がいて、それぞれの異なる性徴と役割もあり、良さも悪さも持っていて、男と女と併せてようやく一人前の人間である。
つまり、男だけでも、女だけでも、一人前にはなれない半人間的存在だ、ということである。

そうであれば、男女の性から生じる役割の違いによる困難があれば、お互いに補い合うことが必要で、そういう思想が政治や行政の現場で生かされていく社会でなければならないと思っている。
そして、男と女は対等で平等でなければならないのは至極当然の理屈である。
だから男女の間でお互いに差別などしてはいけないと思っているだけである。

男と女がお互いに喧嘩したり、愛し合ったり、憎み合ったりするのは当たり前だが、それは上下の関係のない同じ地平で行われることが条件だ。

法律とは道徳上の最低の守るべき規範である。
法律という建前の約束を越えて、男性と女性が平等で対等であるとの信念が無い限り、現在の男性優位の社会から女性差別は無くなることはないだろう。

      「嫁さんに いつもゴメンが 癖になり」


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働き方の難しい時代

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お金というふしぎなモノ

「お金が欲しいなあ」と、あるスタッフがぽつんと言った。

「お金があったら何をしたいの?」と聞くと
「別にそれは無いけど、5万円ほどあればなあと……」と答えた。
思いがけなかったが、とても切実なその答えにボクは「ウッ!」と詰まった。

たいてい、「お金が欲しい」と聞くと、すぐに数百万円とか数千万円とかの額を想像してしまう。
宝くじにでも当たらないかなあ、といった類の単なる世間話ならばその単位は数億円だし、そうでなければ家を買いたいとか、子供の大学の学資が必要だとか、何か緊急にお金が必要になったか、などと推測するからだ。

単なる冗談に近い世間話の場合は、妙な大金など無い方が良いよ、とボクは応えるのだが、ともかく、ボクの場合で言えば、会社の資金繰りが切実だから、それ位の単位の金額が頭に浮かぶ。
それはそれで当事者にはとても切実なのだが、「5万円ほど」というのも、また身につまされる実に身近な金額である。
小遣いとして使えるお金がもう少しあればなあ、という意味なのかもしれない。

そう云えば、ボクも若い頃に覚えがある。
大学生の頃は、故郷の親から月々2万円の仕送りをしてもらって、それでやりくりしていた。
55~6年前の貨幣価値はそういうものだった。
スナックのハイボールが一杯50円だったから、千円札一枚あれば威張って飲みに行けた。
生活費を含めて、せめてあと2千円か3千円あればなあ、と切望していたし、30歳代の頃はあと2~3万円あればなあ、と望んでいたものだ。

大した金額ではないのだが、当事者にとっては大した金額で、切実な実感として分かるだけに、そのスタッフの言葉は本音としてボクを刺す。
何とかしなければいけないなあ、と考えさせられる。

ボクに出来ることは、業績を上げてスタッフの給与をアップすることでしか、その望みを叶えることができない。

一般論としては、会社設立とその存続の大きな目的のひとつは利潤を追求し、その会社に投資した株主にその利潤を還元することである。
上場している会社も非上場の会社もその原則に変わりは無い。

ボクたちの会社の資本金は5500万円だが、外部資本は入っておらず、わが社の専務取締役、常務取締役や取締役を初めとする身内スタッフ若干名とボクが株主となっている。
そして大半の株はボクが所有している。

しかし、会社を設立して30年になるが、これまで一度も株主に利潤を配当したことは無い。
他の株主には本当に申し訳ないのだが、我慢してもらって、利益は社員、契約を問わず、わが社のスタッフ全員に分配することにしている。

これは弱肉強食、優勝劣敗の競争社会に生きる、本来の資本主義の理念からすれば、決して褒められた行為でもないことは重々承知しているのだが、ボクが大株主で代表取締を務めている間は、この方針を守りたいと考えている。

オルタスジャパンは、もともと6人の同志が始めた会社で、当然ながら生活していくための最低限のお金は確保しなければならないが、その目的は利潤の追求ではなくて、質の高いドキュメンタリー番組を作り続けて行きたい、世間をあっと驚かせたり、面白がらせたり、感動させたりする番組を作りたいね、という単純な目的のために立ち上げた青臭い考えの会社である。

それに賛同する作り手たちなら、一緒に仕事をして行きましょう、でもボクたちはお金を儲けるために番組を作るのではありませんよ、ドキュメンタリーが好きで、番組を作りたい人たちの集まりですよ、ボクたちの会社はそういう意思を持つ作り手たちの集う場なのですよ、とボクは常に語り、そのことはこのブロクでも書き続けて来た。

時代感覚は変われど、そんな考えの下でスタートし、継続して来た会社だから、会社としては、ずっと貧乏で特別に経済的に豊かな者はひとりとして存在しない。

お金を求める者は、他の職種に鞍替えするしか方法は無い。
町場の制作プロダクション、とりわけドキュメンタリーなどという儲からないジャンルの制作プロダクションは何処へ行っても同じ境遇の下にあるのは必定で似たり寄ったりだろう。

この仕事が好きだから選択し、そこで生き抜き、少しでも納得のいく番組を作りたい、との強い考えの無い人たちにはさぞかし、しんどい職場だろうと思う。

そして、現実に、ボクたちの会社のスタッフの全員がモノ作りに関しては同じ価値観を共有する作り手たちの集団である。
有名ブランドで身を飾り、高級車を乗り回し、豪邸に住みたいなどの夢を持つ者はいないことだけは確かである。

そんな基本的な考えや現状があるので、株主配当は行わないで来た。
お金は汗の対価として得るべきもので、株主配当などは不労所得の最たる悪だと思うからである。
それならば、実際に汗を流して番組作りに精を出し、会社という、みんなにとって大切な場を維持するために懸命に貢献しているスタッフに還元すべきだろうと考えるからである。

もっとも、会社の明日の命運は時としてどうなるか分からないから、緊急時に備えて経営者はある程度の資金の準備は必要で、経営者の責務として、私財を投げ打つ覚悟はしておかなければならない。
経営者であるボクの給与はそのためにあり、普段の生活は質素でなければならないと自覚している。

こうした形での経営方針でこれまでやってきたが、それはそれとして、少しでも給料を多く欲しいとスタッフが願うのも当然の人情というものである。

わが社の給与は世間と比べて特別に安い方ではない。
上を見ても、また下を見てもキリはないが、平均的水準を保っている。

その給与額は最終的にはボクが決めている。
その基準は、年齢と勤続年数を基本として、それに貢献度、家庭や個人の事情、働き方の姿勢や将来性などを査定して総合的に決める。
決して均一では無い。
入社して3~4年はスタッフ間の差はないが、それ以降は少しづつ差がついてくる。

お金には特別の魔力があるし、実際に無くては困るものであることは確かだ。
お金とは実に不思議な存在で、様々な価値判断の基準になったりもする。
お金の稼ぎ高が自分の価値だと考える者もいる。
大韓航空のナッツ姫ではないが、お金持ちが貧しい者に威張ったりするのはその典型例なのだろうが、賃金は労働とその質に対するもので、人間的価値とは関係ないのだが、そのように思い込む人たちもいる。

だから、そういう人たちは他人の給与が気になり、他人よりも少ないと不安や不満を持つ者も現れる。
その気持ちはボクにも分からない訳ではないが、世の中はそれほど幼く単純でもないし、同時に矛盾にも満ちていて老獪だ。
どんな人もどこかで我慢したり、歯を食いしばって頑張る気持ちに転化させたりして成長し、そして取り巻く環境や自分の力に合った収入のメドを立てる工夫を覚え成功を手にする。

しかし、自分の事情だけを優先し、自分を律することの出来ない者は我慢しきれなくなる。
そしてさらに不思議なことに、他の人よりも待遇の良い者ほど不満も大きいし、会社を辞める傾向がある。

ボクは甘いな、と思って見ている。
どの業界でも同じだと思うが、一人前になるのにはどんなに早くても最低20年はかかる。
そして一人前になれば、それなりの収入を得て、それなりの暮らしが出来る仕組みになっている。
そしてようやく大人になれる。

人はそれぞれで、100様の考え方を持つ。
だから、ボクたちの会社の考えに合わず辞めて行く人はボクは基本的には引き留めることはない。
去る者は追わず、だ。

ところで、冒頭に書いた「お金が欲しい」と思わずつぶやいたスタッフはボクの篤く信頼するスタッフのひとりだ。
頭ではなく身体で会社や仲間のことに思いを馳せることの出来る人である。
ボクが果たさなければならない仕事は山積しているとつくづく思っている。

     「遥かなり お足に勝る 情あれよと」


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Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
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