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株式会社オルタスジャパンの代表・小田昭太郎の日記です。テレビ業界を愛し、ドキュメンタリーを愛し、にんにくを偏愛する馬鹿社長のひとりごとにお付き合いください。

安倍政権が強い本当の理由

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働くということ~現役と老後の狭間~

上手な歳のとり方というのは難しいようだ。

ボクがまだ幼稚園児だった昭和22年頃の日本人の平均寿命は、50歳そこそこだったのが、今では男性も80歳を越え、女性は87歳になろうとしている。
寿命が延びた分、益々生き方が難しくなる一方である。

先日、名古屋に在住の女友だちのYさんが1年ぶりに訪ねて来た。
彼女は、ボクがまだ30歳を少し過ぎた若造の頃に作ったドキュメンタリー番組を視て感じるものがあったらしく、テレビ局に訪ねて来た人で、それ以来40年ほどの付き合いになる。

その番組は、ボクが大学を卒業して社会に出てから10年経った頃で、大学時代を共に過ごした同級生たちが、今をどのように過ごしているのか、何を考え、何を求めて生きているのかその姿を探り訪ね歩くというものだった。

ボクたちの大学時代は学生運動が盛んな政治の季節だった。
ボクの在学していた早稲田大学でも、学費値上げをきっかけとして反対闘争が行われ、世に早稲田闘争として知られる学園を挙げての大紛争に発展した。

ボクはイデオロギーなど信じる気は無く、いわゆるノンポリだったが、それでも否応なく闘争に巻き込まれ紛争と無縁ではいられない当時の状況があった。
ロックアウトで教室が閉鎖され授業も碌々行われず、デモも盛んだった。
当時、「鬼の四機」と学生たちから恐れられていた警視庁第四機動隊とぶつかり、同級生の中に逮捕者が何人も出た。

親しい仲間と集っては、どういう世の中にすべきかを徹夜で論じ合ったものである。
そんな大学時代を日夜共に過ごし、理想を語り合った仲間たちの10年後の姿を追う私的ドキュメンタリーを作ったのだったが、意外に反響が大きく、視聴者の中でボクを訪ねてくる人たちも多かった。

Yさんもそんな視聴者のひとりだったが、その時以来、一年に一度くらいの頻度で連絡があり、わざわざ名古屋から新幹線に乗って会いに来る。
それが40年間余続いている。
ボクたちは、まるで七夕だね、と笑っている。

Yさんは、独身で今年68歳になるが、ずっと中学や小学校の社会科の先生をしてきた。
3年前に退職し、今は年金とこれまでに貯えてきた預金で悠々自適の毎日を送っている。
家も現役時代にすでに手に入れており、将来の暮らしに何の不安もない。

Yさんはリベラルな社会派で、管理主義教育のメッカである愛知県にあって、周囲のガチガチの教育現場での教育方針と闘いながら、それなりの苦労を一通り体験してきた。
教員を退職した今も、現役の教師や校長などの管理職にも呼びかけ、教育のあり方に関する勉強会を開くなどの活動も続けている。

趣味も広く、焼き物にはまるうちに、朝鮮の陶磁器にたどり着き、興味は朝鮮の文化へと広がっていく。
自分の好きな作家や文学の読書会があると聞くと、どこへでも飛んで行く。
大学にもう一度勉強に通う計画も立てている。

都はるみのファンで追っかけをしたり、今はナントカいうグループに夢中でそのコンサートのチケットを努力して手に入れるようなミーハーでもある。
そうかと思うと、原発反対のデモにも熱心で、労を惜しまず各地を訪れる。

とにかく真面目で勉強家で研究熱心で行動的である。
だから退職しても退屈などしている暇はなく、忙しく走り回っている。

誰が聞いても羨むような自由な生活で、まさに第二の人生を謳歌するモデルケースにでもなれそうなYさんの暮らしなのだが、当人は浮かぬ顔なのである。

「何かやらなければならないことがある筈なのよね」と彼女は名古屋弁特有のイントネーションでつぶやく様に言った。
どうやら浮かぬ顔の正体は、今の生活に満足できないところに原因があるようだった。

「人生でやらなきゃあならないことなんて特別に無いだろう。自分でどうしてもやりたいと思うことがあれば別だけど、わざわざそれを今から改めて探す必要などどこにあるの?」とボクは応えた。
「そう言われりゃ確かにそうだけど、中途半端な年齢なのかもね」とYさんは少しさみしげに云う。

今の時代、寿命が延びた分、年寄が若返っているが、そうは言っても68歳は世間では立派な高齢者だ。
しかし、枯れるにはまだ若すぎてなかなか老境に至れるものでもない。
本人の気分としてはまだまだ青春時代の延長線上にあるに違いない。

「自分探しは若い連中に任せておけば良いんじゃない?」とわざと突き放すようにボクは言った。

現在、60歳以上が日本の人口のおよそ30%を占める世界一の高齢者社会だ。
65歳以上では26,7%、全人口の4分の1を越える。
Yさんが抱いている漠とした悩みは、恐らくそれら高齢者たちに共通する出口を見つけることが難しい難問の一つだと思われる。

その悩みの大きな原因のひとつは、それまで働いていた会社などの組織を定年などの理由で辞めることになり、否応なく社会との接点を断ち切られたことにあるのではないかと思う。

四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ、という渋沢榮一翁の元気の良い言葉があるが、それとは裏腹のままならぬ現実がある。

たいていの場合は、再就職などは難しい年齢で、まだまだ働けると当人は自信があり、また働きたいと願っているのに働けないことへの絶望感が、何をやっても、心から楽しめない、どこか虚しい気持ちにさせるに違いない。
これは、元気で有能な高齢者にとっては、とても辛いことである。

人生観も人それぞれだし、晴耕雨読の老後を楽しめる人たちもいるだろう。
また、労働についてのとらえ方や、労働観もさまざまだろう。
時代の変化と共にそれらは変化するに違いない。

労働は神がアダムに与えた罰だとも聞くし、労働は神聖なもので神の意志とも聞く。
また労働組合などは労働条件や賃金値上げなどを主張している。
これらを見ると、労働は神を含めた誰か労働力を必要とする上から押し付けられてやらされるモノ、との印象を受けるし、奴隷や強制労働を連想させる。

しかし、一方で、労働は社会や人に役立てるもので、仲間や共同体でお互いの価値を認め合うためのもの、そしてそれが自分の生きる喜びになるもの、との考えも存在する。

現在の世の中を眺めてみると、お金を得るために労働があるように見える。
その要素が極端に突出した価値観になっているかのように見える。

しかし、歳を重ね、有る程度暮らしも安定し、それなりの人生の終盤で、労働という行為を無理やり奪われた時、労働の持つ本来の本質的な意味に人は気づき始めるのに違いない。

いよいよ、高齢化社会が進み、働きたくても働く場を満足に得ることができない高齢者の割合が高まるにつれ、この労働に関する考え方が大きく変化していくのではないかと思う。
もしかすると、労働可能な年齢も上がり、労働に対する価値観も少しづつ変わり、それに伴って自分の利益のためだけに働くのではなく、仲間や社会との共存のための労働観が根付くことになるかもしれない。

そして、トランプ大統領を象徴とする自国だけの利益を考えるエゴイズムの世の激しい潮流への歯止めになれば、などと考えるのは妄想に過ぎるだろうか。

「ボクたちの会社には定年は無いんだよ。自分が働ける自信のある間は働けるようにしているんだよ」と云うボクに「良いわねぇ」とYさんは眼を輝かせた。

4時間ほどの食事を終えた。
「明日は大阪の夏目漱石の読書会に行く予定なの。今日はありがとう。何か元気が出て来たわ」と笑顔を見せた。
「それじゃ、また一年後だね」とボクは言った。

   「老骨に 鞭打つ日々も 喜びか」


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久方ぶりの母の風景

先日、大阪は堺市に住む母を久しぶりで見舞った。

まこと不肖の息子で、大学時代に故郷を離れ、以来、そのまま東京に居つき、数年に一度、実家に顔を出すか出さないかで50数余年が経つ。
実家は弟夫婦に無理やり押し付けた。
父が20年ほど前に他界してから、以前に増して足が遠のいていた。

昔聞いた話で、突然の災害や戦争などの不慮の出来事に見舞われた時、日本人は家族が一緒になって逃げるが、中国人はお前は東に、俺は西にといった具合に家族バラバラ四方八方に難を逃れる、というのがある。
父親は一緒に逃げることを選ぶタイプだったが、母親はバラバラ派の方に組するタイプだ。

母は合理主義者なのだ。
そして、母はボクに、どこかで元気に暮らしてさえいれば別に会わなくても良いのだ、と口癖のように言っていた。
その言葉に甘えた訳でもないが、ボクは碌に実家を訪ねなかった。

5年前にその母が心筋梗塞で倒れ、以来、病院が経営する養護施設に入り現在に至っている。
弟の案内で実家からそれほど離れていないその施設に母を訪ねた。

車椅子に押されて現れた母は怪訝そうにボクを見た。
「昭太郎です」とボクが云うと「ああ、昭太郎か」と母は少し表情を緩めた。
「えらい歳とったな。白髪だらけやな。誰か分からんかったよ」と反応した。

弟から母は認知症が進んでいて、5段階のステージ4だと聞いていた。
母にはボクの若い頃の記憶しかないのだろう。

ボクはこの施設には2年ほど前に一度訪ねていた。
その時よりも母は若返り、とても元気そうに見えた。
肌もつやつやしてシワなどもほとんど見えない。

「相変わらず綺麗やな」というと「ああ、そうか。おおきに。歳とったからあかんわ。ところで、あんた、幾つになったんや」と云う。
「74歳になるよ。来年は75歳や。後期高齢者やで」と応えると、横から弟が「お母さんは96歳やからね。兄貴もええ歳になっとるんよ」と助け舟を出す。
「96歳か。もう自分の歳も分からんようになってな」と云い、指を折って何やら数えていたが「そうか。そうなるな。あんたも74歳か。えらい歳とったな」とつくづくボクの顔を眺めた。

「お母さん100歳までもうすぐですよ。がんばってくださいね」と傍らから妻が声を掛けた。
「後4年あるな。それは無理や。4年は永すぎるわ」
認知症ステージ4とは思えない母の対応にボクたちは驚いていた。

実は、母は今年の春に倒れて施設から救急で病院に運ばれていた。
幸いに一命は取りとめたが、その際に母は弟に自分がみた不思議な夢の話をしたという。

「母の夢枕にすでに故人となった親しくしていた人たちが現れて、ついて来い、と言われるまま後に従うと、ある門の前にたどり着いた。門の前には何足かの靴が置かれており、その靴を履いて門をくぐるように言われた。しかし、どの靴を試してみても自分に合う靴が見つからず、履く靴が無い、と云うと、それではこの門を入ることは出来ないから帰れ、と云われて帰ってきた」
これが母の見た夢のあらましである。
弟はその話をボクの前で改めて母に聞かせると「まだ死ねんということやな」と他人事のように云う。

「何か欲しいものはありませんか」と妻が聞く。
「欲しいものは何もないねん。あかんなあ。人間欲しいものが無くなったらもう終わりやで」

別れ際に「また来るよ」と云うと「とこかで元気にしてたら、それだけでええねん」と母はいつもの口癖通り、淡々と応えた。
母は本当にそう思っていることが分かった。

小一時間の面会での母の会話は実にしっかりとしていて、認知症のステージ4との診断は、もしかすると医者の見立て違いではないか、との考えが一瞬頭をよぎった。
しかし、その考えはボクの勘違いであることにすぐに気付かされたのである。

母と顔を見合わせ、別れの言葉を交わした後、弟が器用に車椅子をくるりと方向転換し母が背中を見せて押されていく後ろ姿をボクたちは追ったが、母は二度と振り返りボクたちを見ることはなかった。

そして、廊下越しにホールに横顔を見せる格好で母の乗った車椅子を弟が固定させた後、母は何を見つめているのか微動だにせず、前方の何かにじっと視線を送り続けていた。
それは、周囲のすべてをまるで拒絶するかのような冷ややかな姿に映った。

母の頭に何が去来しているのかはボクには計り知れなかったが、少なくとも、たった今の今までボクたちと交わした会話はおろか、ボクたちに会ったことさえも、その記憶の一片の残像もすでにすっかり消え去ってしまっていることは明白だった。

ボクはしばらく母の横顔を見続けたが、母がボクを再び見る気配はなかった。
たとえ見たとしても、すでにボクが誰であるかは分からなくなっているのに違いなかった。
ボクは母に静かに一礼して施設を後にした。

東京への帰りの新幹線の車中で「ああ、お母さんとの記念写真を撮り忘れたわ」と突然妻は叫んだ。
ボクは窓の外の暗がりに、時々流れて見える灯りをぼんやりと眺めながら、そう云えば、子供の頃から今に至るまで母に叱られたことが一度もなかったなあ、とフト思った。

   「親不孝 海より深し 母の恩」




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労務管理の厳しい時代

先日、会社近くのお店で昼食をとっているとテレビ局の関連企業の部長と出会った。
お元気ですかと、軽く声を掛けたのだが「いやあ、大変ですよ。下手をするとマジで後ろに手が回る時代ですからね」とやけに真面目な返事が返ってきた。

電通の新入社員の自殺がひとつの引き金となって、以来、残業時間の制限を含めて働き方の見直し論議が盛んに行われている。

残業など何も今に始まったことではないが、ある意味、社会の制度がある程度整い、管理社会の形が出来上がって来ると、働く者の意識もそれを管理する方の意識も大きく変化し、と云うより否応なく変化せざるを得なくなり、必要以上に形に拘るようになる。

そして、そこからはみ出す要素に厳しい眼が向けられるようになる。
まことに窮屈だ。
やれ、早朝の早すぎる出勤は禁止だの、何時に消灯しなければならないだのと規則も多くなる。

ある業種の企業などでは、各自のパソコンなども完全に管理されていて、夜8時以降に使った形跡があると厳重な注意を受けるし、月に一度の頻度で、突然抜き打ちの検査が入り、各自の机の引き出しや持ち物のチェックを受けるとも聞く。
そこに私物などが入っていると問題視されるようだ。

しかし、今の時代、こんなことは当たり前らしく、そんなことに驚いて違和感を持つボクが既に時代に取り残されていると言っても過言ではない社会になっているようだ。

コンプライアンスという横文字に対し、だから日常の振る舞いも考えも、そして表現の形も委縮してしまうのだ、などとの考えを持つことが既に愚かで、そんなことではこの現代社会を生き抜いてはいけないぞ、ということになって来ている。

今はまだ管理社会の序の口で、行きつく先はまだまだこれからかも知れないと思うと、その未来を想像するだけでぞっとする。
これ以上長生きしたくねぇーな、などとも思う。

社会を形成していく上でルールは必要だし、そのための管理は絶対に欠かせないことは必定である。
しかし、それが行き過ぎる社会からは必然的に、自由も、人間らしさもまた失われていく。

自殺者が増え、精神に異常を来たす者もいよいよその数を増す。
儲かるのは精神科医だけである。
理解不能な犯罪が増加し、大小いじめ事件の常態化などもそういう社会の産物だと思っている。

ボクは会社を設立してからこの30年間近く、出来る限り自由に働ける場所を作ろうと努力を重ねてきた。
ドキュメンタリーを作ることに興味を持つスタッフたちが、それぞれの個性を生かして働くことの出来る場所をいかに確保し続けることができるかの実験であるとも考えてきた。

しかし、それは明らかに時代と逆行する生き方であることは明らかだ。
ボクたちの会社も次第にスタッフも多くなり、会社風になってきている。
共通の意志を持つ人たちの集まりであることは大切な必要条件だが、同好会では済ませられない集団になった。

もともと、作り手というのは組織には収まりきらない個性を持っている。
別の言い方をすると自分勝手な要素を持つ。
管理社会からのはみ出し者という表現もできる。

しかし、一方、労働基準監督署を始めとして、厚生省管轄の東京労働局などからの注文や、厳しい監視の眼があり、ルールに基づく労働に関する諸条件への適切な対応が求められている。
またテレビ局も含め、大手企業からの情報管理の厳しい注文もある。
それらの要求に応えられないと取引はおろか相手にされないという実情に直面している。

そんな労働環境の下でボクたちの会社でも、新たに就業規則を整備し直し、労基署に提出している。
そして、スタッフに会社を円滑に運営していくために守らなければならない最低限の規則について周知徹底するようにとの話も伝えたところだ。

冒頭で登場したくだんのテレビ局関連企業の部長は「いやあ、大変な時代ですわ。ビクビクしていますよ。おたくも気を付けて下さいね」と真顔で語り、「お先に」とそそくさと店を出て行った。

出来うる限りのびのびと自由に働ける場としての会社を運営したいとの思いを変えるつもりはない。
なぜなら、自由こそが人間であることのもっとも大切な条件であると信じているからだ。

今さら、自由には義務が伴うのだ、などとしたり顔の説教をするつもりは毛頭ないが、自由であるためにボクたちは何をしなければならないかには最大の努力をしなければならないと考えている。

      「自由あり そして人あり 自由あり」 


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安倍政権のもたらすもの

先日のブログで自民党議員の続く不祥事に触れ、その原因に安倍政権の一強政治に潜む権力の腐敗について問うた。

そして、これだけ多くの、自民党議員や閣僚たちによる、普通ならばスミマセンだけでは済まない筈の不祥事にもかかわらず、野党からの徹底した追求も、また政局にこれといった影響を及ぼすこともなく、それに国民の反応もほとんどなく、内閣支持率が下がる訳でもない不思議な光景をボクたちは目の当たりにしている。

国有地払下げで、忖度が問題となり、安倍総理や昭恵夫人が、直接的間接的に関わったとされる「森友学園」の疑惑も本来ならば、もっとしっかりと解明されなければならない筈なのに、政府自民党も各関係省庁も隠ぺいにこれ努めている。

「私も妻も一切、認可にも国有地払下げにも関係していない。関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と衆議院予算委員会の答弁で大見得を切った安倍総理だが、マスコミなどの取材によって実際に総理夫人の関与が明らかになっている。

そして新たに浮上している「加計学園」の36億円にもなる不正払下げ問題でも、安倍総理夫妻の関与疑惑が明るみに出はじめているが、官邸は知らぬ顔の半兵衛でやり過ごそうとしている。

世間をここまで馬鹿にしている政権に対し、追求の力を失ってしまっている野党も情けない限りだが、自民党の中にも健全な浄化機能不全を来たしていることもまた明らかである。

権力が自分たちにとって都合の悪い不始末を隠ぺいしようとするのは当然と云えば当然のよくある図式だが、各省庁関係者も人事権を含め、完全に総理官邸に牛耳られる権力構図が出来上がっている様子で身動きがつかなくなっているようである。

権力を振りかざすやり方は安倍政権のひとつの特徴で、マスコミ、特に免許事業であるテレビ局へのあからさまな介入は周知である。

森友学園事件や加計学園疑惑での隠ぺいの形を見ると、本来は存在しているべき記録や資料が、破棄してしまったとか見当たらないなどの理由でそれら資料の提出を拒否し続けている。
さらに、週刊誌に真実を証言した文部科学省の事務方のトップだった前川前事務次官については個人のスキャンダルに矮小化しようとするなど首相官邸は姑息な攻撃も加えている。

また読売新聞などは安倍首相のたいこ持ちのように、官邸からの要請に応じて記事を掲載するなど、これもジャーナリズムの本来の役割を完全に放棄している有様だ。

これらの一連の判断や行動は関係省庁独自なのか官邸の指示によるものかボクには定かではないが、両者の共通した利害に基づく阿吽の了解事項、あるいはそれこそ忖度が働いているといったところだろう。

こういった隠ぺいの形は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣していた陸上自衛隊の日報問題でも同様である。

この日報問題は、昨年、ジャーナリストが防衛省に南スーダンでのPKOの活動状況についての情報公開を求めたのに対し防衛省は「日報は破棄された」と答えたが、再度調べると廃棄した筈の日報が出てきた。

これには裏があって、日報の公表を検討していた陸上自衛隊に対して、防衛省の統合幕僚官僚が保存の事実を非公表にするよう指示しており、日報が存在しているとの事実に関する防衛大臣への報告は一か月後であったことが判明した。

これは単なる隠ぺい事件を越えてシビリアンコントロールが行われていないことの証であり、実はとても大きな問題である。
軍事を司る防衛省の問題だけに事は大きいが、これなども安倍政権の持つ隠ぺい体質の別の形の現れと云えなくもない。

上層部が腐ると下も腐る。
稲田防衛大臣はもとより安倍総理の責任は重大である。

ボクが柄にもなく憂えているのは、ひとり安倍首相が嫌いだとか好きだとかの理由ではなく、政治の腐敗もさることながら、安倍政権を支える勢力の目指す日本の国の形に対して大きな危惧を持つからである。
そしてその進もうとしている未来の国の形を知りながらなおもそれらの勢力の象徴である安倍政権を支え続けようとする多くの人たちに対して不安を感じるからである。

現実には、公明党も維新の会も自民党の一部であると言っても過言ではない。
かろうじて野党と呼べるのはますますその存在感を失っている民進党と、少数政党の共産党だけである。
そして、自民党には安倍政権への対抗勢力は皆無である。

どう考えても、日本の政党の勢力図や在りようは健全だとは思えない。
それらは、確かに民主主義による国民の選択の結果だが、果たしてこれで良いのかとの思いが強い。

一方で、7月には東京都議選挙がある。
都民ファーストの会、小池新党の圧勝が確実で、ここでは、自民党も惨敗するだろうと予想されている。

しかし、小池新党も何のことはない、自民党と同質の政治団体でしかない。
やがて小池新党が国政に加わることは必定で、維新の会や公明党と並び、自民党を支えることになることは誰もが認めるところである。
憲法改正についても同じ価値観を持つ同質の政治グループである。

そして、細々と存続している現在の最大野党である民進党がそのあおりを受けて更に衰え、かつての社会党のように消滅することも目に見えている。
小池新党の目的が民進党を含めた野党つぶしの陰謀説だと噂されるゆえんである。

実際に、都議選に於いても、民進党では勝てないと踏んだ議員たちが小池新党に鞍替えするような事態も起きている。
また国政では、先日、長島明久衆議院議員がやがて迎えることになる衆院選を睨み民進党を離党した。

こんな始末では民進党はとても国民の信頼を受けることは出来ないし、現状に不安を抱く人びとの受け皿には到底なる資格はない。
確実に民進党崩壊の危機を迎えている。

確かに、今の民進党は全く魅力はないし、力もないが、こういった自民党一党独裁の政治形態は決して国民にとって望ましいことではないと思われる。
しかし、この政治の流れは止めることは出来ないのかもしれない。

東京都政の刷新を望んだ多くの都民の期待に応えようとした小池都知事は評価に値するとは思うが、国政への進出とそのもたらすであろう未来には注意を喚起すべきである。

政治は魔物である。
都民も含めて冷静な判断で未来を選択する必要があると思っている。
 
      「今は良い この先コワイ 小池知事」


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馬鹿社長

Author:馬鹿社長
【小田昭太郎】
株式会社オルタスジャパン代表取締役

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