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株式会社オルタスジャパンの代表・小田昭太郎の日記です。テレビ業界を愛し、ドキュメンタリーを愛し、にんにくを偏愛する馬鹿社長のひとりごとにお付き合いください。

グチや弱音の正体

グチや弱音はボクたちの日常生活にはツキモノである。
事ある毎に、「あーあ…」などとため息もつく。
それらは一種のストレス解消法であるのかもしれない。

しかし、ボクの親しくしている四日市市に住む生き神さまは
「ため息は駄目だよ。自分でますます元気を無くすことになるからね。もし、無意識にため息をついたら、すぐその後で、取り消し!取り消し!と言いなさいよ」
と教える。

ところで、ボクたちの会社では月に一度、スタッフ全員が集まっての全体会議を行っている。
会社の動きや必要な情報などをスタッフに伝えるための連絡会議なのだが、そこで、企画賞や社長賞などを出すことにしている。
企画賞は優れた企画を対象に幹部社員で構成する統括会議のメンバーの総意で決定する。
しかし社長賞はボクの独断と偏見で決める。
笑顔が爽やかで素敵だったとか、元気よく挨拶するとか、誰にも頼まれていないのに毎朝掃除している等々、定型はない。

先日、ディレクターのYに社長賞を出すことにした。
「社長賞を出したいから全体会議に出席できるか」を尋ねると「どうして自分が社長賞を貰うのか?」と怪訝そうに問い返して来た。
「そういうことを聞く人だから、社長賞を出したいんだよ」とボクは応えた。
Yは相変わらず首をひねっている。
彼はそういう男なのである。

Yは入社して17年目になる。
寡黙でこつこつと努力を積み重ね、着実にディレクターの道を歩み続け、世間に通用するディレクターに育ってきた。
どんなに困難な状況に陥っても、辛い立場にあっても、最後までやり通す強い意志を持っている。
そして、ボクはこれまで一度もYのグチや弱音を聞いたことがない。

テレビ局のプロデューサーの過酷で、時には理不尽な要求にへこたれて、もうその番組は二度と担当したくない、などと弱音を吐くスタッフもいるが、そんな中でYは黙々とその仕事をやり遂げ、決して逃げることは無なかった。
そして、五度、六度とそんな仕事をこなしてきた。

派手なところはなく、見た目は優男で、どこにそんな強靭さを秘めているのかと思われるのだが、「今度の仕事はずいぶんキツそうだね」と問いかけても「へへへ……まあそうですね」と平然とその辛さを真正面から受け止める度量がある。
本当はしんどくて、辛いに違いないのだが、それを表に出さないで受け止め、乗り越えて行く心の広さと人間の大きさを持っている。
Yはディレクターとして、これからもまだまだ成長し進化を遂げて行くことは間違いない。
その伸び代に限りない期待を持つ。
以上が社長賞の理由である。

どうしてもグチを言いたくなり、弱音は吐きたくなるものである。
人間らしいと云えばもっとも人間らしい行為だ。
人工知能には出来ない芸当だろう。
しかし、その正体とは何なのだろうか。

ボクたちの仕事に当てはめて言えば、わが社のプロデューサーやディレクターが番組の制作中に、テレビ局のプロデューサーに対しての批判を始め出すと、まずは要注意である。

もともと、テレビ局のプロデューサーたちは総じて優秀な人たちが多い。
一流大学を出て、厳しいテレビ局の入社試験に合格したエリートたちだから、頭脳明晰な、選ばれた人たちだ。
勿論、個性も考え方もさまざまでクセもあり欠点もあり、中には非常識と思えるような人物もいる。

しかし、それぞれの担当番組に対しての責任者であり、その番組の総指揮に当たっている。
番組のコンセプトや制作方針、演出上の大きな約束事や品質管理についての決定権を持っているのは当然のことである。
ボクたち制作プロダクションは、テレビ局の指揮下で制作を請け負う訳だから、その担当プロデューサーの考えに合わない形をとれば拒否され、修正される。

ボクたちは、あくまでも局のプロデューサーの許容範囲の中で、そのプロデューサーの想定レベル、あるいは想定以上の優れた番組を作らなければならない。
そのプロデューサーを納得させ感動させ驚かせる番組を作らなければならない。
そして、その先に視聴者がいる。
これが制作をする上での最低の約束事である。

いくら優れていても、面白くても、番組コンセプトを外していては話にならない。
コーヒーを注文したのに紅茶が出てくるようなものだ。

こういった演出上の約束事のこだわりに対する価値観がすれ違うケースが時として起きる。
また、品質管理についての認識の差が大きい場合にもトラブルが起きる。
本当に優秀な局のプロデューサーは制作費に見合った品質を心得ている。
しかし、中には500万円の予算なのに1000万円分の品質を要求するような、頭は良くても世間知らずのプロデューサーもいる。

困難なことは山ほどある。
しかし、それは百も承知の上で、数々の難題を上手くこなしていくのが制作プロダクションの宿命であり、手腕でもあるのだが、それら、演出上の価値観のすれ違いや、テレビ局プロデューサーからのさまざまな注文を上手に仕切ることができなくなるなどのケースに直面した時にグチや弱音が飛び出してくる。
番組がうまく行かないのは、局のプロデューサーが悪い所為だとなる。

こういう図式は負の連鎖を生んで行く。
テレビ局のプロデューサーとの関係がこじれたプロダクションのプロデューサーは、ディレクターが悪いからだと責め、ディレクターはカメラマンの所為にする。
パワハラなどの行為はこんな負の連鎖の中で起きがちだ。

こういった図式はボクたちの業界だけではなく、どんな組織でも日常的に生じるありふれた風景であるに違いない。
つまり、グチや弱音は、自分の職務を全うできない時に、それを他人の所為にしたいという心の動きから生じる責任転嫁のなせる業である。
一種の開き直りである。

ずっと昔に「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルのキャッチコピーがあったが、誠に言い得て妙である。
苦しいことや辛いことの多い浮世だが、グチや弱音を吐かずに、それらをビールで自分の腹の中に流し込もうじゃないか、との人生訓でもあった。

ボク自身も、そんなに偉そうに言える者でもない。
弱音を吐きたくなる気持ちも分かるし、何事にも動じず淡々と向き合おうと常々自らを戒めているのにもかかわらず、知らず知らずのうちにため息をついていることに気づき、ああ、いけねえ、取り消し、取り消し、などとやっている始末だ。

自分を見つめ己の実相を知ることは難しい。
弱音を呑み込むこともまた難しい。
しかし同時に、グチや弱音を呑み込み、自分の腹に収めることをしなければ、自分を見つめ、自分のありのままの姿を知ることが出来ないこともまた事実である。

Yは恐らくそのことを本能的に知っているのだろうと思う。
他人の所為にすり替えず、自分自身を誤魔化さずに直視出来ている間は、どんな人も成長を続けることができるとボクは信じている。
Yの今後を楽しみに見守って行きたい。
 
    「春風や グチやため息 呑み込んで」




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不測の事態のふしぎ

世の中はすべからく因果法則で動いている。
何かが起きるには必ずその原因がある。

だから、突然、何かが起きるというような不測の事態など本来は無い筈なのだが、実際は、この不測の事態がしばしば起きて大慌てする。
なぜそうなるのかの理由は簡単で、結果を生み出す原因の段階で、それに気づかずに見過ごしてしまうことが多いからである。

ボクなど本当に馬鹿だから、ちょっと思い出してみるだけでも、不測の事態にしょっちゅう見舞われてばかりいる。
そして、あの時のアレが原因だな、とか、あの時にこう対処しておけば良かったのだな、とか反省する。
結局、そんなことの繰り返しで毎日を過ごしている。
人生の一大事もあれば、会社の存続にかかわるような出来事もある。

しかし、良く考えてみると、その時々には別に手を抜いている訳でもなく、一生懸命に誠実に取り組んで来たわけで、決して怠けていたのではないことにも同時に気付く。
その時の自分の考えや行動は、自らの納得のいく選択であって、それが不測の事態を招くことになるだろうとは思っていなかったことにも思い当たる。

そして結果的に、こりゃ大変だ、ということになるのだが、何年か、あるいは何十年か経ってから振り返ると、その失敗や不測の事態が、実は自分にとって良かったのだ、あの事態が起きたから今の自分があるのだ、運が良かったなあ、ツイていたなあ、と思うことが多いのも事実である。
「失敗は成功の母」とか「人間万事塞翁が馬」などの格言や故事があるが、それらに該当するのかどうか。

例えが適当かどうかは分からないが、かつてボクは身から出たサビで番組を作らせて貰えなくなり、某テレビ局を半ば追われ職を失ったのだったが、そのお陰で会社を立ち上げることになった。
慣れない経営で、それまでしたことの無いお金の苦労も人並みにしたが、後期高齢になった今も、やっとこさながら現役で働ける喜びに浸りながら毎日を楽しく過ごせている。

大学を卒業したばかりのボクを拾ってくれて、大切にしてくれ、ドキュメンタリーを教えてくれ、そして追い出してくれたテレビ局に本当に感謝している。
ボクに幸運を与えてくれた。
本心からそう思い、本気でそのテレビ局に感謝している。

ごく最近の例で云えば、昨年の暮れに会社の引っ越しがあったのだが、考えてみればこれもツイていたと思っている。
ビルの老朽化で建て直しするとの理由で突然、移転を已む無くされた。
とても気に入っていたビルだったし、大所帯の引っ越しとなると何かと大変だ。
急遽、移転先を探さなければならないし、余計なお金もエネルギーも必要とした。
しかし、その面倒の代償として、さる銀行の温情にも恵まれ、以前よりも快適な環境を手にすることが出来た。
ツイていたとしか言いようはない。

ボクもある程度、歳を重ねてからそのことに気付くことが出来たお陰で、個人的にも、あるいは会社のことでも、少々の大きな難題や出来事が起きても、大騒ぎすることも無くなった。
もしかすると、このことがツキを運んでくれるかもしれないぜ、と平気で思えるようになったからである。

もっとも、不測の事態や失敗や困難などは無いに越したことはないのだろう。
しかし、望もうと、望まぬことであろうと常にそんな事態に見舞われるのが現実というものだ。

ただボクが知ったのは、不測の事態や困難な出来事は、例外なく、ボク自身を正してくれ、強く鍛えてくれ、新たな将来へと導いてくれる幸運の糸である、という事だ。

「俺流を どこまで通す つくしんぼう」


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世代感覚と宇宙人

時代感覚についての与太話を一席。

30歳代の若いスタッフたちは、今の若い人たちが何を考えているのか分からない、と言う。
そして、入社してまだ4~5年しか経たない20歳代のスタッフの中にも、新しく入社して来る若者たちを評して、若い連中の考えていることが分からない、と言ったりもする。

30歳代の若い人たちが10歳以上も歳の差のある歳下のスタッフの考え方や行動に、ある種の違和感を持つのは、まあ分かるにしても、歳もさほど差の無い20歳代同士で世代の違いを意識するのに対しては、どういうことなんだろう、と思ってしまう。
こういう感覚は昔からあったものなのか、それとも情報過多で目まぐるしく変化する「今」だから起きていることなのだろうか。

ところで、50数年前にボクがテレビ局に新入社員として入社した当時、上司たちと接して「おじさん」や「おばさん」たちだと感じたものである。
だが、今から振り返ると、その「おじさん」や「おばさん」はせいぜい6~7歳の年長者に過ぎず、20歳代後半か、30歳そこそこの若者だったことに気付く。
14~5歳も離れていたら、爺さん、婆さんに見えた。
その時代は定年が55歳だったから、もともと、会社には年寄は居なかった訳である。

しかし、それは新入社員から見た先輩像であって、その先輩たちが、ボクたち新入社員をどう思っていたのかはよくは分からない。
当時、ボクたちの世代が会社にとって久々の新入社員採用者だったので、大切に扱われ、可愛がってもらったことだけは覚えている。
先輩たちはみんな大人で、呆れられることはあっても、威張ったり、感情的になるような人たちは居なかった。

そして、不思議なことだが、ボクが30歳の頃に後輩たちをどのように見ていたかの記憶がまったく無いのだ。
うーん、ちょっと待てよ、考えてみるとそれもその筈だ。
ボクたちの後、しばらくは新規採用者がほとんど無かったのだった。
だから、40歳少しでテレビ局を辞めるまで、ボクには直接一緒に仕事をした後輩社員は居なかったことに、今これを書きながら気付いた。

ドキュメンタリーのセクションではいつもボクが最年少だったし、その後もいつも一匹だった。
ああ、そうだったんだ。
社外のブレーンの人たちとの付き合いの方が多かったし、そのほとんどが年長者だった。
だからボクはいつも会社の内外にかかわらず、年上の人たちに囲まれ、年上の人たちと付き合って来たのだったのか。
今更ながらの新発見である。

思わず横道にそれてしまったが、ボクが若い人たちとしっかりと接するようになったのは、会社を立ち上げてからであることにも気付く。
そして、これまで「今の若い者は……」と言うのは、老人たちの口癖だと思い込んでいたが、実は、昔から3~40歳位のまだまだ若い人たちも、そんな言葉を吐いていたのかもしれないとも思う。

確かに、時代の流れに応じて、時代感覚はどんどん変化していくので、世代による感覚のズレが生まれるのは当たり前のことである。
かつて新感覚の若者を称して「新人類」と呼んでからすでに40年近くになる。
当時の新人類も60歳をすでに過ぎ、現在の若者たちの新感覚について行けなくなっているに違いない。
年齢と時代感覚とは、そんな相関関係にある。

だから、「今の若い人たちは叱るとすぐに会社を辞めてしまう」とか「何かあるとすぐにパワハラだ、セクハラだと訴えられるので、恐くてモノが言えない」と本気で悩まなければならなくなる。
「根性不足だ」とか「弱音を吐くな」などのボクたちの世代では日常的に使われていた常識語が今では典型的なパワハラ用語となっているとも聞いた。

時の流れはまさに生き物と同様で、その時々に応じて常識も変化する。
その常識はその時代の社会が生む。
そしてその社会は政治や経済がその形を作る。
これらを総合的に分析すれば、世の中の流れと形が分かり、その時々の常識も、その常識に従って生きている世代による感覚の違いなども手に取るように分かる筈だが、そんな分析を待つまでも無く、これまでの常識が常識でなくなり、結果として社会には異なる様々な時代特有の常識を抱えた人びとが混在することになるので、特に世代間でのトラブルが顕著となるのだろう。

「今の若い者は………」とのお馴染みの表現は古今東西を通じて昔も今も変わることなく存在することを考えると、そういった状況には変わりは無いにしても、ただ現在の方が時代の変化が激しいので、常識の変化も多く、それに伴う混乱も多いのかもしれない。

かの夏目漱石先生も小説「草枕」に記している。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい」

そんな住みにくい浮世でどのように生きるのか、それは個々の自由だ。
時の流れに沿うも良し、また逆らうのも良し、である。
ただ、時代の常識に逆らうにはそれなりの説得力と覚悟が必要だ。
トラブルにしないための知恵が要る。

いずれにしても、その基となるのが相互理解のためのコミュニケーションである。
世代を超え、時代を超え、そして社会や国を超え、さらには共通の言語を超えてのコミュニケーションを実現するにはどうすれば良いのか。

そのためには、お互いに自分が向き合う相手を宇宙人だと考えるのも一法だ。
「未知との遭遇」である。

まだ宇宙人と会ったことが無いので分からないが、お互いにコミュニケーションを図る材料を持ち合わせていないのでどうしたら良いのか分からない。
好意的なのか、敵対的なのか、何ひとつとして分からない。
でも、無視して相手にしない訳にはいかない。
さてどうすれば良いのか。

その時の基本は、お互いにまず相手が何を考えているのかを知る事から始める筈だ。
そして、意志の疎通を図るための共通のツールを探りそれを作る努力をするに違いない。
恐らく、仕草から始まり、意志の疎通を図るために共通の言葉を作る作業が行われるだろう。
そこは、それぞれの持つ常識には頼れない、また通用しない世界だから白紙で向き合うことになる。
そして、やがて、相互理解が深められて、お互いの間に信頼関係が生み出されるに違いない。

念のために断わっておくが、人びとを宇宙人と考えろ、と勧めて要る訳では無い。
お互いを知るためのひとつの方法論である。

自分の考え方や論理は大切だか、それに執着し過ぎ、相手に力で押しつけると、異なった考えの者と摩擦が起き、トラブルになるのは当たり前のことだ。
特に上司や権力を行使できる立場の者は常に自らを戒める必要があるのだろう。
パワハラやセクハラのほとんどはそんな構図から生じている。
「若い者は……」と言う前に自らを見つめ直さなければならないとは思う。

しかし、こんな柄にもなく、偉そうなことを言っているボクだが、一方で、これは一体どういうことなのだろう、と世代間の常識に対する疑問を抱くことは多い。
ただ、ボクは、その常識に生きている若者たちではなく、その若者を生んでいる社会に問題があると感じている。

例えば、グローバルな社会で生き残るための選択であることは理解しても、行き過ぎた競争の原理や生産性、効率化の追求、アルバイトや転職を推し進める社会の在り方には疑問を持つ。
これらの考えは、極端に個人の利益追求に走り、共同体意識を持ち難くさせ、やがて共同体の崩壊につながるのではないかと恐れる。
学校や団体や会社を初め、やがては国家そのものを大切に考えることを否定していくことになるのではないか。
共存共栄の否定に向かうのではないかとの危惧を持つ。
個を大切にすると共に他と共に生きる道筋を目指す社会に向かうことは不可能なのだろうか。

人類をここまで発展させた本質は闘争本能だと思うし、力が世界を支配することも痛いほど知っている。
そして、エゴの暴走に対する歯止めの無いことも分かる。
生まれてくるのも、生きて行くのも、また死んで行くのもひとりである。
他に頼ることなど所詮無理であることも知っている。

しかしそれでも、人がひとつの共同体で運命を共にするのなら、少なくとも仲間同士の意識や信頼関係は築きたいと願う。
その土台となるのが共存共栄の思想だと思うのだが、余りにも幼稚に過ぎるのだろうか。

     「臭いぜ 匂うぜ 青臭い」



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一宿一飯の義理

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「絶滅危惧種だからなあ」

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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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